介護職員が認知症高齢者の方と関わる際、しばしば「嘘」をつくことがあります。『嘘は泥棒のはじまり』と、小学校の頃に教えられましたが、その「嘘」をついてしまうのです。
Aさんが通所介護(以下「デイサービス」という。)を利用された時のことです。大工だったAさんはデイサービスの送迎車が来ても、なかなか車に乗ろうとはしません。迎えにいった介護職員が無理やり車に乗せようとしても、頑として動きません。しかし「Aさん、うちの家の扉が壊れていて困っています。Aさんは大工さんでしたよね。助けていただけませんか。」と声をかけると、すんなり送迎車に乗っていただけます。
また、市会議員をしていたBさんは、護身用なのか安定した歩行ができるにもかかわらず、デイサービス利用時には必ず、杖を持参されます。ある時、他の利用者とトラブルがあり、思わず杖を振り上げ威嚇する行動が見られました。このまま放置すれば今後、重大な事故に発展する危険性があると判断した介護職員でしたが、「普通に説明」してもすんなり理解していただけるBさんではないのです。そこで一晩考えた介護職員は次の日、Bさんがデイサービスに来られ椅子に座ると、「おはようございます。先生、素敵な杖ですね。只今、杖の無料点検サービスを実施しています。この機会にいかがですか。」と尋ねたのです。そうすると、「ああ、頼む」と、すんなり杖を差し出してくださったのです。
さらに、帰宅願望のある利用者Cさんが、「家に帰してください」と言ってこられた時は、その帰宅した理由・目的に合わせて、例えば「今、タクシーを手配しましたので、しばらくお待ちください。その間、こちらでお茶でも飲みませんか」と伝えます。そしてお茶を飲みながらCさんと談笑していると、いつの間にか「家に帰りたい」と言ったことを忘れてしまうのです。
この方法は、主にアルツハイマー型認知症の「記憶障害」を逆手にとった対応ですが、『嘘をつくのは、人としていけないこと』、『人生の先輩に対して失礼だ』と感じられる方もおられると思います。私も普段はそう思いますが、認知症高齢者に対して、「普通に説明」すると「不安や怒り」をかうばかりか、認知症高齢者を介護する人々にとっても、相当のストレスを感じてしまうのです。
認知症高齢者のケアの基本は、「安心」していただく生活環境の調整や声かけを工夫することです。つまり「記憶障害」等により、現実の世界に不安を抱いている認知症高齢者の状況を推察し、その状況に合わせて納得のいく「嘘をつく(説明・演出・演技をする)」ことが大切なのです。
認知症高齢者への前記対応は、生後間もない赤ちゃんが夜泣きをした時、「こんな時間に夜泣きすると、周りの人に迷惑になるからやめなさい」と、「普通に説明」しても意味がないことと同じです。言語未獲得の赤ちゃんは、「不快」な気持ちを周囲に伝えることができないため、愛情をもった周囲の人々が『おむつが濡れたのかなあ。お腹がすいたのかなあ。それとも何か病気にでも』と、赤ちゃんの状況をおもんばかって対応しているのです。認知症高齢者も「記憶障害」等により、「不快」な気持ちを上手く周囲に伝えることができないのですが、その言動には必ず意味や目的があります。よって、その方の職業歴等の生活歴や性格、趣味・嗜好習慣を踏まえて納得のいく「嘘をつく(説明・演出・演技をする)」ことは、認知症高齢者に対して「安心」できる生活環境であり、『嘘も方便』となるのです。
(参考文献)『認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ』 株式会社講談社