相対性理論を発見したアインシュタインが来日した際の記者会見で「瓦職人が高い屋根から転げ落ちるのを見て相対性理論を思いついたという噂を聞いておりますが、本当ですか?」と一人の新聞記者が聞くと、「そんなことがあるはずがない」といつも温厚なアインシュタインが気色ばんだといいます。そしてアインシュタインは、次のように言いました。
「確かに瓦職人が屋根から落ちたのは事実です。だがそれからヒントを得て、あの原理を発見したのではありません。それ以前から散々考えたり、実験したりしていたところに職人の落ちるのを見たのです。よく世の中では『リンゴの落ちるのを見てニュートンが引力を発見した』と言いますが、それも同じことです。〝引力というものがなければならない〟と考えていたところに、リンゴが落ちただけの話です。リンゴが落ちるのを目で見ただけで、引力を発見するなんて馬鹿なことはありません。心で見ることが重要です。心で考えていることに、ちょうど当てはまったものを見て、一種のインスピレーションを受けるのです。科学上の大発見はどれも同じことです。ただひょっと思いついたのでは断じてないのです。インスピレーションは決して空虚な心には与えられません。それを得ようと血のにじむような苦心、努力をしている心にのみ与えられる尊い賜物です。無から有は生じません。長い苦しい努力なしに、偶然思いつくなどということはないのです」
偉大なアインシュタインの言葉に、並居る人達はみな襟を正したと言います。
余談になりますが、ニュートンが万有引力の法則を発見したのは大学生の時だそうです。イギリス・ロンドンのケンブリッジ大学在学中のことです。この頃イギリス中で今のコロナよりずっと怖いペストが流行していました。学校がすべて休校になり、みんなペストを恐れて家に籠っていました。これをニュートンは好機とみて、自分の研究に専心しました。その結果、万有引力の法則を発見したのです。
ニュートンの家には広い農園がありました。研究の合間にその農園に出た時、リンゴが木から落ちるのを見たのです。その木が今でもケンブリッジ大学の構内にあります。枯れそうになると、接ぎ木をして枯らさないよう、「ニュートンの木」として保存されているそうです。
世紀の大発見は、一見、偶然のようにしてなされたとしばしば語られます。フレミングが青かびからペニシリンを発見した時も、そういう話があります。しかし、アインシュタインは「偶然の大発見などあり得ない。そこには不断の努力があるのだ」と言うのです。
現代の経営の神さま、稲盛和夫さんが同じことを言われています。
「美しい心を持ち、夢を抱き、懸命に誰にも負けない努力をする人に、神は知恵の蔵から一筋の光明を授けてくれるのです」
この宇宙のどこかに「神の知恵の蔵」とも言うべきものがあり、努力に努力を重ねた人間だけがそこに蓄えられた叡智を得て、経営や人生を成功させることができるということです。稲盛さんはそういう体験を何度もしておられますが、その一つを紹介します。
稲盛さんは大学卒業後、京都の松風工業という倒産寸前のガイシの会社に入られました。すぐに転職をしようと思って、自衛隊の幹部候補生学校を受験し合格しましたが、お兄さんの大反対であきらめ、〝松風工業でとにかく頑張ってみよう〟と、この時から「ど真剣」に仕事に向かい、連日連夜、研究に没頭したそうです。入社後一年経った24歳の時に大発見をしました。
稲盛さんは当時、フォルステライトと呼ばれる、新しい材料の研究開発にあたっていました。フォルステライトは絶縁抵抗が高く、高周波域の特性に優れたファインセラミックスの材料です。
大した設備もない中、徹夜続きで開発実験を続け、もがき苦しみながら、ついに合成を成功させました。後にわかるのですが、当時フォルステライトの合成に成功したのは、稲盛さん以外には、アメリカのゼネラル・エレクトリックだけでした。
フォルステライトを材料にして、最初に製品開発に取り組んだのが、松下幸之助さんの松下電子工業から受注したブラウン管の絶縁部品であるU字ケルシマでした。これは小さな雨どいのような形をした部品です。
その頃はちょうど、日本の家庭にブラウン管式のテレビが普及し始めた時期でした。
このU字ケルシマの開発で稲盛さんが一番苦労されたのが、フォルステライト粉末の成形でした。従来は粘土をつなぎとして使っていましたが、それでは不純物が混ざってしまいます。来る日も来る日も稲盛さんは「つなぎの問題」に悩んでいました。
そんなある日、「つなぎ問題」を考えながら実験室を歩いていたところ、何かにつまずいて転びそうになったのです。思わず足元を見ると、パラフィンワックスの缶が倒れて靴にワックスがべっとりついていました。
「誰だ!こんなところにワックスの缶を置いたのは!」と叫びそうになった次の瞬間、〝これだ!〟と稲盛さんはひらめきました。早速、手製の鍋にファインセラミックス原料とパラフィンワックスを入れて、熱を加えながら混ぜて型に入れ成形して、高温の炉で焼くと不純物のまったく残っていない完璧なU字ケルシマが完成しました。
稲盛さんはこれを「神の啓示」と感じました。〝神さまが一生懸命な自分をあわれみ、知恵を授けてくださった〟と感じたのです。
こういう経験を幾度も重ね、稲盛さんはことあるごとに社員に言ったそうです。
「神さまが手を差し伸べたくなるほどに、一途に仕事に打ち込め。そうすれば、どんな困難な局面でも、きっと神の助けがあり、成功することができる」
その後、U字ケルシマは松下電子工業から大量発注を受け、傾きかけた会社を救う起死回生の商品となりました。また、創業当初の京セラの主力商品でもありました。
余談ですが、稲盛さんは京セラ創業時、社員とともに本当によく働かれたそうです。それは前回の東京オリンピックが開催された頃(昭和39年)でしたが、稲盛さんも社員も東京オリンピックが行われていたことを知らなかったといいます。
あの松下幸之助さんにも知恵にまつわる話があります。松下さんの側近として23年間過ごされた江口克彦さんが、ある時、経済雑誌に経営者の写真とともに、「知恵を出せ。それができない者は汗をかけ。それができぬ者は去れ」というその経営者の座右の銘が紹介されているのを見ました。江口さんはそれを見ていたく感心し、〝そうか、よく考えて知恵を出さないといけないんだな。それができなければ行動して汗をかくのが大事なんだな〟と思ったそうです。この経営者はプレハブ住宅の会社を興し、かなり成功を収めている人だったのです。その話を松下さんにしたそうです。すると松下さんは怪訝そうな顔をして「そうか、その社長さんはそう考えてはるんか。けどな、そういう考えでは経営は行き詰まる。その会社はきっと潰れるで」と言ったそうです。松下さんは普段、こういう決めつけるような言い方をされる方ではなかったそうです。その言葉を聞き、江口さんが驚いて絶句していると松下さんが「あんなぁ、きみ『知恵を出せ』と言っても、机の上で、ああのこうのと考えていても、生きた知恵は出てこんわ。どんな優秀な人でも、頭で考え、知恵を出すことには限度がある。実際に役に立つ知恵はな、一生懸命動いて、汗を流して、経験をして、そうしているうちに出てくる。生まれてくる。そういうもんや。それを汗も流さんと、最初から知恵を出そうと机の上で考えておっても無駄だわね。わしなら、『まず汗を出せ。汗の中から知恵を出せ。それができない者は去れ』と、こう言うな」と言った後、再び「その会社、潰れるわ」と呟いたそうです。
江口さんは〝ああ、その通りだな。現場を見て、自ら経験して、格闘して苦しみながら、そこから本当の知恵というのは生まれてくる。いくら机に向かって考えていても、魔法のようには知恵は出てこない。たしかに松下さんの言われる通りだ〟と思い、「そうですね、たしかに」とうなずくと、松下さんは破顔一笑、「それがわしの考えや」と言ったそうです。
江口さんは松下さんの言葉を長い人生からにじみ出たものと感銘し、以降、考えるより先に行動し、行動の中で工夫をし、その経験の中から知恵を生み出す努力をするようになったといいます。
数年後、プレハブ住宅の会社は、本当に倒産してしまったそうです。江口さんはそれを新聞で知り、驚き、改めて松下さんの言葉と表情を思い出したそうです。
杉山先生も「まず実行」と言われました。御開山上人もお若い頃、杉山先生の言われる通りに実行されました。
皆さん、六波羅蜜をご存じだと思います。その最初が「布施」で、最後に「智慧」がきます。私の解釈ですが、これはまず行動することが大事だということだと思います。布施は施しであり、徳積みです。「持戒」は、簡単に言うと欲望を抑えることです。徳を積む人は自然に欲を抑えられるようになります。「忍辱」は堪忍です。欲がおさまってくると自ずと堪忍ができるようになります。「精進」はそういうことを不断に続けていくということです。「禅定」は精進を重ねることによって心がいつも穏やかな状態に保たれるということです。そうなると良い「智慧」が湧いてきます。仏さまから智慧を授かるのです。
最初はわからずとも行動しなければいけません。まず布施です。徳を積み始めることが何より大事です。それを続けていくと自然に良い智慧が授かって、その循環の中で、より上の徳積みができるようになっていくと思います。