今年は年明け早々に能登半島で大地震が起こりました。数多の家屋が倒壊し、火災が発生し、多くの方々が亡くなり、今尚、不自由な生活を強いられている人々がたくさんおられます。ここで、謹んでご冥福をお祈りし、併せて一日も早い復興を心より願うものであります。今回、世の中というものは何が起きるかわからないということを改めて痛感いたしました。
災害以外にも、病気、災難というものが不意に襲ってくることがあります。そういう時に〝さあ一大事だ〟と誰しも慌てふためくものです。そうならないために、先師は〝普段からお題目と三徳の修養を怠らないことが肝要である〟と言っておられます。
私の若い頃の話です。広島の福山支院に行った時、ある女性から「お神通をかけてほしい」と頼まれ、神通がけをさせていただきました。その方は大層痩せておられて、つらそうでした。事情をお聞きすると、「肝臓ガンの末期で腹水も溜っている」ということでした。「今度入院したら支院にはもう来ることができないと思います」とも言われました。その後、入院された病院からお礼の手紙が届きました。そこには「人生の最期を迎えるにあたって、お題目と三徳の教えがあるので、何も恐れるものはありません。安らかな気持ちでおります。ありがとうございます。また、周りの患者さん達にも『お題目を唱えると心が楽になりますよ』とお題目を勧めています」と書かれていました。私はとても感銘を受けたことを今も昨日のことのように思い出します。この方のような心こそが修養の賜物であろうと思います。
日々の修養とともに大事なことが備えであり、蓄えであろうと思います。
経営の神さまと言われた、松下幸之助さんが、講演でたびたび「ダム式経営」という話をしておられます。まず松下さんは上杉鷹山の話をされました。
鷹山は米沢藩(現在の山形県東南部)の藩主で、名君として名高く、キリスト教の思想家・内村鑑三の『代表的日本人』のうちの一人に挙げられた人物です。鷹山は養子として米沢藩に入り、17歳で藩主になりました。当時の米沢藩は数百万両という莫大な借金がありました。また、鷹山が家督を継ぐ前には大飢饉があり、領民が大勢亡くなりました。そうしたことを鑑みて、鷹山は大倹約令を出し、自らも質素な生活をしました。そして、蓄えられたお金によって殖産興業が盛んになり、藩は繁栄していきました。また、浅間山の大噴火の時には飢饉で隣国では大勢の人が亡くなりましたが、米沢藩ではお米の備蓄によって一人の死者も出さなかったということです。
松下さんは、「この上杉鷹山を手本にしなければいけない。それがダム式経営だ」と言われています。
ダムは河川の水を流しきりにせずに、水の多い時はこれを蓄え、乾期に放流して水量の調節を計り、さらにそれを発電や灌漑に利用します。そのようなやり方、考え方は国家の運営、企業の経営、人生全般に応用できるものだと松下さんは言われます。企業家は時々の社会情勢、即ち好景気、不景気に左右されない安定的な経営を心掛けなければいけません。それがダム式経営なのです。
現代の経営の神さまと呼ばれた稲盛和夫さんが若い頃、ある講演会で松下さんの「ダム式経営」の話を聞いていました。講演後、聴衆の一人が手を挙げて質問をしました。「松下さん、ダム式経営が良いのはわかりましたけど、どうやったらそれができますか?」。すると松下さんは「わかりませんな」と言いました。その発言に聴衆はざわつきました。その後、松下さんは「まずは、〝そういう経営をするんだ〟と強く思わないといけません」と言いました。それを聞いていた稲盛さんは〝そうだ、そういう経営ができたらいいなではなく、そういう経営をしなければという思いをしっかりと持たないといけない〟と思われ、その後の人生に活かされたそうです。
私はよく新渡戸稲造博士の『修養』をお話しさせていただきますが、新渡戸博士は『修養』の中の「貯蓄」という章で次のように言っておられます。
「人には三段の種類がある。第一は、余力あればただちにすべてこれを乱用する者で、これすなわち最も劣等なる徒である。第二は、乱用することを恐れて、なるべく余力あるように不足なきを喜ぶ者、これは中等の人。第三は、余力あればなおさら節度を守り、今日必要でないものは、他人あるいは後日のためにこれを貯蓄する者、これは最上である。人はここに達せなければ、いまだ動物に縁の近い人間たるを免れぬ」
新渡戸博士が札幌農学校(現在の北海道大学)で官費生として学んでいた頃に、江戸っ子のように“宵越しの金は持たぬ”という学友がたくさんいたそうです。そんな中、一人だけ真逆の人がいました。みんなとは付き合わずに、コツコツとお金を貯めていました。みんなからは「吝嗇」と言われていました。新渡戸博士は、みんなから「ちょっとあいつに少しは付き合うように言ってくれ」と頼まれて、彼に注意をしたことがあったそうです。すると彼は「僕は将来のことを考えて無駄遣いはしないんだ」ときっぱり断ったと言います。
それから時を経て、新渡戸博士が彼に会いました。みんなから「吝嗇」と言われた彼は当時のお金で数万円(今のお金で数億円)の貯金を持っていました。土地を買って家を建て、子どもが5~6人あり、親を養い、奥さんは生活の心配が何もなかったということです。〝宵越しの金は持たない〟的な学友達は、困窮して彼のところにお金を借りに行っていたそうです。まるでイソップ物語の「アリとキリギリス」です。新渡戸博士に会うなり、彼は「新渡戸君も困っていたらいつでも貸してあげるよ」と言い、付け加えて「在学中には君に忠告されたことがあったね」と笑ったそうです。新渡戸博士は、「その時は本当に汗顔に堪えぬ次第であった」と言っておられます。
新渡戸博士は真に偉大な人物としてジョンズ・ホプキンズというアメリカ人を挙げています。この人はジョンズ・ホプキンズ大学という超一流の大学とジョンズ・ホプキンズ・ホスピタルという超一流の病院の創始者です。財産のすべてを大学と病院のために費やし、最高の大学と最高の病院を創るという目的のために結婚もしませんでした。当時できたばかりの電車にも乗らず、徹底して倹約を通しました。親しい銀行家が親切から「あなたも、もう年をとられたし、遠くに行く時くらいは馬車ではなくて、電車に乗られたらどうですか」と言うと、ジョンズ・ホプキンズは「私には二つの目的がある。世の人々のために最高の大学と最高の病院を創らないといけないのだ。まだまだ志半ばだ。そんな贅沢はできない」と言ったというのです。
昔、東京帝国大学(現・東京大学)の教授でありながら億万長者となった本多静六という人がいます。本多博士は東京帝国大学の林学の教授でありながら、当時の淀橋区の長者番付で一位になった人です。また、林学の第一人者として日比谷公園や明治神宮の鎮守の杜をはじめ数多の公園を設計され、「日本の公園の父」と呼ばれました。
本多博士が貯蓄を始められたのは、ドイツ留学時に師事した財政経済学の大家、ブレンターノ博士の言葉によるのです。ブレンターノ博士は本多博士の帰国に際し、次のように言いました。
「君もよく勉強するが、今後、今までのような貧乏生活を続けていては仕方がない。いかに学者でも、まず優に独立生活ができるだけの財産をこしらえなければ駄目である。そうしなければ常に金のために自由を制せられ、心にもない屈従を強いられることになる。学者の権威も何もあったものではない。帰国したらその辺のことからぜひしっかり努力してかかることだ」
このブレンターノ博士は四十余歳でかなりの資産家であったそうです。そして、本多博士が帰国してすぐに始めたのが「四分の一天引き貯蓄法」です。これは給料が入った時に四分の一をすぐに貯金して、初めから四分の一はなかったものとして、四分の三で生活し、原稿料等の臨時収入はすべて貯金していくのです。ここで本多博士のおもしろいエピソードを紹介します。
本多博士が39歳の時、東京帝国大学が中心となって学士会館を設立しようという話が起こりました。本多博士のところにも、応分の寄付をして欲しいという申し入れがありましたので、本多博士は自分が持っている財産を考慮して、千円(現在の一千万円)という、応分と思われる寄付をすることにしました。ところが、これが問題になったのです。千円の寄付をした教授は博士のほかに、ビタミンB1の発見で名高い鈴木梅太郎博士しかいませんでした。鈴木博士の場合は、製薬会社の顧問をしていることは有名でしたので、鈴木博士が千円の寄付をしても誰も驚きませんでした。しかし、本多博士はそうではありません。〝一介の大学教授が、どうしてそれだけの大金を、しかも一度に払えるのか〟と怪しまれることになったのです。結局、「本多は何かよからぬことをしているに違いない」という話になり、農学部内で本多博士に対して辞職勧告決議がなされてしまったのです。そして、本多博士のもとに二人の代表者がその通告にやってきました。それに対して本多博士は任官以来の家計簿と預金通帳、株券をすべて見せて、自分の収入が学校からの給料と原稿料以外にないこと、そして今の財産は四分の一貯金によって積み立てられたものが元になっていることを証明しました。これには、二人はただ驚くばかりだったそうです。
後日、二人のうちの一人、横井という教授が貯蓄法を熱心に聞きに来たそうです。
本多博士は貯蓄だけの人物ではありません。昭和2年、東京帝国大学定年退官に当って、西郷南洲の遺訓の如く「児孫のために美田を買わず」と新たな決意をし、必要最小限の財産だけを残し、他は全部、学校・育英・公益の関係諸団体へ寄付したのです。この時、大学での寄付の苦い体験から、世間の誤解を避けるために、すべて匿名、又は他人名義で寄付をしました。この後、本多博士は御礼奉公として社会奉仕に専念しました。
本多博士は「職業の道楽化」ということを提唱されています。
「私の体験によれば、人生の最大幸福は家庭生活の円満と職業の道楽化にある。そうして、私はこの二つを十二分に体得してきたものと感謝している。すべての人が、各々その職業、その仕事、その職責に全身全力を打ち込んでかかり、“日々の勤めが愉快でたまらぬ、おもしろくてしょうがない”というところまでくればよろしいのである。いわゆる三昧境である。それが立派な職業の道楽化である。そうして、この職業の道楽化は、それ自体の愉快、それ自身のおもしろさで充分報いられるばかりでなく、多くの場合、その道楽化のカスとして、金も、名誉も、生活も、知らず識らずのうちに恵まれてくるに至るものである。職業を道楽化する方法はただ一つ、“努力また努力”のほかはない」
お金等を「カス」と言われるのは大変おもしろいです。しかし、カスが知らぬ内にたまるが如く、お金が貯まるまでにはよほど仕事に専心しなければいけないと思います。
今回、貯蓄のお話をしましたが、お金の貯蓄もジョンズ・ホプキンズや本多静六博士のように徳の貯蓄につながっていかなければ意味がないと思います。
最後に新渡戸稲造博士の『修養』の「貯蓄」の章から徳についての言葉を紹介して締めたいと思います。
「徳には名誉も黄金も及ばぬ快楽がある。人の知り得られぬ楽しみがある。暗夜も畏るることなく、朝起きて日光の輝けるを迎うれば、実に日光を心に反射し、雨が降っても風が吹いても、胸中は常に嬉々として、晴れた天のごとくである。いたるところに楽地ある心地して、人々の味わうことのできぬ快楽がある。巨万の富を積むも、到底買うことのできぬ満足を得ることができるのである」
徳の貯蓄はいかなる人も、意志さえあれば必ずできるものです。皆さん、お互いに徳を積みましょう。