今を感謝して生きる

掲載日:2023年2月1日(水)

昨年の重大ニュースの中でも安倍元総理の暗殺事件は皆さんも驚愕されたことと思います。安倍元総理が潰瘍性大腸炎で突然辞任された時、小泉元総理が「人生には上り坂、下り坂、そして〝まさか〟という坂があります」と言われたのを思い出します。7月8日のあの事件は本当に〝まさか〟でした。また、犯人が旧統一教会に対する恨みを安倍元総理にぶつけたということがわかり、これも驚きました。
 旧統一教会には「天宙平和連合」という外郭団体があります。一昨年ユーチューブで偶然その動画を見たのですが、マザームーンこと韓鶴子さんを称賛するもので、最初にビデオメッセージを送ったのがトランプ元大統領でした。続いてビデオメッセージに登場したのが安倍元総理でした。これには本当に驚きました。犯人もあの動画を見たようです。
 どこでどういうことがあるかわからない。本当に人生には〝まさか〟という坂があるものです。

人生の〝まさか〟といいますと、事故に遭うとか重い病気になるということもあると思います。信者さんの中にも「まさか自分がこんな病気になるとは」と言われる方があります。今から30年近く前、東京支院の猪原妙政法尼の紹介で、東京から信者さんになって間もない方が息子さんを連れて来られました。話を聞きますと、息子さんはサッカーのJリーガーでした。その息子さんは20歳そこそこでしたが足が骨肉腫になり、切断しなければいけないという状況でした。
 当時若かった私はかける言葉がなく、ただただ「そうですか。大変ですね。とにかくお題目を唱えてください」と言うだけでした。お題目を唱えることを勧めただけでも良かったとは思いますが、今ならこんな話もできたかと思います。
〝東京オリンピック、パラリンピックのプレゼンテーションがアルゼンチンのブエノスアイレスで行われた時、佐藤真海さんという方がプレゼンテーターとして登壇されました。今は結婚されて谷真海さんと言われます。この方は片足がありません。早稲田大学の応援部のチアリーダーとして活躍をしておられた時、足の骨肉腫がわかり、片足を切断されました。その後、絶望を乗り越え水泳をしながらリハビリをして、走り幅跳びでパラリンピックに何度も出て大活躍されました。
 結婚をされて男の子を出産した後は、トライアスロンに転向して世界選手権で優勝されています。最近では東京オリンピックの日本代表の旗手を務められました。このような方もおられます。あなたがもし人生に絶望しても、仏さまは決してあなたに絶望していません。必ず前を向けば、そこに御守護があります〟

バリアフリーコンサルタントという仕事をしている鈴木ひとみさんという方がいます。現在60歳で、エッセイストとして本を何冊も書いておられ、講演家としても年間にかなりの数の講演を全国でしておられます。この方の人生が『車椅子の花嫁』というドラマにもなりました。鈴木さんは19歳でミスインターナショナルの日本代表になりました。それからモデルやテレビのアシスタントをされたのですが、22歳の時に撮影の帰りに高速道路で交通事故に遭い、乗っていた車が横転して、鈴木さんは窓を突き破って外に放り出されました。その時に体を強く打ち、救急車で病院に運ばれると、首の骨が折れていることがわかりました。二週間後にお医者さんから言われたのが、「あなたの足はもう動きません。今の医学では折れた首の骨の矯正はできても、その中を通る神経をつないで治すことまではできません」という絶望的な宣告でした。それから車椅子の生活になりました。
 それまでは堂々と外を歩いていたのですが、それが車椅子になり、退院してから、〝周りの人はどう見るだろうか。どう言われるだろうか〟と気になり、なかなか外に出られなかったそうです。その時のボーイフレンドが「とにかく外に出ないといけないよ」と言って、車椅子を押してくれ、鈴木さんは勇気を振り絞って外に出ました。その時に自分に何度も〝何も悪いことをしていないんだから、堂々と外に出ればいいんだ〟と言い聞かせました。外に出てみると、自分が思っているほど、周りの人は自分のことを気にしていない〟と思ったそうです。その通りで、多くの人は少し自意識過剰かもしれません。そういうことがわかり、だんだん心が楽になり、車椅子を押してもらって、いろいろな所に行くようになりました。そうすると街は障がい者にとって不便なことが多いということがわかってきたそうです。
 一見平らに見える道路も、舗装の関係でかまぼこ型になっていて、慣れていないと傾斜に流されてしまうそうです。またお店や歩道の段差は、歩いている人にはあまり気にならなくても、車椅子利用者にとっては大きな障害に感じたそうです。
 自家用車やタクシーには乗れたのですが、バスには乗れませんでした。電車に乗るときは、大きな駅ではエレベーターがあるのでホームまで行けますが、大抵の駅は階段なので、駅員さんに頼んで抱え上げてもらわなければいけませんでした。滅多にないのですが、駅員さんによっては嫌な顔をする人もあったそうです。
 そのような経験をしながら、〝世の中のバリアフリーを進めなければ〟と思い、バリアフリーコンサルタントになったそうです。今ではいろいろな所に行動範囲を広げ、障がい者に優しい世の中になるようにと日夜活動をしていらっしゃいます。
 この方も谷さんと同じように、〝何か人生に目標を〟ということでスポーツをされるようになり、いろいろなスポーツを体験されました。その中の一つ、射撃ではアテネのパラリンピックに出られています。それまで射撃なんてしたこともないのに、練習を重ね、パラリンピックに出場するまでになったのです。
 鈴木さんがリハビリの一環としてプールに通うようになった時のことです。そのプールは身体障がい者スポーツセンターの中にあり、いろいろな障がいを持った人が来ていました。
 ある日、鈴木さんは目の不自由な人が耳の不自由な人に時間を尋ねている光景を目にしました。尋ねられた耳の不自由な人は話すことができず、目の不自由な人にどうやって時間を伝えようかと、とてもあたふたしていました。何かサポートできればと、鈴木さんは二人のところへ行きました。
 そこで、鈴木さんは目の不自由な人が耳の不自由な人に時間を聞いて、そこに車椅子の自分が駆けつけるという様子を思い浮かべながら〝こんな偶然もあるんだなぁ〟と考えていたら、だんだんおかしくなってきて〝笑っちゃいけない〟と思いながらも声に出して笑ってしまったのです。
 すると二人も一緒に「あはは」と笑ってくれたのです。この時、鈴木さんは二人が笑えるほどの気持ちの柔軟さと、広い心を持っていることに驚き、感激したそうです。前を向いて頑張るということは大事なことです。足がなかろうが、障がいがあろうが、頑張ることは大事ですが、そこに心の柔軟さ、ユーモア精神が加われば最高だと思います。

余談ですが、先代日達上人もおもしろいことをよく言っておられました。
 昔、駒方寮の子どもが米軍の倉庫に忍び込んで、何かを盗ってきたことがあったそうです。その時に「なんでそんなことをするんだ」と聞くと、子どもは「向こうが『プリーズ(どうぞ)』と言ったのです」と言いました。『フリーズ(動くな)』を聞き間違えたという話です。日達上人はそんな話をよくされていました。

 以前、NHKで目の不自由な方の施設・ライトハウスの特集をしていました。ライトハウスにその時、目が不自由になって間もない若い男性が入ってきました。ライトハウスにいる他の若い人達が、その男性を励ますためにちょっとした会を催しました。その時にその男性に「何が一番不自由?」と聞くと、「いろいろなことが不自由だけれども、一番つらいのが大好きな人の顔が見えなくなったこと」だというのです。大好きな人の顔が見えなくなるのは確かにつらいことです。それを聞いていた女性が、「それはそうだよね。大好きな人の顔が見えないのは寂しいよね。でもね、触ってしまえばいいのよ。目が見えている時はいきなり触ると驚かれたけど、今はいきなり触ってしまえばいいのよ」と言ったのです。〝おもしろいことを言うなぁ〟と思ったのですが、他にもいろんなユーモアを交えた会話がありました。かのヴィクトール・フランクルが言った「ユーモアは魂の武器である」という言葉が浮かんできました。

 昨年末に白駒妃登美さんの講演会に招待を受け、行ってきました。愛知県西尾市の郷土の偉人で、台湾で活躍をされた方を顕彰する記念講演でした。白駒さんは台湾と日本の友好の話をされました。白駒さんは博多の歴女として有名な方です。歴女とは歴史に詳しい歴史好きの女性ということです。この方は子どもの頃から歴史が大好きで、とくに福沢諭吉が大好きだったそうです。福沢諭吉が好きすぎて慶応大学に入学されたそうです。慶応大学を卒業してから日本航空のキャビンアテンダントになりました。キャリアを重ねて総理大臣の乗る政府専用機のキャビンアテンダントにもなりました。それから結婚して引退をされ、男の子が生まれました。順風満帆の人生だったのですが、ある日、定期健診で子宮頸がんが見つかりました。早期ということで手術をされたのですが、2010年の夏に定期健診で肺に転移していることがわかりました。その時にお医者さんから「正直に申し上げますね。この状態で助かった人を、今まで私は見たことがありません」と言われました。お医者さんからそんなふうに言われたら絶望してしまいます。当然ですが目の前が真っ暗になり、幼い息子さんの寝顔を見ては、毎晩泣いたそうです。
 そんな時、ある出版社から電話がありました。白駒さんはずっと歴史ブログをされていて、そのブログを本にしませんかと出版社が言ってきたのです。その時に白駒さんは、〝本なんか書いている場合じゃない〟とも思ったそうですが、〝本を出して今まで生きてきた証にしよう。そして子ども達への遺言にしよう〟と思い直し、それから改めて日本の歴史を紐解いて、一生懸命勉強をされました。その中で同じように病気で苦しんだ正岡子規から大きな勇気をもらったそうです。「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」で有名な正岡子規です。

子規は、明治時代の文学者で武家に生まれました。そのことに大変誇りを持っていました。また、武士道に憧れを持っていて、〝武士道における覚悟とは何だろう〟とずっと考えていました。自分自身で出した結論が〝武士道の覚悟とは、いついかなる時でも平然と死ねることである〟というものでした。その後、子規は脊椎カリエスに罹りました。脊椎カリエスというのは脊椎を結核菌が侵食する病気で、ものすごく苦しくて痛い病気です。その痛みに耐えかねた子規は何度も本気で自殺を考えたそうです。その苦しみの中で子規は気づいたのです。自分の考えが真逆だったことに。
〝本当の覚悟とは、どんなに痛くても、どんなに苦しくても、生かされている今に感謝をして平然と生きることだ。死を迎えるその瞬間まで与えられた一瞬一瞬を生きることこそが覚悟だ〟
 実際に子規は死を迎える数時間前まで執筆活動を続けました。そして、近代文学に多大な功績を残しました。

白駒さんも子規の生き方に共感して、〝これを見習おう〟と思ったそうです。そして、〝過去の後悔や未来への不安を手放し、今を感謝して生き切ろう〟と、決意をされました。
 すると、毎晩、ぐっすり眠れるようになり、なんと肺にできたがんが消えてしまったのです。今では非常に健康で、ご自分の気づきと先人達の志を伝えるために年間200回以上、講演活動をされています。
 白駒さんは言われます。
「過去や未来を手放しましょう。生かされている今に感謝して一生懸命生きましょう」
 人間は、どんな状態になっても生かされている今に感謝して一生懸命に前を向いて生きる。生き切る。これが大事です。そこに少しのユーモアが加われば言うことなしです。