感謝の心で食べる

掲載日:2024年9月1日(日)

 今回は食べ物に関するお話をさせていただこうと思います。近年キレやすい子どもが多くなったと言われますが、その原因の一つが食べ物にあるという意見が結構あるようです。よく言われる食生活の欧米化ということです。ある中学校の校長先生が子ども達の食生活を和食中心に改善したところ、キレる子どもが激減したという報告があります。

 今から20年前に『スーパーサイズ・ミー』というドキュメンタリー映画がありました。モーガン・スパーロックというアメリカ人が監督・主演した映画です。

 2002年に肥満に悩む青年がファーストフードチェーン・マクドナルドを訴えました。その報道を見たスパーロックさんが肥満との相関を確かめるべく、〝一カ月間マクドナルドの商品だけを食べ続ける〟と決め、自ら被験者となって、現代のアメリカ人の食生活を検証したのです。

 スパーロックさんは三食全部をマクドナルドで食べ、水もマクドナルドの店内で飲み、時には日本のメニューにはないスーパーサイズを食べました。その結果、健康体であったスパーロックさんは一カ月で体重が11㎏増え、体脂肪率も18%まで上昇し、しばしばうつ状態になり、動悸もするようになりました。さらに肝機能障害も起こったといいます。

 この映画は大ヒットして、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされました。マクドナルドはこの映画に対して色々と反論をしましたが、その後スーパーサイズをメニューから外し、より健康的なメニューを提供するようになったということです。

 訴訟の方は「因果関係が認められない」として裁判所に脚下され、マクドナルド側の勝利に終わりました。実験後スパーロックさんが100人の栄養士に状況を説明して意見を求めたところ、全員が「あのような食品はカロリーが高いから、一カ月に一回程度にした方がいいですね」という回答だったそうです。私もファストフードの食べ過ぎはあまり体に良くないと思います。

 1977年、アメリカでマクガバン・レポートが発表されました。レポートではハンバーガー・ステーキ・アイスクリーム・炭酸飲料などのアメリカの典型的な食事が、癌や心臓病、脳卒中を引き起こすとし、それを避けるために、伝統的な日本食のようなもの、米や魚、野菜、大豆製品、海藻などを食べることを推奨しています。そして当時、俄かに日本食ブームが、特にハリウッドセレブの間で起こりました。

 2013年、和食はユネスコの無形文化遺産に登録されました。これは、人類が守り、継承していくべき無形の文化として和食が世界的に評価されたということです。

 明治の初めに日本は近代化を急ぐために優秀な外国人をたくさん招聘しました。鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルもその一人です。この人の弟子の辰野金吾が後に東京駅や日銀の本店を設計しました。かの有名な札幌農学校のクラーク博士も農業振興のために日本に招聘された一人です。

 余談ですが、クラーク博士が札幌農学校におられたのはたったの九カ月でした。Boys, be ambitious.(少年よ、大志を抱け)は博士が日本を離れ、アメリカに帰国する時に学生達に言った言葉だそうです。正確には、Boys, be ambitious like this old man.(少年よ、この老人のように大志を抱け)です。〝自分はアメリカから大いなる志を持って日本にやって来た。君達も私のように大いなる志を持って世に出て頑張るように〟という思いが込められた言葉だそうです。

 もう一つ付け加えると、クラーク博士を日本に招聘したのは同志社大学の創立者・新島襄です。アメリカに帰ったクラーク博士はその後、投資に失敗し、心臓病を患い、59歳で不遇の死を遂げることになるのですが、クラーク博士は亡くなる直前に見舞いに行った新島襄に言ったそうです。

「日本に行くことができて本当に良かった。あの札幌農学校で過ごした九カ月間は人生で最高の時だったよ。新島君、ありがとう」

 明治の初めに招聘された外国人の中にドイツ人のエルヴィン・フォン・ベルツという医学博士がいました。明治天皇や大正天皇の侍医を務め、「日本の近代医学の父」と称えられている人です。この人の進言によってご静養のために沼津や葉山などの御用邸ができました。このベルツ博士が、「和食は日本人に非常に適しているすばらしい食事だ」と言われたそうです。これは自身の体験に基づくものでした。

 ベルツ博士が日光の東照宮に観光に行った時の話です。東京から日光までは140㎞あります。今では道がずいぶん整備されていますが、当時、日光東照宮までの道のりは非常に険しいものでした。ベルツ博士は馬を六回乗り換えて丸二日かけて日光に到着しました。そして日光の風景を楽しんで、また馬を乗り継いで東京に帰りました。ベルツ博士はある日、人力車の車夫に「日光の景色は本当にすばらしい。まさに日本が世界に誇るべき名所だ。機会があれば、ぜひもう一度行ってみたい」と言ったのです。

 すると、車夫が「博士、では次回は私がお連れいたしましょう」と言ったのです。それを聞いた博士がびっくりして言いました。

「何を言ってるんだ。馬でも六回乗り換えたのに、君のような小さな体の人間が、人を人力車に乗せてあの険しい坂を登っていけるわけがないだろう」

 すると車夫が言いました。

「でも博士、私は今まで人を乗せて何度も日光に行ってますよ」

 実際その二年後に、その車夫の引く人力車でベルツ博士は日光に行ったのです。驚いたことに馬で行った時と同じぐらいの時間で、車夫は一人で険しい坂を登り切ったのです。そこでベルツ博士はいたく感心して車夫に尋ねました。

「君は一体日頃どんな物を食べているんだ?」

 車夫は「玄米に味噌に豆と野菜ですね。そしてたまに、懐に余裕のある時に魚を食べます」と答えました。

 ベルツ博士が「肉は食べないのか?」と尋ねると、

「そんなものは食べたことありません」と車夫は答えます。

 ベルツ博士はそこで考えました。

〝そんな粗食でこれだけの力が出せるなら、ドイツの近代的な栄養学に基づいたものを食べたらもっと力が出るだろう〟

 そこで、ベルツ博士は車夫に「実験に協力してほしい」と、牛乳やバター、肉など高カロリーのものを食べさせました。その二週間後、車夫が言ってきたそうです。

「ベルツ博士、申し訳ないけれど、以前の食事に戻していただけませんか。全く走れなくなりました」と。

 よく時代劇で人力車夫が「ひとっ走り行ってくる」という台詞が出てきますが、あれは当時の10里、現在の40㎞くらいのことだそうです。つまり今のマラソンぐらいの距離を、彼らは「ひとっ走り」で走っていたのです。でも食事を変えた途端にその「ひとっ走り」ができなくなってしまったのです。ベルツ博士は驚きました。〝食事を変えたらもっと走れるようになる〟と思っていたのが逆の結果だったからです。

 そして、食事を元に戻すと、車夫はまた以前のように「ひとっ走り」ができるようになったのです。この結果を見てベルツ博士は「和食は日本人に本当に合っている」と結論づけたのです。ベルツ博士はこの実験結果を明治政府に報告しました。

「和食はすばらしいので、西洋式の食事に変える必要は全くありません」と。

 明治政府はその報告を喜びませんでした。なぜなら、明治政府は日本人を欧米人に負けない体格にすることをめざしていたからです。明治政府は〝博士達欧米人は日本人の体格が欧米人並みになるのを好まないからだろう〟と疑って受け止めたようです。

 昨今、「地産地消」とか「身土不二」と言われますが、食はその国・その地域にあったものが一番良いということが言えると思います。ドイツは日本より寒い国なので、脂肪や肉の摂取がどうしても必要になるのです。

 以前読んだ本にこんな話がありました。

 中国の北西にあるチベットのお坊さんが来日した時、チベットではずっと干し肉を食べていたので〝殺生から離れたい〟と願って、日本では野菜だけの食生活にしたのです。するとすぐに体調が悪くなってしまいました。〝もしかして〟と思ってまた肉を食べたら元気になったそうです。そのお坊さんには肉が合っていたようです。

 日本は海に囲まれ、たくさんのすばらしい海からの幸を長い間食べてきました。山の幸もたくさんあります。そうした地元のものを中心に食べていくのが、その国、その地域の人々の体に合った本来の食べ方だと思います。

 京都大学・名誉教授で医学博士の家森幸男先生は、長寿と長寿食の研究を長年しています。この方はカスピ海ヨーグルトを日本で広めた人物としても有名です。家森先生は言われます。

「人は血管とともに老いるのです。健康長寿を全うするためには、血管の病気を予防することが何より大事です。血管の病気には大きく、心筋梗塞と脳卒中という二つがあります。この二つは命を左右する病気であるとともに、寝たきりや認知症などの深刻な後遺症を引き起こしやすい病気でもあります。しかし、私達の研究によれば、心筋梗塞、脳卒中といった血管の病気は食事でコントロールできるのです。健康長寿のためには毎日の食事こそが大事なのです」

 家森先生の大学院時代の話です。遺伝的に脳卒中を起こしやすいラット(ネズミ)に食塩水を飲ませ続けると、すぐに脳卒中を引き起こして死んでしまいました。ところが、食塩水を飲ませた直後に魚や大豆などのたんぱく質の多いものを食べさせると、脳卒中を起こさなくなったそうです。

 つまり、家系的に脳卒中になる可能性が高くても、正しい食生活をすれば、長生きして天寿を全うすることができるということです。NHKがこの実験を何度も番組で取り上げ、「塩分の摂り過ぎは良くない」ということが世の中に広まったそうです。

 家森先生は食と長寿の関係を調べるためにWHOの協力を得て、30年かけて世界25カ国、61の地域を回りました。まず長寿で知られるアフリカ・タンザニアのマサイ族を調べました。マサイ族の人達の血圧を測ってみると最高血圧が平均で116mmHgでした。高血圧の人はいませんでした。〝一体どんなものを食べているのか〟と調べたら牛乳と、それが発酵したヨーグルトでした。そして食塩はほとんど摂っていませんでした。ただ最近は、マサイ族も食塩を摂る生活になって、血圧が少し上がってきたと言います。それでも全世界平均よりはるかに低いようです。それと、食とは関係ありませんが、マサイ族はよく眠るそうです。

 次にコーカサス地方のグルジア(現在のジョージア)に行きました。コーカサスは黒海とカスピ海にはさまれた世界有数の長寿地域で、中でもグルジアが有名でした。ここはセンテナリアンと呼ばれる100歳以上の高齢者がとても元気に楽しく暮らしていました。ここの長寿の秘密は自家製ヨーグルトでした。グルジアの人は昼夜を問わずヨーグルトをよく飲み、その量はドンブリ一杯ほどでした。このヨーグルトを家森先生は日本に持ち帰ったのですが、いつまでたっても腐りません。調べてみると、このヨーグルトは抗生物質的効果があり、インターフェロン(免疫物質)活性を高め、免疫力を上げることがわかったのです。このヨーグルトにはほかにもさまざまな健康増進効果があることが後にわかりました。

 このヨーグルトの菌をもとに、家森先生は「自家製カスピ海ヨーグルト」を作られたのです。

 残念なことですが、近年グルジア人は都会暮らしが増え、牛を飼わなくなったため、自家製ヨーグルトを作らなくなりました。必然的にヨーグルトを食べなくなり、平均寿命も日本より十年以上短くなったそうです。

 また、中国の新疆ウイグル自治区で、農耕民のウイグル族と遊牧民のカザフ族を調査しました。ウイグル族は長命で、カザフ族は短命でした。食生活を調べると、ウイグル族は野菜や果物をよく食べ、ご飯にはニンジンをたくさん混ぜて炊き込みご飯にしていました。一方、短命のカザフ族は野菜をほとんど食べず、塩分の多いバター茶を飲み、脂身の多い肉をよく食べていました。血圧を測ってみると長命のウイグル族は全員が正常値、短命のカザフ族は全員が高血圧だったという話です。

 中国貴州省の貴陽というところも長寿で有名です。脳卒中、心筋梗塞、癌がとても少ないのです。そこでは人々は大豆をよく食べていました。朝は焼いた豆腐の厚揚げのようなものをハンバーガーのようにして食べます。また豆腐ようというチーズのような大豆の発酵食品もあり、多くの大豆加工品がありました。特によく食べられていたのが豆乳鍋でした。豆乳鍋の具がまた豆腐で、麺も入れますが、大豆をすり潰して作った麺でした。副菜は糸引き納豆だったそうです。貴陽を訪れてから、家森先生は『大豆は世界を救う』という本を書かれました。

 家森先生は長寿の秘密を握るものは3つのSだと言われます。SALT(減塩)SEAFOOD(魚介類)SOY(大豆)+ヨーグルトです。

 岡山県高梁市に「百姓屋敷わら」という民宿があります。ここに泊まって食事をするとさまざまな病気が良くなると評判です。癌やリウマチ、アトピーなど、なかなか治らない病気が改善されるそうです。最近はネットショップもやっていて、非常に繁盛しているそうです。

 この「わら」のオーナー兼料理長の船越康弘さんは、妊活(子作り)コンサルタントもしています。食生活の指導が中心で成功率がなんと九割だそうです。船越さんが言われます。

「私は玄米菜食や食養生の指導をしていますが、一番大事にしているのは心です。ある人が重度のリウマチになり、玄米菜食の指導者から食養生の方法を教えられ、実行したところ、数カ月で完治しました。しかし、その指導者から『これを食べてはダメ、あれを食べてはダメ』と言われ、その人は洗脳にかかってしまい、饅頭やケーキを食べただけで数日寝込んでしまうようになってしまいました。これでは何のための食養生かわかりません。私が皆さんに伝えたいことは、〝私達が命をいただいているのは奇跡のようにありがたいことだ〟ということです。その奇跡に心から感謝し、身体を作る食べ物に毎日『ありがとう』を言って作り、食べる。それが身体の質、命の質を上げることなのです」

 船越さんは料理教室を開いておられるのですが、料理を作る前に生徒さん達に必ず言われることがあります。

「皆さん、ウルトラマンになりましょう。皆さんもスペシウム光線を手から出してください。料理を作ってる間中、愛のスペシウム光線を出し続けてください。〝愛する家族や仲間が健康で元気に暮らせるように〟という思いを込めて愛のスペシウム光線を料理に注いでください」

 船越さんは、20歳の頃から今まで四十年間一日も欠かさず料理を始める前に次のように言ってきたそうです。

「天地のお恵みとこれを作られた方のご愛念に感謝して料理をさせていただきます。この食べ物が私達の体の中に入って、自他ともにお役に立ちますように。ありがとうございます」

「わら」では一日に何度もこの言葉が飛び交うそうです。

 船越さんは言われます。

「だから『わら』の料理がおいしくなり、食べた人が元気になり、日本中、いや世界中からのお客さんが後を絶たないのだと思います」

 また船越さんは次のようにも言われます。

「どんなに良い願いや思いを込めて作っても、どんなに良いものを食べても、食べる時の環境が悪いと駄目です。薄暗いところで愚痴や不足を言い合ったりしていたら駄目です。朗らかな気持ちで、みんなで仲良く〝ありがたいな〟という雰囲気の中で食べないと、どんな良いものもその効果を発揮しません」

 今回は食の話をさせていただきました。身体に良いものを食べることは大事であり、さらに作る人の心、食べる人の心がより大事だということです。

 感謝の心で日々暮らしましょう。