今年、プロ野球セントラルリーグは広島東洋カープが25年ぶりに優勝しました。それも圧倒的な強さでした。勝因として第一にあげられているのが強力打線です。
石井琢朗コーチが選手たちにさせたのは、まるで高校野球のような極めて基本的な練習である素振りでした。キャンプ中は毎日千回の素振りを選手に課し、シーズン中も球場の壁際ぎりぎりで行う素振りを徹底させ、今ではそれがチームの名物になっているほどです。
一流選手ならではの姿勢
素振りで思い出すのは松井選手とイチロー選手です。松井選手は子どもの頃から一日も休まずに素振りを続けたそうです。ジャイアンツ入団後も長嶋監督の指導のもと素振りを続けたのは有名な話です。こんな話があります。ジャイアンツが日本一になり、チーム全員でハワイに祝勝旅行に行った時、松井選手は元木選手と同部屋でした。元木選手が夜遅くお酒を飲んで帰ってくると松井選手の姿がありません。珍しくどこかに出かけているのかと思ったら「ブンッ、ブンッ」という音がベランダから聞こえてきたそうです。松井選手はベランダで、いつもと変わらぬ素振りをしていたのです。
イチロー選手にも素振りにまつわる話があります。イチロー選手が愛工大名電高校に入学した頃、野球部員は全員寮生活でした。一年生は先輩の世話や雑用で、まともな練習ができません。それが嫌で脱走する生徒もいたそうです。そんな中、夜中に先輩が部屋を見回ると、イチロー選手の姿がありませんでした。そこで一年生全員がイチロー選手を探しにいきましたが見つかりません。みんながどうしたのだろうと心配しましたが、それから一時間程経った時、イチロー選手が汗まみれで寮に帰ってきました。先輩が「一体どこに行っていたんだ」と叱責すると、イチロー選手は「陸上競技場にある幅跳び用の砂場で素振りをしていました。砂場で素振りをすると砂に足を取られそうになるから踏ん張るので、足腰が鍛えられて一石二鳥なんです」と答えたそうです。先輩も同級生もイチロー選手の、寝る時間を割いての素振り練習に感心したそうですが、誰も真似はしなかったようです。
野球において素振りは基本中の基本です。いわば平凡な練習かもしれません。しかし平凡なことを弛まず続けることによって、非凡な成果が得られるのだと思います。
新渡戸博士の「継続心」
五千円札で有名な新渡戸稲造博士が著書『修養』の中で「決心の継続こそが修養の根幹である」とおっしゃっています。
「何事でも継続することについてはすこぶる困難がある。継続心を害するものは、内部の心から発することもあり、また外部より来ることもある。しかして、ともにこれに打ち勝つことは容易ではない。途中に挫けやすい。しかし、人が大事を成すと否とは、一に懸ってこの継続にあるのだから、いかなる困難を排しても継続心を修養しなければならぬ」
「決心は九分の成就」と言います。確かに決心をすることは大事ですが、それを継続しなければ意味がありません。
新渡戸博士がドイツに留学されたとき、何冊も本を書いている高名な教授に「本を書いているときに途中で嫌になることはありませんか」と尋ねたことがあったそうです。博士は若い頃、まとまった文章を書いていると途中で止めたくなることがあったので、その教授に尋ねたのです。すると、教授は「私も書物を書き出して中途から先になると、嫌で嫌でたまらなくなる時がある。そんな時はもう『中止しよう』と思うのだが、それを我慢してやると、いつしか完成するものなのだ」と言われたそうです。それを聞いて「どんな仕事でも、どんなに立派な人でも、嫌になることがあるものだ。心が挫けそうになった時、『もう一息、もう一息』と自分を鼓舞していかなければ」と悟ったということです。
新渡戸博士は継続のコツとして、一定の年限を設けてその間をまず頑張ることを勧めておられます。博士が学ばれた札幌農学校の設立者・クラーク博士は学生に「飲酒・喫煙・賭博」の三つを禁止することを誓わせました。それは、二人の保証人をつけて誓いの文を読むという厳粛なものでしたが、「在学中だけ」という期限つきでした。これに対して「在学中だけでは効果がない」という人もありましたが、実際には、在学中に厳重に誓いを守ることによって一生誓いを守り通した、という人もかなり多かったのです。
法音寺の『今日一日の堪忍』も同じです。御開山上人は杉山先生から当初「半日の堪忍をしなさい」と言われたそうです。「半日できたら、もう半日と続けなさい」と。これが一カ月、半年、一年となり、御開山上人のご生涯にわたって堪忍が守られたのです。
また博士は、決心を継続するための日常のコツとして、札幌におられた時、学生に「ここだな」という観念を持つことを教えられました。これは、何かあった時に「平生自分が修養しているところの価値が試されるのは『ここだな』と思って力を入れてやる」ということです。例えば「勉強をしていて怠け心が出たら『あっ、ここだな』と反省して、勉強に戻る。早起きすることを続けていて、朝起きたくない時に『あっ、ここだな』と思って眠い目をこすって起きる。怒気が生じた時には『ここだな』という観念をより強くして怒りに堪える。しかし、怒りに関しては、毎朝起きる前に、常に『今日は断じて怒気を起こすまい』と予防薬を飲むように心掛けるなら、きざしかけた怒気も、これを抑えやすくなる」と言っておられます。
修養によって人間の器が作られ、そして磨かれていきます。
大隈重信公の「人間の器」
最近『人間の器量』という本を読みました。その中に興味深い話がありました。
大正から昭和にかけて活躍した政治評論家が若い頃、ある新聞で、早稲田大学の創立者であり、後に日本の総理大臣を務めた大隈重信公を徹底的に批判しました。大得意になって、「どれだけ大隈が意気消沈しているか見てやろう」と早稲田大学を訪ねました。すると応接間に現れた大隈公はにっこり笑いながら「おお、元気にやっちょるのう」と言って、機嫌良くソファに腰かけ、何のわだかまりもなく話をしたそうです。
大隈公が人間の器の違いを見せたということですが、実はもともと大隈公はこういう人ではなかったのです。「怜悧で剃刀のような人」だったそうです。くだらないと思った人間とは全く話をせず、選び抜いた少数のエリートとしか会わない、触れれば切れるような人だったのです。幕末維新期の著名な政治家・木戸孝允が「妖刀村正のような人間だ」と評したほどです。
こういう性分ですから、周りに人が集まりません。人が集まらなければ政治家は務まりません。ついには、大隈公よりはるかに見識も能力も劣る人間が政治の中枢を握り、政府から追放されてしまいました。
それを見ていた、かつて大隈家の居候だった実業家・五代友厚氏が大隈公に手紙を送って忠告しました。
「愚説愚論を聞くべきです。一を聞いて十を知ってしまうのが閣下の短所です。地位の下の人間が、閣下と少しでも近い意見を述べたらすぐに採用すべきです。他人の論をほめ、採用しないと徳は広がりません。怒るべからずです。怒気怒声は絶対禁物です。事務の処理は急ぐべからずです。ゆったりとやってください。進んで、嫌いな人とも交際するべきです」
大隈公が偉いのは、かつて居候であった人の献言を受け入れたことです。以来、訪ねてくる人間とは誰とでも会うことにし、どんな愚説愚論も終わりまで聞き、ちょっと良いと思った提案はすぐに採用し、決して怒らず、処理を急がず、大嫌いな相手とも交際するという流儀に変えたのです。百八十度の方針転換です。この時、大隈公は五十歳を越えていました。功なり名を遂げた後です。誰でも受け入れるので、一時、大隈家の居候は百人近くになったといいます。
また、ある日の午前中は「禁酒同盟」で協賛演説をし、午後には「酒造業組合」で記念演説をしたという伝説があるくらい、頼まれることは何でも引き受けたのです。
こうして、大正3年、第二次大隈内閣を成立させ、翌年の総選挙では立憲同志会を率いて万年与党であった政友会を破ったのです。
この話でわかるのは、人間の器量は修養によって大きくなり、また何歳になっても変わることができるということです。決心すれば明日からでも、いや今からでも変わることはできます。ただし、その決心を継続しなければなりません。
※『人間の器量』福田和也著(新潮新書)