令和6年ももうすぐ終わりますが、一年の終わりには、大人も子どももみんな楽しみにしている一大イベント「クリスマス」があります。街にはイルミネーションが灯り、あちこちからクリスマスソングが流れてきます。今回はそんなクリスマスにまつわる話をしたいと思います。
クリスマスは皆さんご存知のようにイエス・キリストの降誕を祝う日です。
「Christmas」は「Christ」と「mass」
が一つになった言葉で、「キリストのミサ」、つまり、キリストの降誕祭ということです。しかし12月25日はあくまでキリストの降誕を祝う日であり、キリストの正式な誕生日ではないそうです。誕生日自体は諸説あり、聖書にははっきりした誕生日についての記述はないそうです。
クリスマスの歴史は古く、その起源は古代ローマ帝国の時代に遡りますが、キリスト教徒が少ない日本では、クリスマスは独自の文化として発展しました。その始まりは、かの有名なフランシスコ・ザビエルが1552年に山口県でキリスト降誕のミサを行ったことだそうです。
この後、クリスマスは豊臣秀吉の「バテレン追放令」、そして、これに続く江戸幕府によるキリスト教禁教令によって途絶えますが、明治時代になると庶民の間に普及していきます。歌人の正岡子規が明治25年に「臘八のあとにかしましくりすます」(臘八会という厳粛な仏教行事の後にやかましいクリスマスがやってくる)という句を詠んでいますが、この四年後の句では「八人の子どもむつましクリスマス」とクリスマスは片仮名になり、ほほえましい行事として捉えています。ちなみにちょうど五音の「クリスマス」が俳句の、片仮名の季語・第一号だそうです。この三年後には「贈り物の数を尽くしてクリスマス」とクリスマスを讃える句を残しています。
明治33年には横浜で創業した明治屋が銀座に出店し、クリスマス向け商品を販売して、広くクリスマスが受け入れられるようになっていきました。
大正元年に発表された木下利玄の歌に「明治屋のクリスマス飾り灯ともりて煌やかなり粉雪降り出づ」というものがあります。華やかなイルミネーションが、この頃から街を彩っていたのがわかります。大正15年の12月25日に大正天皇が崩御され、後に12月25日が大正天皇祭として祭日となり、これがクリスマスの習慣がさらに普及する機会となりました。この祭日は昭和2年から昭和22年まで二十一年間続きました。戦後はベビーブームとともにクリスマス商戦が盛んになり、完全にクリスマスは日本に定着し、老若男女が楽しむ一大イベントとなったようです。
みんなが楽しみにしているクリスマスですが、クリスマスが大嫌いな人物もいました。それは19世紀にチャールズ・ディケンズというイギリスの文豪が書いた『クリスマス・キャロル』という小説の主人公、エベネーザ・スクルージです。この小説は何度も映画化され、また舞台演劇にもなっています。最近もホリエモンこと堀江貴文さんがスクルージを演じて話題になっています。この小説を読むと、ある種の教訓を得ることができます。
主人公のスクルージは初老の商人です。冷酷無比な守銭奴であり、無慈悲な人物で、みんなから嫌われていました。スクルージにとってクリスマスは何の得にもならない、一年で一番不快な日でした。彼は「スクルージ&マーレイ」という事務所を構え、そこにはボブ・クラチットという事務員が働いていました。スクルージはボブに対していつも怒ってばかりで、給料も本当に少ししか払っていませんでした。
ある年のクリスマスイブのことです。甥のフレッドが「おじさん、クリスマスのディナーをともにしよう」と誘いに来ますが、「クリスマスなどくだらん」と吐き捨てるように言って、フレッドを追い返します。
また事務員のボブには、「クリスマスだからといって休暇なんかやらんぞ」と言います。ボブが、「クリスマスは年に一度で、家族で楽しく過ごしたいので、お願いですから休暇をください」と言います。するとスクルージは、「わかった。その代わりに次の日に早く出てきて倍働け」と言います。
その事務所に「クリスマスなので恵まれない人々に寄付をお願いします」という人達がやってきました。スクルージは「恵まれない奴らは牢屋か救貧院に入れればいい。いや、いっそ死んでしまえば、その方が世の中のためだ」と、そんなことを言いました。
そんなスクルージがクリスマスイブの晩に仕事を終え、自分の家に帰ると、共同経営者だったマーレイが突然現れます。マーレイは七年前のクリスマスイブにこの世を去っていました。つまりマーレイの幽霊が現れたのです。なんとマーレイは体中を鎖で縛られていました。
スクルージは聞きます。
「一体どうしたんだ?」
「金銭に強欲に生きた人間は死んだらこうなるんだ。お前が俺のようにならんために忠告をしに来たんだ。今から三人のクリスマスの精霊がやってくる。その精霊達に会って教えを受けるんだ」
そう言い残してマーレイは姿を消します。
その後、三人のクリスマスの精霊がやってきます。
最初の精霊はスクルージの過去を見せる精霊でした。この精霊はスクルージに、子どもの頃や夢を持っていた青年時代を見せます。当時、スクルージには恋人がいましたが、「あなたは私よりお金が大事なんですね」と言って去っていきました。その後、その恋人は結婚し、子どもも生まれ、幸せに暮らしています。スクルージはその恋人の現在の姿を見て、みじめな自分との対比を感じます。
次に、スクルージが生きている現在を見せる精霊がやって来ます。精霊はスクルージを甥のフレッドの家に連れていきます。フレッドは貧しいながらも楽しく生活しています。フレッドとその家族は「おじさんも来てくれたらよかったのにね」と語っています。次に事務員のボブ・クラチットの家に連れていかれます。こちらでも貧しいながらも楽しく暮らしている様子を見ます。ボブの家は大家族で、末っ子のティムは足が悪く、病気がちで、治療を受けなければ長くは生きられないことを知ります。しかし、お金がないために病院で治療を受けることができません。次にその精霊は貧しい人達が集まるところへスクルージを連れていきます。スクルージは感じるところがあったのか、精霊に言います。
「あの人達はどうにかならんのか」
するとその精霊が言うのです。
「あなたは『恵まれない者は牢屋や救貧院に入れれば良い。死んでも世の中のためだ』と言ったではないか」
最後にスクルージの未来を見せる精霊がやってきます。スクルージの耳に突然声が聞こえてきます。
「あいつが死んだぞ」
「あいつは嫌われ者だったから、悲しむ者は誰もいない」
その死んだ男の家に泥棒が入って、金目のものをみんな持っていって売り払ってしまいます。それから、ボブの末っ子のティムが、両親の希望も空しく、病院で治療を受けることができずに死んだということを聞くのです。その後、精霊は一人の死んだ男の墓へスクルージを連れていきます。誰も墓参りをしないため、雑草が生い茂る本当に寂しいお墓です。その墓には「エベネーザ・スクルージ」と名が刻まれていました。
〝これが自分の墓か。自分の未来はこんな風なのか〟と知って、スクルージは驚愕します。
そして、スクルージが目を覚ますと、クリスマスの朝でした。スクルージは思いました。
〝夢だったのか…。怖い夢だった。あんな未来になってはいけない。心を変え、行いを変えなければ…〟
そしてスクルージは本当に変わります。まず事務員のボブの家族にたくさんのプレゼントと食べ物を贈ります。その後、甥のフレッドには今までのことを詫びて、「ディナーにプレゼントを持っていく」と連絡をするのです。そこに寄付を募る人達が再びやって来ます。スクルージはその人達に多額の寄付をします。
クリスマスの次の日、ボブが前の晩に楽しみ過ぎたのか遅刻してきました。ボブは〝怒鳴られるな。給料を減らされるかな〟と戦々恐々としています。しかし、スクルージは言いました。
「よいよい。昨日はきっと楽しかったのだろう。それより今まで薄給で悪かった。これからは給料を二倍支給することにしよう。それはそうと、末子のティムの体の具合はどうだ」
「よくありません」
「わかった。よし治療費は私が全部出してやろう」
世間の人の中にはスクルージの変わり様を笑う人もいました。しかし、世間のことなどスクルージは一切気にしません。
それからもスクルージはさまざまなところに寄付をし、誰に対しても優しく接する人間に完全に変わったのです。やがて、クリスマスを迎えるたびにみんなが言うようになりました。
「スクルージは最もクリスマスの楽しみ方を知る人物だ」
私達がもし未来を知ることができれば、〝今、徳を積まなければ〟と思うことでしょう。ただ、私達は未来を知ることができません。
しかし、日蓮聖人が『開目鈔』の中でおっしゃっています。
「心地観経に云く、『過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ』等云々」
未来が見えなくとも、現在の行いを正せばよいのです。
「今日一日悔いなく、功徳を積み重ねましょう」という杉山先生の教えに従っていけばよいのです。そうすれば必ず未来はよくなります。何も心配ありません。ぜひ、皆さん徳を積んでお題目を唱えながら、楽しいクリスマスをお過ごしください。