徳が人を惹きつける

掲載日:2024年6月1日(土)

 昨今の動画配信サイトは視聴する人の好みを探り出して、その人の興味のある映像をどんどん配信しているため、つい時間の経つのを忘れて見てしまうことがあります。先日もあるサイトを見ていましたら、「朝まで生テレビ」の司会をされている田原総一郎さんが、経営の神さま・松下幸之助さん(現・パナソニック創業者)に対して行ったインタビューの記事がありました。私は松下さんが大好きなので、早速そのインタビューを収録した本を購入しました。
 インタビューの中で、田原さんが松下さんに「社長なり役員なりを抜擢する際に、どこを見て判断しますか?」と聞きました。まず、「頭の切れる人間、つまり頭の良し悪しで評価するのですか?」と訊ねたら、松下さんは「頭は関係ない。むしろ頭がいい人間より悪い方がいい」と言ったそうです。その理由は、「頭がいい奴は小才がきいて、小回りをきかせて、ずるいことを考えて、自分はうまく立ち回ろうとか、得をしたいとか、ろくな考えをもたない。だから頭のいい奴は、どっちかというと不真面目で、性格が悪いのが多いからよくない」ということでした。
 松下さんはその後、学歴について語りました。
「どうも大学に行くと、余計なことを覚えてくる。高校を出たての社員ならば入社してすぐに給料を払っていいけど、大卒は大学に行った四年間はろくなことを習っていないから、四年かけて悪いものを全部取り除かなければならない。したがって、入社四年間はむしろ給料をあげるのではなく、授業料が欲しいぐらいだ。これは偏差値の高い大学も何も関係ない」
 松下さん自身の学歴は小学校中退です。松下さんの家は裕福でしたが、お父さんが米相場に手を出して失敗し、全財産を失い一家離散となってしまいました。9歳だった松下さんは小学校に行くことができなくなり、大阪の火鉢屋に奉公に出されました。後年、松下さんは「ほとんど学校に行っていなかったからよかった。運が良かった。もし、大学にでも行っていたら、わからないことを他人に尋ねることはしなかっただろう。行っていなかったから、わからないのがあたりまえだから、簡単に尋ねることができた。お陰でたくさんの人から良い知恵をもらって会社を発展させることができた」と言っています。これが世に言う『衆知経営』です。
 次に田原さんが「会社の幹部になるには健康が大事ですか?丈夫じゃないといけませんか?」と質問すると、松下さんはこれも否定しました。「健康は全然関係ない。私は結核患者だ。治ったわけではなく、進行が止まっているだけの半病人なんだ」と言われました。実際、松下さんは生涯病弱で、よく床に伏せっていたようです。しかし、「それがよかった」と言います。なぜなら、「あまり健康だと、『俺についてこい』とワンマン経営になる。それが自分は病弱だから『みんな一緒に行こうや』と仲良く、和気靄々とできてよかった。それに、人に仕事を思いっきり任せ、そして人も育ち、優れた人材になってくれた。もし、私が健康だったら、自分で何もかもやってしまい、人も育たず、会社も大きくならなかっただろう」ということです。
 田原さんが次に「では、誠実さで評価するのですか?」と聞くと、松下さんは「それも関係ない」と言います。
「どんなに誠実そうに見える人間でも、窓際にポーンと左遷された途端に誠実ではなくなる。やる気を失ってサボるようになる。会社の愚痴を言うようになる。逆に陽の当たる良いポジションにつけば、誰だって誠実になれる。社員が誠実でなくなったとすれば、それは経営者の責任が大きい」というのが理由です。
「では、どこを見て人間を抜擢するんですか?」と田原さんが聞くと、
「強いて言えば、明るさかな…。頭が良くて、真面目で勤勉、健康も申し分なく、誠実さもあるが、ただ明るさがない人間がいるとする。そういう人間が来ると、会議の空気が冷え冷えする。そういう人間が実際にいる。そういう人間は駄目だ」と松下さんは断言しました。続けて「明るさのない暗い人間が幹部になると、皆やる気を失い、熱気がなくなる。そういうことがままある。暗い人間というのは、いろんなもののマイナスの面ばかり見て、とかく批判的になる。物事というのは表と裏が必ずあって、いろいろな見方ができる。ところが暗い人間は、物事のマイナス面、欠陥、粗ばかり見る。人はその欠陥ばかり指摘されれば、誰だってやる気を失ってしまう。さらに悪いのは、上の人間が欠陥ばかり見ていると、部下もそれを見習うようになる。上の根暗に迎合して、下の人間も皆、批判的なことを言い始める。物事が前へ進まなくなる。明るさが何より大事だ」と言われたそうです。
 田原さんは松下さんに最後、「トップになる人間の条件は何ですか?」と聞きました。松下さんは即座に「運のいい奴だな。運のいい奴じゃないとダメだ」と言われました。松下さんは自ら面接をした時に、「君は運が良いかね?」と必ず聞いていたそうです。それに対して「運が良いと思っています」とか「運が良いです」と言った人間を採用したといいます。
 松下さんの有名なエピソードがあります。松下さんが若い頃、大阪の築港から沖にあるセメント会社でアルバイトをしていた時、その会社まで小さな蒸気船で通っていましたが、ある夏の日の夕方、船べりに松下さんが座っていると、歩いてきた人がふらふらっとしてバランスを崩し、松下さんにつかまり、そのまま二人とも一緒に海に落ちてしまいました。それを普通の人は「運が悪かったですね」と言いますが、松下さんは「いや、いや、運が良かった。わしはやっぱり運が強いなと思ったよ」と言います。理由は「冬であれば、体の弱い自分はそれで一層病気が進むか、ひょっとしたら死んでいたかもしれない。また、すぐに船が気づいて戻って来て助けてくれた。実に自分は運が強い」ということです。
 これ以外にも同様のエピソードがたくさんありますが、松下さんはすべて「自分は運が良い、自分は運が強い」と解釈しています。
 長く松下さんの秘書を務めた江口克彦さんが言っています。
「あらゆることは、どのようにも解釈できるものです。その解釈の方向が肯定的か否定的かということで、まず、運の強さが決まると言えるかもしれません。実際のところ、松下さんの経験したようなことを、私は否定的に考えてしまいます。運の強さとは、自分にふりかかるすべてのことを肯定的に捉えて、自分は運が強いと思える人にのみ身につくものではないかと思います」

 以前、長者番付が公表されていた頃、累積納税額日本一という人がいました。銀座まるかんの創業者・斉藤一人さんです。その斉藤さんが成功の秘訣を何冊もの本に書いています。斉藤さんは中学校しか出ていません。その中学校でも成績は著しく悪かったそうです。普通は「高校にだけは行け」と親に言われますが、言われませんでした。お母さんに「俺、もう勉強大嫌いだから高校行くのやめるわ」と言うと、「そうだね。あんたは学校に向いてないわね」と言われ、即、商売を始めたそうです。斉藤さんは言います。
「そんな私が長者番付に顔を出すようになり、何年も連続で実質納税額が一位になりました。たくさんの仲間にも囲まれて、今とっても私はハッピーです。どうして私は成功者になれたのかというと、私は事業を成功させる方法を知っているからです。その方法とは『ツイてる』と言うことです。ところで皆さんはツイてる人間ですか?では、皆さんのツキ具合をチェックしてみましょう。ある朝、出がけに下駄の鼻緒がプツンと切れてしまいました。〝出がけに鼻緒が切れるなんて縁起が悪い〟と思った人は、否定的な人、ツイていない人です。〝ただ鼻緒が切れただけだ。寿命だったんだな〟と思うくらいでは普通の人。〝出がけに鼻緒が切れてよかった。これが出先だったらひどいことになっていたよ。今ならすぐつなげられる〟〝ああ、ツイてる。別の下駄でも履いていこう〟と言える人がツイてる人間です。『ツイてる』と言うと、実際にツイてることが起きてしまうんです。『ツイてる』という言葉を口にすればするほど、あなたはどんどん自分のツキに気づいていきます。『ツイてる』という言葉を使っていると、ツキの扉の間口が広がり、とてもハッピーな気分になります。そして、この幸せの波動、ツキの波動があなたに増々成功を運んでくるのです」
 昔から日本人は、言霊といって、言葉には特別な力があると考えてきました。斉藤さんもこの事を著書でよく言っていますし、「ツイてる」以外にも「嬉しい」「感謝しています」「ありがとう」というような言葉をいつも使っていると、また言いたくなるような幸せなことが次々に起こると言われています。私も日々使う言葉は本当に大事だと思います。言葉に運命が導かれるということはあるのです。

 松下さんの話に戻ります。秘書の江口克彦さんの本にあったのですが、松下さんは「指導者、経営者が考えなければならないのは、正しいことを示したら、人は動く、社員は、部下は、自分についてくる、と思わないことだ。知力も理論も力も必要だが、それ以上に徳が必要だということだ。多くの人間は情のある、徳のある人に魅かれて命がけで働こうとするものだ」と言われています。
 松下さんは情の人でした。会社を始めて間もない頃、当時は工場と家が同じ場所にありました。松下さんは家に帰ってから、しばらくして、夜、工場に灯りがついていると、工場にもどって社員に声をかけて回ったそうです。「よくやってくれているなぁ。ありがとう」「あんまり根を詰めて遅くまで仕事をしていては身体を壊すぞ。たまには早く帰ってや」「ご飯まだやろ。何かあるから、うちに来いや」等と声をかけられました。
 大会社になってからも、部下に廊下ですれ違ったりした時、松下さんは必ずと言っていいほど、「君、元気か?」と声をかけていたそうです。エレベーターで偶然乗り合わせた、初めて会った社員にも、「君、どの部門で仕事してるんや?」「機嫌ようやってな」と言われていたそうです。部下や社員の人達はとても嬉しかったと思います。仕事への意欲も湧いてきたことでしょう。
 こんなエピソードもあります。松下さんは各地の自分の工場を、どんな小さな工場でも必ず年に一回は見てまわられたそうです。小さなソケットにつける電球を作る工場に行かれた時、工員が電球を磨いていました。それを見て松下さんはいきなり「ええ仕事やなぁ」と言われたそうです。工員さん達が、どうしていい仕事なのかわからずキョトンとしていると、松下さんが続けて、「ええ仕事や。あんたらが磨いている電球はどこで光るか知ってるか?山間の今まで灯りのなかった小さな村で光るんや。そういう所に住んでいる人は夜になると今までは何もできんかったんや。お母さんが家族のために縫い物をしようとしてもできん。子どもが本を読もうと思っても読めん。そこに灯りがつくとな、お母さんは家族のために繕い物もできる。子どもは昼間読んでいた本の続きが夜にも読める。本というのは人間の心を豊かにする。本を読んで子ども達は未来の夢を見るんだ。あんたらは子どもの心を夢の世界に躍らせる手伝いをしてるんや。ええ仕事やろ」
 言われた工員さん達は感激して、中にはボロボロ泣き出す人もあったそうです。松下さんは常々言っておられたそうです。
「相手を尊重し、その人格を尊ぶ。そういう心が大事である。そのためには、笑顔で人に接し、やさしい言葉をかけ、労いの言葉をかける。まず言葉がけが大事である」

 私の体験ですが、先日、京都で身延山の持田法主猊下にご挨拶をした際、持田猊下から、息子の廣修のことを「元気にやっておられますか」とお言葉をいただき、大変嬉しく思いました。人に心のこもった言葉をかけるというのは本当に大事なことだと思います。

 最後に私がほめる達人だと思っている前・横浜市長の林文子さんのBMW東京の支店長時代の話を紹介したいと思います。林さんが女性初の支店長となったのが新宿支店でした。当時の新宿支店の売り上げはBMW東京の十二支店の中でダントツの最下位でした。林さんが店に行くと悪い面ばかりが目につきました。しかし、林さんは悪いところを見るのはやめて、良いところだけを見ようと決心して、積極的に声かけをするようにされました。会議の時に少しでも建設的な意見が出ればそれをほめる。普段おとなしい人が思い切って何か言えば、それをほめる。人知れず努力をしている姿を見たら「よくやっているね」と声をかける。暑い日、寒い日に頑張って外回りをしてきたら、売れなくても「ご苦労さま」と声をかける。いかにも二日酔いなのに遅刻をせずに出社したらそれをほめる。また新宿支店は緑が多いところにあるので支店のロケーションをほめる。「お寺や神社がたくさん近所にあって縁起がいい」と言ってまた支店をほめる。そして、必ず毎朝、「私はここに来て幸せだわ」とみんなに聞こえるように言ったそうです。
 林さんが、前支店長からダメなセールスマンだと烙印を押されたAさんと同行営業に行った時の話です。実際にAさんはやる気の感じられないセールスマンだったそうです。林さんは二十歳も下のAさんに向かって、連れていってくださいと頼んで、お客さんのところではAさんのことをほめ、車に戻ってからは「Aさん、トランスミッションの説明の仕方、本当にお上手ですね。感心しました。今日は勉強になりました」と又ほめ、支店に帰ると「今日は半日あなたとご一緒に仕事をさせていただいて本当に楽しかったわ。一つ今日、わかったことがあります。やはりあなたは〝ダイヤモンドの原石〟ね、これからがとても楽しみです」とほめたそうです。それまで自信のなかったAさんは、林さんの言葉で自信をつけて、その後、トップセールスになったそうです。
 新宿支店は林さんの就任半年で12支店中、達成率トップになり、それから5年間1位をキープし続けたということです。林さんは、この後も行く会社、行く会社で奇跡的な業績を挙げ続けられます。
 松下さんと林さんの著書を読んで私が感じることは、お二人とも愚痴を決して言わない忍耐の人であり、明るい人であり、誠実な人であり、慈悲深く愛情深い人であるということです。
 人生において、又どんな職業においても大事なのは三徳の実行ではないかと改めて思います。