昨年は泰明院日宣上人(鈴木宗保上人)の第四十三回忌の御報恩法要を勤めさせていただきました。日宣上人は日蓮聖人の御遺文の解説を講日毎にしておられました。今回そのご法話をまとめて御報恩供養として『転法輪 鈴木宗保上人の世界』という施本を出させていただきました。ぜひお読みいただきたいと思います。
日宣上人は、日達上人が32歳で法灯を継承されて以来、公私にわたって支えられました。当時は大変な財政難でした。御開山上人が中部社会事業短期大学(後の日本福祉大学)を創られる時、厚生省から補助金が支給される予定でした。ところが、国が自衛隊の前身の警察予備隊をつくることになり、補助金がなくなりました。あてにしていたものがなくなったのでそれは大変でした。御開山上人は篤信の方々に協力を請い、寄付を募られました。それでもお金は足りませんでした。銀行からも毎年お金を借りられました。日達上人が大学の理事長・学長を継がれた時も、本当に経営は大変だったそうです。
御開山上人は「大学の経営が手に余るようだったら誰かできる方にお願いしてもよい」と、総代さん達に伝えられていたそうです。日達上人が引き継がれ、総代さん達がそのことを日達上人に伝えると、「大丈夫、なんとかなりますよ」と答えられたそうです。日達上人の「なんとかなりますよ」には根拠がありました。それはあるご法話の中にありました。一休禅師のお話です。あの頓智で有名な一休さんです。
一休禅師の晩年に応仁の乱が起こりました。これは十一年間も続き、戦国時代の幕開けとも言われています。足利幕府の御家人が、東西に分かれて京の都で戦争を続けたのです。都は焼け野原になりました。その時、一休禅師は大徳寺という臨済宗の大きなお寺にいましたが、大徳寺も戦災で丸焼けになってしまいました。
一休禅師が疎開しているところに、当時の天皇陛下から「大徳寺を復興せよ」と勅命がありました。すぐに住職になるのですが、「わしは住職なんて性に合わない」とすぐにやめてしまい、前住職として復興に尽力しました。復興を成し遂げた後に、弟子達に遺言を残しています。
「また応仁の乱のようなことが起こるかもしれない。その時の心得として遺言を残す。この文庫に入れておくから、もしそういうことが起こったら、これを開けて見よ」と言いました。
その後、一休禅師が亡くなってすぐに弟子達がその遺言を見てしまいました。するとそこには「なんとかなる」と書かれていました。日達上人に「おもしろい話ですね」とお伝えすると「本当だぞ」と言われました。「本当の話ですか」と聞くと、日達上人は「そういうことではない。本当のことというのは、〝あきらめなければなんとかなる〟ということだ。あきらめるから駄目なんだ。あきらめなければ必ずなんとかなるものだ」と言われました。
最近、ある漫画家さんの講演録を読みました。棚園正一さんという方です。棚園さんは小学校・中学校の九年間不登校でした。その体験を漫画にされています。作品のタイトルは『学校へ行けない僕と9人の先生』です。
棚園さんが小学校一年生の時、授業で学芸会に向けた台本読みの練習がありました。みんなで読んでいきますが、棚園さんは、自分の読むところがわからなくなって、困ってしまったそうです。この時、保育園の先生が「わからないことがあったらすぐに先生に言いなさい」と教えてくれたことを思い出しました。そこで席を立って勇気を出して「先生、わかりません」と言いました。すると担任の先生は、棚園さんの顔を叩きました。わけがわからずもう一度「先生、わかりません」と言ったらまた叩かれました。棚園さんは「今ふりかえってみると、その先生は自分が反抗したように見えて、頭に血が上ったのではないか」と言っています。それにしてもひどい話だと思います。
それから家に帰って、〝明日は絶対に叩かれないようにしよう〟と練習をしました。しかし上手く読めませんでした。すると〝また叩かれるのではないか〟という恐怖で、どんどん頭が痛くなってきて泣き叫んでいました。両親はその姿を見て心配になり、「救急車を呼ぼうか」と声をかけます。「そんなんじゃないんだ」と答えました。そこで学校であったこと、また叩かれると思うと恐くて頭が痛くなるということを打ち明けました。そして、次の日から登校しようとするとひどい頭痛がするようになり、不登校が始まりました。それから九年間、ほとんど学校に行けませんでした。
お母さんは、精神状態が良くなって学校に行けるようにと、棚園さんをいろんな病院に連れて行きましたが、良くなりませんでした。それでもお母さんはあきらめませんでした。不登校の子どもへの支援活動をしている方を探しては家に来てもらいました。それも上手くいきませんでした。そういう人はみんな親切で、棚園さんのことをほめてくれました。しかし棚園さんは、いつもその後に「だから学校に行こうね」と言われそうで、それが重たいプレッシャーのように感じていたそうです。
棚園さんも心の中では〝学校に行かなきゃ〟と思っていました。でも、そう思うと、頭が痛くなって泣き叫んでしまいます。ある時、死にたくなって、墨汁を一本飲みました。また、体温計を割って中の水銀を飲もうともしました。
そういう状態ですから、親とも些細なことで喧嘩になってしまいます。そんな中でもお父さんは、不登校になった日から毎朝起こしてくれました。会社を休んで潮干狩りに連れて行ってもくれました。お母さんも家にいると気が滅入るだろうからと、外に連れて行ったりしてくれました。家族三人外で過ごす時間はとても楽しかったそうです。
小学校の六年間が終わり、中学生になる時、棚園さんは〝心機一転して中学校には行こう〟と勉強を始めました。すると6年生の時の担任の先生が学校帰りに家に来てくれて、勉強を教えてくれました。真夜中まで勉強をして、お父さん、お母さんにもわからないところを教えてもらいました。そうして〝よし、これでいけるぞ〟と思って中学校に行ったのですが、制服を着ているクラスメイトが自分よりずいぶん立派で、勉強もできるように見えて、〝もう駄目だ〟と思えてきてしまいました。そしてまた不登校になってしまいました。
それでもお母さんはあきらめませんでした。相変わらずいろんな人を家に呼びました。ある日〝引きこもりの子どもを絶対に家から出す〟という信念を持って活動している人に来てもらいました。その人は毎週一回家にきて、棚園さんに「君の好きなことをしよう」と言いました。好きなことは絵を描くことでした。漫画『ドラゴンボール』が大好きで、気づくといつも『ドラゴンボール』の絵を描いていました。するとその人が「正一くん、ドラゴンボールの作者の鳥山明さんに会いに行こう」と言いました。棚園さんは「そんな、恥ずかしいです。無理ですよ。それに(鳥山さんの)家はわかるんですか」と言いましたが、「調べればわかる。行こう、行こう」と言って、本当に家を見つけて、棚園さんの手をひいて連れて行ってくれました。そして鳥山明さんのところのインターホン越しに「この子は不登校なんですが、会ってもらえませんか?」と言いました。当然ですが先方の返事は「お引き取りください」でした。しかし、ここで引き下がる人ではありませんでした。棚園さんを連れて何度も通いました。鳥山さんもその熱意にほだされて「会いましょう」となり、棚園さんは鳥山さんに会うことができました。
棚園さんは鳥山さんにどうしても聞きたいことがありました。それは「学校に行けなくても漫画家になれますか?」という質問でした。当時の棚園さんにとって何より深刻な問題でした。〝学校に行かないと漫画家になれず、この先まともに生きていくこともできない〟と思っていたからです。鳥山さんの答えは「学校に行かなくても漫画家にはなれると思うけど、学園ものとかの漫画を描く時に、行っていたら便利だよね」と、それだけでした。棚園さんは心がすごく楽になったそうです。その後に鳥山さんは「君の絵を見たいから、描いたら持ってらっしゃい」と言ってくれました。それから、絵を描く度に鳥山さんのところに持って行きました。鳥山さんはそれを見てはアドバイスをくれました。また、映画の話やプラモデルの話などをしてくれました。学校の話題は出なかったそうです。
棚園さんは「鳥山先生と過ごす時間は、本当に至福の時間でした。あんなに楽しい時間はなかった」と言われています。でも、学校には行けませんでした。
しかしその後、専門学校卒業後、大学入学資格を取得して名古屋芸術大学に進学。現在は漫画家となり、美術教室と専門学校の講師もされています。またライフワークとして、不登校の子どもを助けるために全国を講演して回っておられます。お母さんのあきらめない心が棚園さんを今へ導いたように私には思えます。
不登校や引きこもりに困っている方は世の中に大勢おられます。十五年程息子さんの引きこもりのことで悩まれていた方のお話です。この方は八方手を尽くされましたが、なかなかうまくいきませんでした。最後に〝やはり徳を積むしかない。徳が満ちた時に息子は出てきてくれる〟と信じて写経をし、お題目を唱え続け、人のために尽くされました。そしてついに、息子さんは家から働きに出ることができました。今では結婚して子どもさんもできて、お父さんの会社を継がれています。
また別の方も、息子さんの長期間のひきこもりのことで悩まれていました。普通だったらあきらめてしまいそうな状況でも、お母さんはあきらめませんでした。私のところに相談に来られたその方に前述の方を紹介したところ、すぐに会いに行かれました。「その方と話をしていると、とても心が和む」と喜ばれ、話を聞いてもらいにちょくちょく会いに行かれるようになりました。また、「徳を積めば必ず良くなる」と言われたのを信じて、一生懸命徳積みをされました。最近になって、息子さんが早起きして働きに行くようになったと聞きました。今度は〝働きすぎて体が大丈夫か〟と心配するほどになったそうです。
『成功哲学』の著者ナポレオン・ヒルはその著書の中で次のように述べています。
「失敗の最大の原因は、一時的な敗北にあまりにも簡単にあきらめてしまうことである。多数の成功者が共通して、〝偉大な成功というものは人々が敗北に兜を脱いだ時点をほんの少しだけ過ぎたときにやってくる〟と言っている」
世の中の大多数の人々は、人生のいろいろな場面を振り返り、〝何故もう少し努力をしなかったのか。何故あんなに早くあきらめてしまったんだろうか〟と後悔をしたことがあると思います。
何よりあきらめないことが肝心です。あきらめずに努力を続ける。あきらめずに徳を積み続けるということです。「徳を積んだけど上手くいきません」とおっしゃる方がありますが、それはまだ徳分が足りていないということだと思います。信じてあきらめずに徳を積み続ければ必ず良くなります。