第12回:少子・高齢社会の中の日本の福祉

掲載日:2017年4月7日(金)

瀧廉太郎が作曲した日本の唱歌『お正月』を歌いたくなる季節を迎えました。

認知症高齢者の場合、幼少期に口ずさんでいた唱歌等の古い記憶は比較的多く残っているのですが、最近起こった出来事は短期記憶障害により覚えていることができません。

認知症高齢者の諸症状に対して、その理由や背景を理解せずに何度も接していると心の余裕がなくなり、時として「怒り」の感情が湧いてくる危険性があります。この「怒り」感情を、ただ抑えようとすると、知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでしまい、ついには我慢の限界がきて、不本意に本人を傷つけてしまうことがあり、本人との信頼関係をも破壊してしまうことに繋がりかねません。

そもそも「怒り」の感情は、特定の刺激に対して特定の反応をするよう、これまでの人生経験の中で獲得してきた反応習慣、つまり「条件反射」なのです。例えば、繰り返し同じことを聞く認知症高齢者の言動に『刺激』を受け、我慢できなくなり「強い口調で、何度も同じことを聞くな」と『反応』したのです。つまり「怒り」の感情は、「人間の防衛本能」だといえます。しかし、繰り返し同じことを聞く認知症高齢者は、単に認知症による短期記憶障害が原因でこのような言動を繰り返しているだけで決して悪意があるわけではありません。短期記憶障害を改善することが困難であるとすれば、接する私たちが「怒り」の感情をコントロールできればよいのです。

人間はある出来事に遭遇すると、様々な意味づけや捉え方をします。例えば飲食店に入り席に着くと店員さんが、半分程度水の入ったコップを目の前に置いたとします。ある人は、店員に「ありがとう」と言い、またある人は、「こんな少ない水を出して失礼だ」と店員を叱りつけます。しかし事実は、半分程度水の入ったコップを目の前に置かれたという出来事だけなのです。つまり「怒り」の感情とは、ある出来事を否定的な捉え方をした自分自身の価値観によって自己生産したものなのです。

認知症高齢者を介護している方は、気分転換できる環境や趣味の時間、時には苦労話を聞いてくれる仲間との時間を大切にしながら、目の前の出来事を肯定的に捉える思考訓練を習慣化することで、「怒り」の感情は可能な限り少なくなっていくのではないでしょうか。

(K・T)