最近、二回続けて宗門の方の御葬儀に参列させていただきました。最初は私が若い頃から大変お世話になった方でした。
そのお通夜の席で、私と同い年で昔から仲良くさせていただいているお上人と偶然お会いしました。その時に「最近、少し体調を崩している」と言っておられ、「また体調が良くなられたら、お食事でもご一緒しましょう」とお話をして別れました。
その二日後の朝です。その方が亡くなられたという電話が入りました。「体調を崩している」と言われていましたが、とてもお元気そうでしたから大変びっくりしました。
すぐに弔問にうかがいました。そこで、お庫裡さまから、寝ている間に不整脈が起こって亡くなられたとお聞きしました。人生の諸行無常を感じずにはいられませんでした。
人生には何が起こるか本当にわかりません。
最近、世界的なニュースになった潜水艇の事故がありました。3800メートルの海底に沈んでいるタイタニック号を見に行くという探索ツアーで、タイタンという潜水艇が行方不明になり、結局、乗客・乗員、全員が亡くなったという事故です。
爆発的な力で潜水艇は圧縮され、破壊されたことから、メディアの一部は「爆縮」と報じていましたが、実際は圧力による破壊なので「圧壊」という言葉が適切だそうです。水圧は10メートル深くなるごとに1気圧ずつ高くなるため、水深3800メートルでは380気圧です。380気圧とは1センチ四方に380キロの重さがかかるという、想像を絶する圧力です。その水圧によって潜水艇は一瞬で潰され、その際に起きる「断熱圧縮」と呼ばれる働きで船内の温度は6000~8000℃近くまで上昇したと見られるそうです。5人の乗客・乗員は1ミリ秒(1000分の1秒)ももたないうちに潜水艇もろとも圧縮され、超高温下で人体は跡形もなく消えてなくなったと考えられるそうです。
乗客・乗員、全員が自分の死に気づいてすらいなかったのではないかとも言われています。ただ、この悲惨な海難事故に被害者の友人の一人は「彼らが苦しまなかったのであれば、せめてもの救いだ」と言っているそうです。
本当にどこに死が待っているかわからないものです。
以前に聞いた話です。お通夜の席でこんな説教をされたお坊さんがいたそうです。
「皆さん、今日は故人からの最後にして、最大のメッセージがあります。それは《みんな死ぬぞ。だから心して生きよ》です」
今回、お通夜に参列した時に私は本当にその通りだと感じました。
「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という一節で有名な『葉隠』という書物があります。佐賀・鍋島藩士の山本常朝という人が語ったことが本になったものです。
山本常朝は言います。
「身分や老若に関係なく、人は悟っても死に、迷っても死ぬ。とにもかくにも、人は死ぬ定めなのである。誰であれ、このことを知らないわけではない。実は、極意というものがここにある。誰もがやがて死ぬと知ってはいるものの、自分だけは皆が死んでしまった後に死ぬように錯覚して、まさか今にもその順がめぐってくるとは少しも思っていない。寂しいかぎりではないか。死というものに対しては、何も役に立つものはなく、現実はまるで夢の中の戯れにも等しい。このことをよく自覚し、決して油断してはならない。それが極意である。今すぐにでも起きる問題なのだから、しっかり心の準備をしておくことだ」
本当にこの通りだと思います。死を前にしては身分も老若も、悟っている人も迷っている人も何も関係ないのです。
法音寺では始祖の杉山先生以来、「今日一日を一生懸命に生きよ」と教えられています。これが何より大事なのです。いつ死が来ても後悔のないように、今日一日を、今を一生懸命に生きるのです。杉山先生は「明日、死んでも悔いのないくらい今日、精一杯徳を積みなさい」とよく言われたそうです。 しかし、私達は凡夫ですから大なり小なり後悔をするものです。皆さんはお彼岸やお盆になりますと、お墓参りに行かれると思います。私も行きます。その時、日達上人のお墓の前で手を合わせますと、〝もっと親孝行すべきだった〟という思いでいっぱいになります。家内のお墓はまだありません。遺骨が自宅の仏壇に祀ってあります。一周忌に納骨をしようと思っています。毎朝・毎晩、家内の遺骨に手を合わせながら、やはり思います。〝もっと色々なことがしてあげれたのではないか〟と。しかし、これは仕方のないことかもしれません。誰でも身内や友人を亡くすと、そういう後悔や懺悔の念がついて回るものです。
平成19年に亡くなった世界的な建築家・黒川紀章さんは、亡くなる直前に都知事選や参議院選に出馬され、バラエティー番組にも出演されました。
奥さんの若尾文子さんは、黒川さんがもう死を迎えるという時に懺悔をされたそうです。若尾さんが「私は仕事でよく家をあけて、いい奥さんではなかったですね。ごめんなさい」と言うと、黒川さんは「何を言っているんだ。大好きだったんだから。君がいてくれるだけで幸せだったんだよ」と言って最期に手をぐっと握られたそうです。いい話だと思いました。若尾さんも気持ちが楽になったのではないかと思います。
黒川さんは世界中で建築を手掛けられていました。どの建物も必ず竣工式の直前に若尾さんを連れて、自家用ジェットで見せに行かれたそうです。飛行場が近くにない場所では、その上空を飛行機で旋回するだけのこともあったそうです。
完成した自分の作品を若尾さんに見せる時が、黒川さんにとっては至福の時だったのではないでしょうか。
以前、『死ぬ時に後悔すること25』という本がベストセラーになりました。その本を読んだ時に〝人間はしなかったことに対していろいろと後悔をするものだ〟ということを学びました。その本の中で著者の大津医師が「心の優しい人は後悔が少ない」と言っています。
「人をいじめることがよくあるのなら、心を入れ替えた方が良い。優しさが足りないのならば、優しさを意識したほうが良い。それらは死が迫った時の、後悔の一因となる。他を蹴落とし、どんな勝負に勝ってきたとしても、同じように努力しても決して勝利できないのが死である。けれども、生の終わりを敗北でなく、完結ととらえられるのならば、死は恐るべきものではなくなる。単なる浅い気遣いではなく、他人に心から優しくしてきた人間は、死期が迫った時、自分にも心から優しくできるものだ。だから真に優しい人は、死を前にして後悔が少ないのである。人間を愛して止まなかった、本当の優しさを持った患者さん達を私はたくさん知っている。彼らの微笑みは、どれだけ時を経ても、私の脳裏に刻み込まれている。彼らは後悔の先にあった。優しさがそれを導いたのは間違いない」
『オグ・マンディーノ人生を語る』という本があります。オグ・マンディーノはアメリカの成功哲学系の作家です。オグ・マンディーノはこの本の中で、自分が体験した真の成功法則を17のルールとして紹介しています。そのルール10「今日一日かぎりの命のつもりで人に接する」が今回、参考になると思います。
「もし今日会った人々が、その日の終わりまでに永遠に逝ってしまうとわかっていたら、その人とどう接しますか。どうするか、おわかりですね。これまでより、思いやりと心遣い、優しさと愛情をもって接するはずです。そして、相手はあなたの優しさにどう反応するでしょうか。無論、あなたがこれまで他の人から受けたことがない程、思いやりや労り、協力的な態度や愛情を示すはずです。これを毎日繰り返すとします。そして、そうした無私の愛情で一日を満たせば、あなたはこの先どうなるでしょう。すでに笑みを浮かべておいでですね。答えはおわかりのようです」
オグ・マンディーノが言うように、朝起きてから会う人すべてに対して、〝この人は今日限りでいなくなるのだ〟と思ったら、必ず優しく接することができるはずです。これを毎日繰り返していけば、必ず後悔のない人生となり、真の幸せを手に入れることができると思います。
私は毎週『日本講演新聞』という週刊の新聞を購読しています。その中部支局長の山本孝弘さんが「人に対する思いやり」についてエッセイを書いておられます。
山本さんは若い頃に東京のステーキ屋さんで働いていたことがありました。家族連れで来ていたお父さんに、山本さんが「お肉の焼き加減はいかがなさいますか」と聞くと、「生姜焼きで」と言われました。山本さんは恥をかかせないように、とっさに「ではソースはジンジャーソースにいたしますね。お肉はよく焼いた方がいいですか。普通がいいですか」と聞き方を変えられたとのこと。ただ、奥さんが気の強そうな人で「あんた、何バカなことを言ってるの」とお父さんが叱られて、気の毒になったという話ですが、その店ではお客さんに対するいろいろなマニュアルがあったそうです。例えば高齢の方が誤って客席で失禁してしまったという場合には、ピッチャーで水のおかわりを持っていき、わざと足を滑らせてお客さんの下半身に全部かけて、演技で「申し訳ございません」と謝り、お客さんをバックヤードにお連れするのだそうです。絶対にお客さんに恥をかかせないようにするという、そういう思いやりのある店だったということです。
私が学生時代に東京にいた時に、よく通ったおいしいスパゲッティ屋さんがありました。仲のいい友人とよく行ったのですが、ある日のお昼に行った時、私が食べ終わると、隣の友人がめずらしく残しているのです。「どうしたんだ」と聞くと「いやあ、ちょっと」と言って、そのままお店を出ましたが、もう一度「どうして残したんだ」と聞くと「小さなゴキブリが入っていた」と言うのです。お客さんがたくさんいるお店の中で「ゴキブリが入っていたよ」と言うと、お店にものすごく迷惑になると思い、食べるのをやめて、ゴキブリをスパゲッティで隠して残してきたというのです。その時の友人の心遣いに感心したのを山本さんの話から思い出しました。
山本さんが次に働いた会社でのことです。ある時、上司に報告書を提出しました。その会社は紙を無駄にしないように裏面もちゃんと使うように奨励されていたので、そのように出しました。すると上司がその報告書を読んで烈火のごとく怒りました。叱られながら山本さんは〝違う面を見ているな〟と気づきました。上司は何カ月も前の報告書を見ていたのです。山本さんは即座に言うと上司の立場がなくなると思い、やんわりと「反対の面を見ていただけますか」と言い、さらに「私の提出の仕方が悪かったです」と謝りました。すると上司は一瞬、〝しまった〟という顔をしたのですが、「提出の仕方が悪い」とまた怒ったというのです。その日の夜はどうにも納得がいかず、眠れなかったそうです。でもその後、やはり相手を立てて正解だったと思ったそうです。それというのも、何となく次の日からその上司の態度が変わり、自分を信頼してくれるようになった気がしたというのです。山本さんが、恥をかかせないように気を使ったことに上司は気づいていたのです。
デール・カーネギーが大ベストセラー『人を動かす』の中で言っています。
「私は残念ながら40歳近くになってやっと、〝人間はたとえ自分がどんなに間違っていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだ〟ということがわかりかけてきた。他人のあら探しは、何の役にも立たない。相手はすぐさま防御態勢を敷いて、何とか自分を正当化しようとするだろう。それに自尊心を傷つけられた相手は結局、反抗心を起すことになり、誠に危険である」
「人を非難するかわりに、相手を理解するように努めようではないか。どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えてみようではないか。その方がよほど得策でもあり、また、おもしろくもある。そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれ出てくる」
ひすいこたろうさんというコピーライターがいます。この人はコピーライターが本業ですが、本もたくさん出されています。その多くがベストセラーになっています。ある時、本の原稿の締め切りが迫っている中、コピーを何種類か考える仕事を依頼されたことがあります。断り切れず一生懸命、寝ずに考えて提出したところ、担当者から電話がありました。担当者はとても言いづらそうに「企画が変更になりまして、大変申し訳ないのですが全部ボツになりました。三日後までにまたお願いできませんでしょうか」と言ったそうです。
それに対してひすいさんは「気にしないでください。よくあることじゃないですか。何度でもやりますよ」と言ったそうです。ひすいさんはこういう場合〝相手が困っている時こそ、相手の想像を超えることをすると自分も限界を超えられる。また相手の心の中で自分が伝説になるチャンスだ〟と思うようにしているそうです。これ以後、その担当者はギャラの高い仕事をひすいさんに回してくれるようになったとのことです。
ギャグ漫画家・赤塚不二夫さんが『天才バカボン』の連載をしていた時の話です。締切りの前日に、原稿を若い編集者に手渡しました。少しして、その編集者が慌てて戻ってきました。赤塚さんが「どうしたんだ」と聞くと、編集者は「先生、申し訳ありません。原稿をなくしてしまいました」と言うのです。タクシーの中に置き忘れて、そのタクシーがわからないというのです。普通の人ならそこで「何をやっているんだ」と怒ります。しかし、赤塚さんは今にも泣き出しそうな編集者に対して「そうかそうか。大変だったな。すぐにもう一度描いてやるから心配するな。その前に一杯、飲みに行くか」と言ったそうです。
編集者が「先生、そんなことよりも」と言うと、赤塚さんは「いいからいいから。帰ってきたらすぐに描いてやるから。ちゃんとネーム(脚本)が残っているから大丈夫」と言って二人で飲みに行ったそうです。帰ってからすぐに原稿を描き上げると赤塚さんは「二度目だから、前回よりうまく描けたよ」と言って編集者に渡したそうです。すばらしいですね。こういう人間になりたいものです。
その後、タクシーの運転手さんが赤塚さんのところに元の原稿を届けてくれました。すると赤塚さんは編集者を呼んで、「この原稿は君にあげるから、二度と同じ失敗をしないように、これをお守りとして持っているといい」と言ったそうです。その編集者は赤塚さんが亡くなるまで三十五年間その原稿を持っていたそうです。そして、赤塚さんのお葬式の後に赤塚さんの娘さんに返したということです。
ひすいさんの話にしても、赤塚さんの話にしても、人に接する時にはいつも堪忍と慈悲が大事だということがよくわかります。 今日一日とともに、一期一会の精神で世に処し、人に接することが肝要であると思います。