村上先生と「堪忍」の教え

掲載日:2023年4月1日(土)

法音寺の二祖である村上斎先生は昭和22年2月3日、午後1時46分にご遷化されました。92歳の文字通り天寿を全うされました。村上家は長寿の家系で、娘さんも90歳近くまで、息子さんは90歳過ぎまで生きられました。
 ご遷化される少し前、1月29日の朝、村上先生は「もう無上道に帰るのだから、枕を北枕にしてほしい。多分、五日後の午後2時頃に帰ります」と言われました。
 それから、各方面に村上先生がご病気であるということが通達されました。そして30日の正午頃、「私は無上道に帰るのであるが、私の徳はすべてここに置いていくから、皆さん堪忍強く、慈悲深く、真心広く修行してください。お互いの力次第で大きな徳の人となれます」と言われて、右手を握っては広げてを繰り返されました。握りこぶしは堪忍を表しています。堪忍の大事さを最後まで伝えられたのです。
 31日の夜、御開山上人を手招きして、「今眠っている間に私は極楽へ行ってきました。実にきれいなところで、たくさんの仏さまのおられるところでした。仏さま方は私を取りまいて、ご苦労さま、ご苦労さまと労わってくださって、本当にうれしかったです」と語られました。
 2月1日、ここでご遺訓を村上先生に代わって御開山上人がお見舞いの方々に伝えられました。
「妙法蓮華経は慈悲・至誠・堪忍、因と果の五つです。三徳を実行して善因善果、悪因悪果ということを知って功徳を重ねていけば、必ず仏に成れます。妙法蓮華経の妙は〝よみがえる〟ということです。災いを転じて福となす。貧者を富者とする。病者を健康者とするということです。また大きく言えば地獄の者でも仏にするということです。仏になるためには百千万億の仏をご供養しなければいけません。これは、これから仏になる世の中の人達のことです。自分の周りの夫、妻、父母兄弟、隣人などに対して仏を敬うが如くしなさい。また朝起きて掃除することも、みな仏のご供養です。炊事をすることも、又商売をすることも、みな仏が相手です。敬いの心を持って接してください。人々の心に安心を与え、便利を与え、喜ばすように心掛けてするのは、みな仏のご供養です。こう考える時、仏のご供養は随分多いのです。毎日の働きは本当に意義があり、毎日がうれしい日となるのです」
 この後、村上先生は御開山上人の手を両手で握って「それではどうぞお願いします。私の体はなくとも、魂はここにいて、今までよりも働きます。何もかもお渡しするのでお願いします」と言われたのです。ご遷化された2月3日は大雪でした。予言された通り、午後2時頃に大往生を遂げられました。
 村上先生は元々愛知医専(現名古屋大学医学部)に勤めるお医者さんでした。村上先生はかなりの資産家でしたが、人に騙されてすべて失ってしまわれました。その上、奥さんと二人の子どもさんにも出て行かれて、もう死にたいと思っておられました。そこに杉山辰子先生が尋ねて来られたのです。杉山先生は妙法と医薬によって世の人々を救おうと思われ、その協力者を探しておられたのです。そこで出会われたのが村上先生でした。杉山先生は村上先生に「因果の理法」と「仏教の真理」を説かれた後、次のように言われました。
「世の中にはあなたのように精神的にも物質的にも悩んでいる人が随分多いのです。この苦しみを逃れる途は妙法の信仰より他にはありません。あなたが今の苦しみを逃れるには、仏の教えを信仰し、そして世の中の悩んでいる人々を救ってあげることです。百人位の人が救われる時、あなたの不幸の因果は消滅するでありましょう」
 杉山先生の話を聞かれた村上先生は、迷いから覚めたような心持ちになられ、後の半生を信仰に生きよう、そして悩める人の心の病を治す医者になろうと決心されたのです。
 村上先生は常々、次のように言われていたそうです。「私は罪障の多い者だ。しかし、今は何不自由なく法の道を説いて喜んで暮らせるのである。元来私は胃腸の弱い者であったが、長生きできたのは皆妙法の賜である。昔から罪障の消滅ということも色々聞かされたが、現在の私の境遇を思う時に、人の悩みをお救いすることこそ自分の罪障を消滅することであり、妙法こそ罪障消滅の真実の方法であると確信している」
 村上先生はご法話の中で、ご自分の欠点を三つ挙げておられます。
「一つは腹を立てること。後の二つは取り越し苦労と、堅苦しいこと。このため私の半生の幸福は蹂躙されたのであります。この悪魔は私ばかりでなく、世の中の多くの人々をも苦しめているのであります。その中でも腹を立てることの損の大いなるは、実に筆舌に尽し難いのであります。病の原因となり、災難のもとともなり、物質の損失を招き、ついには一命をも失う、恐るべき事態を招くことになるのであります」
 村上先生は怒りの恐ろしさを悟り、腹を立てない堪忍の修養を生涯続けられたのです。
 水風呂に入られた話は有名です。当番の人が風呂を沸かすのを忘れ、村上先生が水風呂に入るはめになった時、村上先生は何くわぬ顔で風呂から出て「今日は地獄に行く罪が一つとれたよ」と言われたそうです。
 こんな話もあります。昔は自転車にリヤカーをつないで、そこにござを敷き、その上に座布団を敷いて乗り、村上先生は法座に赴かれたそうです。ある時、寺男のカネさんが自転車をこいで村上先生を法座先にお連れしました。カネさんは後ろに村上先生が乗っておられるのを忘れて、急ハンドルを切ってしまいました。そのためリヤカーがひっくり返って、田んぼに村上先生が頭から落ちてしまわれたのです。その時、村上先生はカネさんに合掌して「カネさんありがとう、地獄に行く罪がこれで一つとれたよ」と言われたということです。

村上先生の時代は毎晩法座があり、村上先生がお一人でご法話をされていました。参加者はそれほど変わりません。日達上人に私がそのことを「すごいですね。毎晩ですか」と言うと、「確かにすごい。もっとすごいのが毎晩同じ話だったことだ」と言われていました。毎晩、堪忍の話をされていたのです。日達上人が続けて言われたのが「堪忍の話を毎晩聞いても、なかなか実行はできないものだ」ということです。私達は常々、「ならぬ堪忍、するが堪忍」と聞いていますが、本当にいくら聞いてもなかなか実行はできないものです。

山本妙順法尼のお母さまである服部妙晃法尼は村上先生の時代に入信されました。やはり村上先生にいつも「堪忍してください」と言われていました。子どもさんのことを相談しても、ご主人のことを相談しても、何を相談しても「堪忍してください」だったそうです。
 服部法尼は腎臓が悪く、一日中横になっていることもよくあったそうです。ただそんな状態でも、堪忍をしていると、次に何か徳を積まなければと思われたそうです。堪忍をして徳を積むうちに腎臓が良くなり、生涯病院に行くことがなかったと言われていました。病気というのは自分が作るものです。怒ることによって作ることも多いと思います。堪忍を守ることによって病気のもとが断たれていくのだと思います。

 村上先生は、「杉山先生がご遷化された時に一番堪忍を試された」と言われています。
 杉山先生がご遷化された直後、杉山家の代表という人がやってきて「現在の救済会の全資産を杉山家で相続するから、村上先生以下信者さんも全員出ていくように」と言いました。その時、村上先生は「これは諸天のお試しだ。諸天が私を試しておられるのだ。これを乗り越えて一つ上の悟りに行かなければ」と思われました。
 その時、信者さんの中で法律に詳しい方が、「裁判をすればおそらく勝てますよ。土地、建物は杉山先生の個人名義ですが、実質的に救済会の資産であり、杉山先生個人の物ではありませんから」と言われたそうです。しかし村上先生は「裁判はケンカをするのと同じです。長年守ってきた堪忍を破ることになり、徳を失うことになります」と断られたのです。そして、一年くらいかけて交渉され、杉山家の代表の方に財団法人の理事となっていただくことを条件に話し合いがつき、救済会の財産は保全されました。村上先生の堪忍の徳が相手を教化したのです。また、堪忍の徳の力でしょう。信者さんの数が財団法人設立時には、杉山先生がご遷化された時の十倍になっていたそうです。
 最近は日本でも裁判が多いようです。裁判で白黒はつきますが、人間関係に大きな禍根を残します。できることなら話し合いで解決したいものです。

村上先生のご教化にこんな話があります。
 ある日、信者さんがやってきて「今まで妙法の信仰をしてきたけれども、格別善いこともないからしばらく休ませてもらいます」と言いました。それに対して村上先生は「あなたは今まで信仰をしてきたと言うけれども、あなたは本当の信仰をしていなかったのです。だから善いことがなかったのです。真の信仰をしていれば必ず成果があったはずです。それがなかったということは、わかりやすく言えば、あなたの実行が足りなかったのです。ですから、信仰をしてきたけれども功徳がなかった、なんてことを絶対に人に言ってはいけません。言えば大謗法罪になりますよ」と釘をさされたそうです。
 村上先生はご自身の体験から、〝慈悲・至誠・堪忍を実行してお題目を唱えていけば、必ず大きな功徳があるのは間違いない。功徳がないというのは真の信仰をしていなかったのだ〟と確信されていたのです。

 村上先生は六波羅蜜に照らし合わせて、ご自分の行動を毎日反省しておられました。「布施」に関しては、今日は貪る心がなかったか、施しはできたか。「持戒」は至誠ですから、私利私欲に基づいて行動することがなかったか。「忍辱」は堪忍ですから、怒ることはなかったか、愚痴不足はなかったか。「精進」、怠ける心はなかったか。「禅定」、心が穏やかであったか、善道をはずれて迷う心はなかったか。「仏智」、仏さまの智慧をもって物事が判断できたか、偏った心なく人に平等に接することができたか。このように村上先生は日々反省し欠点を正しておられたのです。

 私達も村上先生にならって、夜寝る前に今日一日どうであったかを反省して、日記などをつけてみるとよいと思います。