昨年末に経済番組を観ていましたら、例年のように令和5年のいろいろな経済予想をしていました。その中で二人の個人投資家が出てきました。一人は「令和4年は予想が外れて大損しました」と言っていました。もう一人は「例年通り儲けました」と言いました。かなりの金額を儲けたようです。その二人に「令和5年はどうなりますか?」と聞くと、損した方の人は「来年は必ずこうなるはずです。そこで今年の分を挽回しますよ」と言い、例年通り儲けた人は「私は予想しません」と言うのです。「人生には上り坂、下り坂、まさかがあります。経済も同じです。何が起こっても対処できるような心構えで、資金を蓄えて、何か起こった時には迅速に的確に対応するだけです。それで私は成功してきました」と続けました。
それを聞いた時に〝我々にも活かせる話だな〟と思いました。本当に「まさか」はあります。昨年9月に私の家内が突然亡くなりました。本当に「まさか」でした。そういうことが人生にはあるのです。そういう時に動じない心を作るのが常日頃からの三徳の修養です。平時にはわかりませんが、事が起こった時に修養の度合いがわかるのです。
古来より『疾風に勁草を知る』という言葉があります。勁は強いという意味で、強い風が吹いた時に倒れない草が見分けられる。つまり「困難や試練に直面した時に、初めてその人の意志の強さ、ひいては人間としての値打ちがわかる」ということです。勁草になりたいものです。
また、よく世間の人々は「まさか」のために、生命保険に入ったり、損害保険に入ったり、いろいろな保険に入ります。保険も確かに大事ですが、一番大事なのは天の銀行に徳の貯金をすることです。この徳の蓄えが、いざという時に最大の力を発揮してくれるのです。
今年の御法推進目標は「勇猛精進」です。実行目標が「堪忍」です。皆さん、耳にタコができるほど堪忍の話を聞いておられると思います。昔から法音寺では「ならぬ堪忍するが堪忍」と言い慣わしているように、堪忍は日常の大事な徳目です。御開山上人が入信間もないお若い頃に、杉山先生から「まず半日堪忍をしなさい」と言われたそうです。確かに一日は長いです。本当に実行しようと思うと堪忍は一日でもむずかしいものです。だから「まず半日から」と言われたのだと思います。
何もない時は誰でも堪忍ができるものです。しかし一旦、心が乱れると堪忍が破れてしまいます。
腹が立つ時には人それぞれのパターンがあります。〝自分はこういう時に怒ってしまう〟というのがあると思います。その時に〝ここだな。ここが自分の堪忍の破れるところだな〟と予め自覚をして、堪忍ができるとよいと思います。
この話は新渡戸稲造博士の『世渡りの道』という本の中にあります。新渡戸博士は子どもの頃から一生懸命、堪忍をしようと努力されたそうです。その中で効果があった話を本の中で書いておられました。特に効果があったのは日記をつけることだと言われます。夜、寝る前に日記を書く。その中で「自分は今日、こういう時に怒りそうになった。怒ってしまった」ということを日記につけると、〝自分はこういう時に怒りそうになるんだな。怒るんだな。ここだな〟というのがわかるようになる。そうするとだんだん怒らなくなってくる。怒る回数が減ってくる。晩年その日記を見返され、〝自分も少しは堪忍強くなったな〟と述懐されたそうです。そういう中で「堪忍は治療薬より予防薬だ」とも言われています。怒ってから〝いけなかった〟と思ったり、人に対して「ごめんなさい」と言うよりも、朝、布団から出る前に〝今日は絶対怒るまい。愚痴を言うまい。人の悪口を言うまい〟と誓って出るとすぐに〝あ、ここだな〟とわかって、怒ることが少なくなるのだそうです。
新渡戸博士はキリスト教徒でした。聖書を読んだ時に、しばしば〝Be of good cheer.〟(愉快な顔をせよ)という句に出会ったと言います。その後に注釈書を読んだ時に、聖書全体を通じてこの句が40回も登場することを知りました。そして、新約聖書にも旧約聖書にも不愉快な時、苦難に遭った時、病気になった時、貧乏で苦しむ時、あるいは罪のために苦しむ時、そこにこの言葉が繰り返されていたと言います。〝苦しい時ほど笑顔でいなさい〟と聖書は教えているのです。新渡戸博士は〝これが本当の堪忍だ〟と思われたそうです。本当に苦しい時、人に愚痴を言いたいものです。泣き言を言いたいものです。そういう時こそぐっと堪えて笑顔でいる。これが本物の堪忍だと知ってから新渡戸博士は生涯〝Be of good cheer.〟を続けられたということです。
お釈迦さまは貪・瞋・痴の三毒の中で「瞋」、怒ることが一番良くないとおっしゃっています。
仏遺教経の中に「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶ能わざる所なり」とあります。堪忍による功徳はいろいろな戒律を守るよりも、水をかぶったり、火の上を歩いたり、断食をしたりというような苦行をするよりも、ずっと偉大なものだということです。そして「能く忍を行ずる者は、乃ち名けて有力の大人と為す可し(堪忍できる人は大人物である)」とあります。その後に「当に知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし。常に当に防護して入ることを得しむること無かるべし。功徳を劫むる賊は瞋恚に過ぎたるは無し」とあります。怒りは猛火が家屋や家財をすべて焼き尽すように、それまで修めた功徳を台無しにしてしまうということです。
『大智度論』という仏教哲学書の中に、法華経の中で初めて成仏できると授記された舎利弗が、はるか昔の前世に一生懸命、菩薩として、布施の修行をしていた時の話があります。この舎利弗がある日、乞眼婆羅門と呼ばれる婆羅門に出会いました。舎利弗に対して乞眼婆羅門はいきなり「お前の肉眼を布施してくれ」と言うのです。舎利弗が「私の肉眼をお前にやっても、何の役にも立つまい。なぜそんなものを求めるのだ。もし他の物ならお金でも品物でも何でも布施しよう。その方がお前のためになるだろう」と言いますが、乞眼婆羅門は「金品は何もいらない。ただお前の肉眼が欲しいのだ。お前が本当に布施を実行しているのならば、肉眼であっても布施するべきではないか」と言って聞き入れません。そこで舎利弗は自分の一眼をえぐり出して、その婆羅門に与えました。婆羅門は受け取った血だらけの眼を鼻に近付けて臭いを嗅ぎ、「臭いなぁ」と言って捨ててしまい、あろうことか、足で踏みつけ潰してしまいました。それを見て、長い間修行を積んだ菩薩の舎利弗もカッとなり、「何をするんだ」と怒ってしまいました。その途端に長い長い修行の末に重ねた功徳が一瞬にして消え去ってしまい、菩薩から小乗の低い位に落ちてしまったという話です。これはもちろん一つの寓話ですが、それほど堪忍の修行はむずかしいということです。
『笑っていいとも』という超長寿番組があったのを皆さん覚えておられると思います。私はあの超長寿の大きな理由は司会のタモリさんの性格だったと思っています。
タモリさんが『笑っていいとも』に出演していた当時に別荘を買った時の話です。その別荘の庭に大きな太い木が何本もあり、その木が気に入って別荘を買ったそうです。タモリさんは共演者の笑福亭鶴瓶さんを「一度、見に来ない?別荘もいいのだけれど、木がいいんだよ」と誘ったのです。忙しい二人がスケジュールを合わせてその別荘に行きました。タモリさんは予め別荘の管理人さんに「木を切っておいて」と剪定をお願いしておきました。別荘に到着すると、何と木が全部、切り倒してあったのです。二人は呆然としたそうです。その後、タモリさんは「あっ、切っちゃったんだ」とだけ言ったそうです。鶴瓶さんが「タモリさん、怒らないんですか」と言うと、「僕の言い方が悪かったんだね。『剪定しておいて』と言ったつもりだったんだけど、しょうがないね」と全く怒らなかったそうです。
聖路加国際病院の名誉院長で105歳の天寿を全うされた日野原重明先生は、長生きを目標にされたことはなかったそうです。しかし、心を健やかに保つための努力は日々されていたそうです。その一つが「恕す勇気を持つ」ということです。
先生は、一般によく使われる「許す」や「赦す」ではなく、「恕す」という漢字にゆるすという本質的な意味を感じておられました。この漢字は、「心」の上に「如」という文字が載っています。つまり、ゆるすとは誰かに許可を出すとか、悪いことを赦すということではなく、「相手のことを自分の如く思う心」という意味だと考えておられたのです。
日野原先生は語っておられます。
「恕すのは相手のためでなく、自分のための行為なのです。恕せない心を持ち続けるのはしんどいことです。だから恕すことで、私達は楽になれるのです」
タモリさんも日野原先生も本物の堪忍の人だと思います。
「恕す勇気を持つ」、見習いたいものです。