心の持ちようは人生に影響を与えます

掲載日:2022年11月1日(火)

コロナもようやく収束に向かっていると聞きます。
 コロナ禍が始まってから、日本福祉大学に講演に行った時に新入生の悩みを聞きました。それは、リモートの授業が多くて、友達ができないということでした。サークル活動もできず、寂しい思いをしているとも聞きました。
 自分自身のことを思い返しますと、東京の大学に行きましたので、知り合いもおらず、大学に入学した当初は友達がいませんでした。“私も早く仲間が欲しいな”と思ったものです。当時の青年雑誌で今東光という瀬戸内寂聴さんのお師匠さまが『極道辻説法』というコーナーで人生相談をしていました。若者がいろいろな相談をしていましたが、ある時の相談で「東京に出て来て一人暮らしを始めたけれども、友達ができなくて寂しくてしかたがないです。和尚、どうしたら友達ができますか」という質問がありました。今東光和尚の回答が凄かったです。「そんなものいらないだろう」でした。その理由は「寂しい、寂しいと言って、人に擦り寄っていったら、ろくな友達ができない。それよりも堂々と自分の本分を尽して、やるべきことをやる。そうすれば自然に良い友達もできるし、恋人もできるかもしれないぞ」ということでした。
 人生は人と人との出会いによって形作られるものです。昔のヨーロッパでのお話です。一卵性双生児の兄弟が両親を亡くして路頭に迷い、食べる物にも困り、別々に泥棒に入りました。その後一人は大泥棒になり、もう一人はキリスト教の大司教になりました。どうしてそうなったかというと、大泥棒になった方は泥棒に入ったところに先に泥棒集団がいて、その仲間に加わり、どんどん頭角をあらわして大泥棒になったのです。もう一人の方は『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンのように教会に泥棒に入り、そこで神父さんに諭されて訓育を受け、その神父さんを超える大司教になったというお話です。一卵性双生児というのは遺伝子が全く同じだそうです。それが出会う相手によって人生が大きく変わったということです。
 昔から「朱に交われば赤くなる」と言いますが、誰しも出会った相手に影響を受けるものです。
 禅語に「霧の中を行けば覚えざるに衣湿る」とあります。これは“善い人のそばにいれば、意識せずとも善い影響を受ける。悪い人のそばにいれば、自ずと悪い方向へと流されていく”ということを霧に例えているのです。

ある時、お釈迦さまが弟子達に次のように説法されました。
「比丘達よ、私は外の人の因として、かほどに大いなる不利益をきたすものは、他に一因をも見ることを得ない。比丘達よ、それは即ち、友の悪しきことである。比丘達よ。友の悪しきは大いなる不利益をきたす。比丘達よ、私は外の人の因として、かほどにも大いなる利益をきたすものは、他に一因をも見ることはできない。比丘達よ。それは即ち、友の善きことである。比丘達よ、友の善きことは大いなる利益をきたす。比丘達よ。朝な朝な太陽が東に昇る時には、その先駆として、またその前相として、東の空に明るい相が出るであろう。比丘達よ。それと同じく、比丘達が八つの聖道をおこす時にも、その先駆たり、前相たるものが存する。それは善き友のあることである。比丘達よ。善き友を持てる比丘においては、八つの聖道を修習し、多修するであろうことを期して待つことができる」
 お釈迦さまは、“善き友をもった人は、将来仏道を真っ直ぐに進んで悟りを得ることは間違いない”とおっしゃっています。
 常随の弟子、阿難がある時お釈迦さまに「大徳よ、善き友を有するということは、この聖なる道の修行の半ばを成すと考えても良いでしょうか」と尋ねました。するとお釈迦さまは、「違う。善き友を持つことは聖なる道の修行のすべてである。善き友を持つことによって、生老病死の苦から解脱することができるのだ。よって、善き友を持つことは道の半ばでなく道のすべてである」と答えられました。
 それ程、接する人の影響は大きいということです。これはサンガ(教団)の精神です。仏教教団は法友が集まり、お互いに尊敬し、励まし合い、高め合って、仏道修行の成就を願います。善き友は本当に大事です。
 当然誰しも〝善き友が欲しい〟と思います。しかし、まず自分が相手にとって善き友にならなければいけません。〝善き夫が欲しい。善き妻が欲しい〟と思えば、自分がそうならなければいけません。善き子が欲しければ、自分が善き親にならなければいけません。

もう一つ、一卵性双生児のお話を紹介します。
 これはアメリカの一卵性双生児の姉妹の話です。その姉妹の父親は浮気性で、よその女性と家を出て行ってしまいました。母親は落ち込んでアルコール中毒となり、子育てを放棄し、時に虐待をするという状況でした。そういう中で育った姉妹が後年どうなったか、一人はお母さんと同じようにアルコール中毒になり、その上麻薬にもおぼれ、刑務所に入ったり出たりという最悪の人生を送っていました。もう一人はというと、何と弁護士になっていたのです。そして同僚の弁護士と結婚し、子どもにも恵まれ、幸せな家庭を築いていました。
 テレビ局がこの姉妹に興味を持ち、取材に来ました。そして二人に「あなたはどうして、今のような人生を送ることになったと思いますか」と質問をしました。これに対する二人の答えは同じでした。
「あんな家庭で育てば誰だってこうなるわよ」
 その理由が、一人は「あんな母親に育てられたら、同じようになるのはあたりまえでしょう」と言い、もう一人は「ああいう親のもとで育ったから、あんなふうになってはいけないと思ったのよ」と言ったのです。同じ親のもとに育っても二人は真逆の人生を歩んだのです。この二人の何が違ったかというと苦難の受け止め方です。
 御開山上人が大変尊敬されて手本とされた人物にスイスの教聖ペスタロッチという人がいます。御開山上人と同じように親のない子や障がい児のために人生を捧げた人です。そのお墓には「すべて他の為にし、何ものも己の為にせず」と刻んであるそうです。このペスタロッチが「苦しみに遭って、自暴自棄に陥る時、人間は必ず内面的に堕落する。一方、その苦しみに耐えてこれを乗り越えた時、その苦しみは必ずその人を大成せしめる」と言っています。
 アメリカの姉妹の話はこの通りです。片や内面的に堕落し、片や苦しみを乗り越えて大成しました。心の持ちようは本当に大事です。
『文選』という中国の古い書物に「窮達は命なり、吉凶は人に由る」とあります。「困窮したり、栄達に恵まれたりするのは運命であり、どうしようもないことだ。しかし、その困窮栄達を吉にするか凶にするかは、その人次第」ということです。
 アメリカの姉妹の場合、片方は吉にし、片方は凶としました。また、この姉妹と違って恵まれた家庭に育つ人もあります。そういう人でも吉を凶に変えてしまうこともあります。『文選』にあるように、困窮栄達を吉にするか凶にするかは、その人の心掛け次第だと思います。

5年程前に亡くなられました、上智大学の名誉教授、というより保守の論客としてつとに有名だった渡部昇一先生が、よく講演で大学時代の体験を話しておられました。大学に入学して間もなくお父さんが失職して学費が払えなくなりました。もともと貧乏でしたが、そこからさらに苦しくなりました。しかし、どうしても上智大学に残りたいということで方法を探していると、成績が一番になると授業料が免除になることがわかりました。そこで渡部先生は全科目一番になるように猛勉強をされました。毎朝4時に起きて校内の井戸で水をかぶって心を奮い立たせて頑張られました。またその考え方がすばらしいと思ったのですが「一番になれば特待生になれるが、人と争って一番になろうとするのはさもしい。だから全教科100点を目指そう。そうすれば他に満点の人がいても同じ一番だ」と思って勉強されたそうです。その結果、総合点で二番の人に200点以上の差をつけて断トツの一番になりました。そして四年間その成績を続けられますが、二年生の時、全額給付のアメリカ留学の話が来ました。当時、アメリカへの渡航費用は平均的なサラリーマンの年収ほどかかりました。向こうでの学費、生活費もとても高額でした。アメリカ留学は三人募集があり、英文科の学生である渡部先生は当然応募しました。成績が断トツで一番なのですから、当然自分は選ばれるだろうと思っていましたが、選ばれませんでした。そこで担当教授に落とされた理由を聞きました。すると「悪いな、渡部君。面接をしたアメリカ人の先生が、渡部君は社交性がないと言うんだ。社交性がない人間は、アメリカでは上手くやっていけないだろうということで落とされたそうだよ」と言われました。
 渡部先生は倹約に倹約を重ね、教科書や参考書以外の物を買う余裕はありませんでした。服も靴もボロボロでした。タバコは吸わず、お酒も飲まず、映画や喫茶店にも行くこともありませんでした。渡部先生は、“社交性がないと言われてもしかたがないな”と思ったそうです。それでも、非常に落ち込みました。後年その時のことを次のように述懐しておられます。
「自分を高めていく過程では、常に何かの形で壁にぶつかるものである。はたから見れば取るに足らない小さなことでも、当人にとっては大きいことである。そんなとき、なげやりになったり後退したりしないで進むためには、いくつかの方法がある。私の場合、聖書の中の〝最後まで耐え忍ぶ者は遂には救われるべし〟という言葉と、昔漢文で習った〝志ある者は事竟に成る〟という言葉を、あたかも念仏のように唱えることで心を鎮めた。壁に突き当たったと感じるときは、散歩しながらでも、寝る前でも、この言葉を繰り返し唱えた」
 この後も変わらず、渡部先生は刻苦勉励され、併せて英国流の社交術も学ばれ、ついに念願叶って25歳の時にドイツのミュンスター大学に留学され、続けてイギリスのオックスフォード大学にも留学されました。渡部先生はこの時のことを「天が梯子を降してくださった」と言っておられます。
 その後、元々留学したかったアメリカには招聘教授として赴かれ、全米各地で講義をされました。
「艱難汝を玉にす」という言葉があります。艱難に遭うことによって、人は立派な人物になれるという意味です。
 仏教詩人の坂村真民さんが、若い頃、病魔に侵され生死の境をさ迷われる中で詠まれた詩があります。
「苦がその人を 鍛えあげる 磨きあげる 本ものにする」
 苦にどのように処するか、そこが肝心です。
 渡部先生は講演の時、ご自分の恩書として幸田露伴の『努力論』をあげておられました。この本を渡部先生は生涯、座右の書とされ、ドイツでもイギリスでも、アメリカに行かれた時も、いつも傍らに置いておられたそうです。『努力論』は幸田露伴の成功哲学です。この第一章に運命についての記述があります。
「注意深き観察者となって世間のありさまを見ていると、成功するか失敗するか、幸せになるか不幸になるか、その急所というものがよくわかる。成功する人、幸福を手に入れる人は、幸運をたぐりよせる紐を引っ張っている。失敗する人、不幸になる人は不運をたぐりよせる紐を引っ張っている。その紐というのが、幸運な人の方は引くと手から血が出るような荒縄のような紐だ。不幸を引っ張り込む人の方は、絹の糸のように手触りが良い」とあります。これはどういうことかというと、成功する人というのは、失敗をことごとく自分のせいにし、不幸になる人は逆に、失敗をことごとく人のせいにするというのです。
 渡部先生は「会社でもそうだと思う。部下のせいにしない経営者、経営者のせいにしない部下がいるところは必ず上手くいく。失敗を自分に引き寄せて考えることを続けた人間と、他人のせいにすることを続けた人間とでは、かなりの確率で運の良さが違ってくる」と言われています。
 iPS細胞でノーベル賞を受賞された山中先生も「上手くいった時はお陰さま。上手くいかなかった時は身から出た錆」と言われています。経営の神さま、松下幸之助さんも「僕はな、物事が上手くいった時は、いつもみんなのお陰と考えたんだ。上手くいかなかった時は、すべて自分に原因があると思ってきたんだ」と言われています。アメリカの姉妹の運命が変わったというのも、一人は親のせいにして、一人は親のせいにせず、それを反面教師として〝自分で運命を切り開くんだ〟と考えた結果の違いだと思います。