足るを知る

掲載日:2025年4月1日(火)

  江戸時代後期に「黙って座ればピタリと当たる」と言われた、水野南北という日本一の観相家がいました。
 大阪に生まれた南北は幼くして両親を失い、叔父に引き取られますが、性格がすさみ、10歳から酒を飲み始め、喧嘩ばかりしている少年でした。18歳の頃、酒代欲しさに悪事を働き、投獄されます。これが南北の人生の転機となりました。牢に入れられた南北は、〝囚人達の人相が娑婆で普通の生活をしている人達の人相と明らかに違う〟と気づくのです。
 以来、観相に関心を持つようになり、牢を出てから町の易者に自分の人相を見てもらいに行ったところ、次のように言われたのです。
「稀に見る悪相である。おまけに剣難の相がある。あと一年ほどの命だ」
「助かる方法はないのですか?」
「出家する以外にないな」
 そこで南北は有名な禅寺に行き、入門を乞いました。しかし、寺の和尚は「修行は厳しいものだ。お前がこれから一年間、米を食わずに麦と大豆だけの食事で通したら入門を許そう」と条件を出しました。
 南北は、助かりたい一心で船の貨物の積み降ろしの仕事をしながら麦と大豆だけの食事に耐え続けました。一年が経ち、南北は禅寺に行く前に以前の易者のところに行きました。すると、その易者が驚きの声を上げたのです。
「全く相が変わっている。剣難の相が消えてなくなっている。何か大きな功徳を積んだな」
「いえ、ただ米を食べず、麦と大豆だけの食事をしていただけです」
 そこで易者は、「食事を節することは、大いなる陰徳積みである」と南北に言ったそうです。人相が変われば、禅寺に入る必要はありません。南北は、観相家を志し、諸国遍歴の旅に出ます。それが21歳の時です。
 南北の特徴は、書物を一切読まず、師匠にもつかず、ただ実体験を積み重ねていく点にありました。いろいろな人の人相を見るために、まず髪結床で働きました。次に風呂屋で働き、体の相を観察しました。さらに火葬場で死者の遺体を荼毘に付す仕事に就いて、死相の研究もしました。そうして相を見る技量が上がるにつれ、観相家として評判を得るようになっていきます。
 しかし南北には悩みがありました。自分の観相はよく当たるのですが、時にすごく良い人相の人が不幸な目に遭ったり、逆に悪相の人が意外な幸運に恵まれることがあったのです。
〝この見誤りは、一体どうして起こるのだろう?〟
 南北はさらに研鑽を重ねましたが、その理由はわかりませんでした。
 時が経ち、50歳の時に南北は意を決して伊勢神宮に出かけ、五十鈴川のほとりで二十一日間の断食と水垢離をしました。満行の時、食の神さまとして有名な、外宮の豊受大神から〝人の運は食にあり〟という啓示を受けたといいます。
 そこで南北は雷に打たれたように悟ったのです。
〝自分は食事を麦と大豆だけにすることによって剣難の相を消した。食は人相を変え、運命を変えるのだ〟
 その後、南北は食のあり方を研究し、「節食開運法」を説き始めます。そうして南北の観相術はついに完成したのです。百発百中、「黙って座ればピタリと当たる」という境地に至ったのです。
 また、悪相の人がやって来ると、食のあり方を改善することを説いて運命を転換させました。ただ相を見るだけでなく、教化をしたのです。
 南北が晩年言っています。
「私の会得した飲食の節制法を多くの人に教えたが、実践した人を見ると一年先に大難の相があっても、厳重に実践した人は必ずその難を免れている。それどころか、却ってその頃に思いがけない吉事が来る人が多い。あるいは生涯貧窮の相がある人でも、相応に裕福となって、現在は人に知られる程の者になった人も多い。また数年来病身で、きわめて短命の相が出ていた者も今は心身ともに健やかである。およそ、このような実例は枚挙にいとまがない程である。故に人間の富貴・貧賤、長寿・短命、困窮・安楽、また立身出世、栄達などは、すべて飲食の慎みにあるわけである」
 南北自身の人相はとても貧相だったそうですが、「節食開運法」を世間の人々に勧めるため、手本を示すために生涯米を食べず、米からできているものは餅さえも食べず、一日に食べるのは麦一合五勺と決め、少年の頃より大好きだった酒も一日一合と決めて、それを実行した結果、大いに運が開け、名古屋に一丁四方の大きな屋敷を構えるまでになりました。また「人生五十年」と言われた時代に78歳まで健康で長生きをし、天寿を全うしたのです。
 南北が「万に一つの誤りなし」と言った、「節食開運法」の要点をまとめると、だいたい十項目になります。
一、食事の量が少ない者は人相が不吉な相であっても、それなりに恵まれた人生を送り、早死にしない。特に晩年は吉となる。
二、食事が常に適量を超えている者は、人相が吉相でも調いにくい。手がもつれたり、生涯心労が絶えず、晩年は凶となる。
三、常に大食、暴食の者は、たとえ人相が良くても運勢は一定しない。もしその人が貧しければますます困窮し、財産家でも家を傾ける。大食、暴食して人相が凶であれば、死後に入るべき棺もないほど落ちぶれる。
四、常に身のほど以上の美食をしている者は、たとえ人相が吉でも運勢は凶になる。美食を慎まなければ家を没落させ、出世もおぼつかない。まして貧しくても美食をする者は、働いても働いても楽にならず、一生苦労する。
五、常に自分の生活水準より低い程度の粗食をしている者は、人相が貧相でもいずれは財をなし、長寿を得、晩年は楽になる。
六、食事時間が不規則なものは吉相でも凶となる。
七、小食の者には死病の苦しみがなく、長患いもしない。
八、怠け者でずるく、酒肉を楽しんで精進しない者は成功しない。成功、発展しようと思うならば、自分が望むところの一業を極め、毎日の食事を厳重に節制し、大願成就まで美食を慎み、自分の仕事を楽しみに変えるように努めれば、自然に成功するだろう。
九、人格は飲食の慎みによって決まる。
十、酒肉を多く食べて太っている者は、生涯出世栄達はない。

 この節食十項目とともに南北は表裏一体のものとして、日常生活の心掛けを説いています。
 特に強調するのは、食事の時に〝感謝の心〟を持つことです。また日の出とともに起き、夜は早く寝ることを勧めています。さらに、「衣服や住まいが贅沢すぎるのは大凶、倹約は吉だが、けちは凶である」と言っています。南北は日常のすべてにおいて「慎む」ということを極意であると説いています。

 以前、テレビの健康番組によく出演されていた石原結實という医学博士がいます。石原先生は「少食健康法」を推奨されていて、伊豆の「ニンジンジュース断食道場」には、多くの有名人が訪れて健康になったと評判になっています。
 石原先生は言われます。
「現代人の食事量では、種々の臓器を働かせるために必要な血液が、いつも胃腸に集中してしまいます。よって、その他の臓器や感覚器はいつも血液不足。血液には種々の栄養素、水、免疫物質が含まれているので、血流が良い臓器は元気で健康だし、血流の少ない臓器は不健康で病気をしがちになります。つまり、いつも食べすぎて血液が胃腸に集中している人は、他の臓器に流れる血液が不足して、そこに病気が発生しやすくなりますし、いつも〝なんとなくだるい〟などの症状が出てくるのです。しかし、断食をすると途端に胃腸以外の臓器への血液量が増えて、そうした臓器が活発に働き出すので、体に力がみなぎってくるし、種々の病気も治りやすくなるわけです」
 また次のようにも言っておられます。
「断食は極端な食事制限ですが、食事の量は脳の働きにかなり影響を与えることがわかっています。アメリカ国立老化研究所のドナルド・イングラム博士は、年をとってドーパミンが脳から分泌されず、パーキンソン病になったマウスのエサを〝どうせ近い内に死ぬんだから〟と減らしたそうです。通常の40%程度にしたところ、予想に反してドーパミンの分泌量が逆に増加して認知症やパーキンソン病の症状が消失し、他のマウスよりも長生きしたということです。つまり、少食によって脳の働きが活性化し、体も若返るということです」

 皆さん、サーチュイン遺伝子(別名・長寿遺伝子)をご存知でしょうか。これが活性化すると誰でも健康長寿になれるそうです。その活性化にNMNというサプリメントが効果的だと話題になっています。また、東京科学大学の栄誉教授である大隅良典先生がその機能を解明してノーベル生理学・医学賞を受賞されたオートファジーは、人間の細胞が自らを修復して、その若返りを司る機能です。つまり老化を遅らせ、病気のリスクを低減させるという素晴らしい機能が、オートファジーです。そして、サーチュイン遺伝子もオートファジーも、少食・節食をして、カロリー制限をすると活性化することがわかっています。ですから〝健康で長生きをしたければ少食にしなければいけない〟ということです。
 昔から「鶴は千年、亀は万年」といいますが、鶴や亀の胃袋を見るとほとんど食物が入っていないそうです。この言葉によって昔の人は暗に少食を勧めていたのかもしれません。
 余談ですが、サーチュイン遺伝子やオートファジーを活性化する食べ物があります。ザクロやナッツ、赤ワイン、緑茶、納豆、玉ねぎ、りんご、ブルーベリー等だそうです。

 最後に仏伝からお話をします。
 お釈迦さまが、ある時コーサラ国のパセーナディという肥満した王に大食・美食を戒める一偈を与えられました。
「人は自ら懸念して、量を知って食を摂るべし。さすれば、苦しみ少なく、老ゆること遅く、寿命を保つならん」
 この時、ウッタラという少年が王の侍者として後ろに立っていました。パセーナディ王はその少年に言いました。
「ウッタラよ、汝は今の世尊の偈を諳んじて、私の食事の時に、いつも唱えるようにせよ」
「王さま、かしこまりました」
 ウッタラは毎日、王の食事の度に、この偈を唱えました。その結果、王の肥満した体は次第に贅肉が取れ、大変健康になり、またその容貌も端正になったと伝えられています。
 お釈迦さまは2500年前に既に「節食」ということを言っておられたのです。