人は生きねばならぬ

掲載日:2021年10月1日(金)

新型コロナが一向に収束する気配がありません。心配なのは自殺をする人が増えていることです。日本はもともとG7(※)の中でも自殺率が突出して高いのです。今から20年程前は年間の自殺者は3万人を超えていました。今なお毎年2万人近い人が自ら命を絶っています。コロナが流行りだしてからまた俄に自殺者が増えているのです。
 秋田県にNPO法人「蜘蛛の糸」という団体があります。佐藤久男さんという方が〝自殺の瀬戸際に立っている人達をどうにかして、こちら側に引き戻したい〟という思いでこのNPO法人を運営しておられます。
 佐藤さんはこれまで7000人以上を自殺から救ってこられたといいます。佐藤さん自身もバブル崩壊後、経営する会社が倒産し、自己破産しました。その前から倒産の恐怖で鬱病を発症し、精神科に通うようになっていました。倒産してから鬱病の症状が次第に重くなっていきました。夜も眠れなくなり、やっと眠れたと思うと怖い夢を見たそうです。街路樹で首を吊る夢とか、地獄の底に落ちていく夢です。そのうちに〝死んだら楽になるぞ〟という幻聴が聞こえるようになって、気が狂いそうだったといいます。それでも佐藤さんはある本に救われたといいます。それは伊藤肇さんの『左遷の哲学』という本です。
 この本は今も佐藤さんの人生のバイブルだそうです。その中の二つの言葉に励まされたといいます。一つはシェイクスピアの言葉で、「嵐の中でも時間は経つ」というものです。〝死んでしまいたいと思う程の苦しみの真っ只中にいたとしても、どんな嵐も、苦難も、必ずそれは過ぎ去っていくものだ〟という意味です。もう一つは勝海舟の「人の一生には焔の時と、灰の時がある」という言葉です。〝人生には何をやってもうまくいく勢いのある焔の時と、何をやってもだめな灰の時がある。だめな時には自己に沈潜して自己に向き合い、時が巡ってくるのを待つことが大事だ〟というのです。
 この二つの言葉に励まされて、〝悩んでも、落ち込んでもしょうがない。生きていることが幸せだ〟と自分に言い聞かせ、ゆったりと日々を過ごしていたら、鬱病が治ったといいます。
 実は同じ頃に知り合いの経営者が3人自殺していました。佐藤さんは〝どうにかしないといけない〟と秋田県知事の所に相談に行ったそうです。すると県知事からは「役所ではどうにもならないから、佐藤さん、あなたがやってください」と言われ、一人で始めることになりました。
最初は一人で、経営に行き詰った経営者の相談に乗るところからスタートしたのです。いろいろな人が相談にきました。佐藤さんは話を聞きながら、必ずしたことがあります。それは次の約束を取ることです。話を聞いていると相手はほとんどが「もう死にたい。もうだめだ」と言います。佐藤さんはそういう人に〝来週また会いましょう〟というメモを渡しました。そして、次に会った時も〝また来週〟〝また来週〟と約束をしていくと気がつけば、その人は一ヵ月自殺を思い止まって、生きているのです。そうするうちに、悩みの一番のもとがだんだんほぐれてきて、自殺する理由がなくなってくるそうです。時間が解決してくれるのです。その辺りで専門家を紹介されるそうです。専門家というのは、鬱病ならお医者さん、債務で困っているなら弁護士さん、生活保護を受けたいなら行政の人です。多くの人達が「佐藤さんに出逢えて本当によかった。佐藤さんに出逢わなかったら死んでいました。本当に命の恩人です」と言っているそうです。

私の中学校の同級生の女の子が、高校に入学してすぐに自殺しました。電車のホームから、来た電車に飛び込んでしまったのです。失恋が原因だったそうです。おそらく男の子にふられて、そのまま誰にも相談せずに電車に飛び込んでしまったのだと思います。その間に誰か友達にでも「ふられちゃった。死んでしまいたい」と話していたら、「絶対死んじゃだめだよ。あんな男たいしたことないよ。男なんか星の数程いるよ」とでも言ってくれたかもしれません。そうすれば状況は変わっていたと思います。
 上智大学の渡部昇一先生が講演で仰っていました。
「ゼミの学生が、もうこの世の終わりのような顔をしてやってくることがあります。そういう時に、『どうしたんだ?』と聞くと『女の子にふられました』と言います。そこで私はその学生に対して『ああ、良かったな』と言うんです。するとその学生は『先生、何が良かったんですか』と言い返してきます。そこで私は『これはもっと良い人に出逢えるという吉兆だぞ。前祝いに一杯飲みに行くか』と誘うんです。そして半年か一年すると『先生の言われた通りでした。もっと良い人に出逢えました』と報告に来るんです」
 渡部先生や佐藤さんに出逢えた人は本当に幸せだったと思います。
 人との出逢いは運命を変えることがあります。佐藤さんは雑誌のインタビューで「時には相談がうまくいかないケースもあったのではないですか?」と聞かれました。すると佐藤さんは「一度もないです。〝来週また会いましょう〟と約束して、相談者が来なかったことは一度もありません。皆さん、実は死にたくないんです。本心では生きたいんです。ただ、悩みが凝り固まってしまって、それに押しつぶされそうになっているから『死にたい』なんて言われるんです。実は内心は誰でも生きたいんです。その凝り固まった悩みをほぐして、ひも解いていけば必ず自殺は防ぐことができるのです」と答えておられます。
 また、「自殺をしようという人はだいたい真面目です。〝こうでなければいけない〟という形を求めている方が多いのです。それがよくないのです。いい加減がいいんです。他人に対しても自分に対してもほどほど、いい加減がいいんです。そうするとみんな楽になれます」とも言っておられます。
 佐藤さんはもう一つ「『自分はダメな人間だから死にたい』と相談者は言ってきます。でも相談に来た人でダメな人なんて一人もいませんでした。話を聞いていると皆さん、すばらしい所を持っておられます。私にはそれが見えるのです。それをその方に『あなた、こんな良いところがあるじゃないですか』と言うと、本人も気づいていなかった長所にそこで気づくのです。そうするとそれがとっかかりとなって、『佐藤さん、もう一度頑張ってみます』となるのです」と言われています。

自殺の瀬戸際に追い込まれそうな人にぜひ紹介したいお話があります。朱川湊人さんの『本日、サービスデー』という本の中の『蒼い岸辺にて』という短編小説です。
 主人公の20歳の女の子、早織が人生に絶望し、睡眠薬を大量に飲んで自殺をはかりました。意識を失って、気がつくと目の前に大きな川がありました。おそらく三途の川です。その川の辺に渡し守がいました。渡し守は「今からお前を向こう岸に連れて行く」と言います。そして、早織の顔を見て、「なんだお前、寿命前か。厄介なのが来たな」と言うのです。この男は続けて「寿命前の奴はこの世に執着が強くて、なかなか魂が離れないんだ。寿命を全うした人間は魂がスッと離れるから、すぐに向こう岸に連れて行けるんだが、寿命前の奴はなかなか魂が離れないから連れて行くのが厄介なんだ。まぁちょっとここで、魂が離れるまで時間をつぶそう」と言うのです。男には早織の頭から紐が出ていて、それがしっかりと魂にくっついているのが見えるようなのです。男が「時間があるからその間にお前の未来ゴミを捨てておこう」と言います。何のことかと思うと、その男が卵のようなものがたくさん入った大きな麻袋を出してきて「これがお前の未来ゴミだ」と言うのです。早織が「それは何ですか?」と聞くと、男は「これはお前がこれから掴むはずだった未来だ。しかし、お前は自分の都合で死んでしまってもう用がないから、今から川に捨てる」と言います。まず捨てたのは「これはすぐ後に出逢う、生涯の親友となるはずだった○○ちゃんだ。もう出逢うことはないから捨てる。次に、これはお前の恋人だな。これも捨てる」。その時に早織は、「私に恋人なんてできるの。こんなデブでブスなのに」と言いました。「いやぁ、お前なかなかいけてるぞ。でももう用はないな」と言って捨てました。捨てた後に、「この男は捨ててもいいなぁ。お前に二股をかけていたわ。どうしようもない奴だな。でもな、お前は二股をかけられてがっかりするんだけど、その後にダイエットをして、自分を磨いて、すごくきれいになるんだ。その後、本当の旦那に出逢うんだ。でもこれもいらないな」と言ってその卵も捨ててしまいました。それから小さな卵が二つポンポンと捨てられました。早織が「それは何?」と聞くと、「お前の子ども達だ」と言われ、がっかりしてしまいます。その後に今度はまた別の物を捨てられ、何かと尋ねると「絵本だ」と言います。早織が「私は子どもの頃から絵を描くのが好きで、絵本を出したいと思っていたんですが、才能がないと思ってそんなことはあきらめていました」と言うと、男は「お前は才能を超えるような努力を続けていって、絵本を出すんだ。お前は文学賞も取るぞ。そして、どんどん世界を広げていって、たくさん仲間ができて幸せな人生を歩む、そういう卵がたくさんあるぞ」と言って、それらを全部捨てていくのです。早織は〝そんな未来があったのか〟と、生きていた時以上に落ち込んでしまいます。するとその男は、「もしもう一度、人間に生まれることができたら、今度はもう少し頑張ってみるんだな。俺から見れば人間の悩みなんてだいたいたいしたことはないんだよ。今度、生まれた時はもうひと頑張りしてみるんだな。生きる自由、死ぬ自由、両方ともある。だったら生きる方を選んだ方がいいぞ。そっちの方が絶対楽しいぞ。さぁ、船を出すか」と言い、渡し船を漕ぎ出します。その時に早織が
「もう一回、元の世界に戻りたい」と言います。
「いやぁ、この船は一度漕ぎ出したらもう戻れないんだ」
「まだ2メートルぐらいしか離れてないじゃないですか、私それぐらい泳げますよ」
「残念だが、お前は泳げないんだ。亡者はこの水に浸かった瞬間、石になって千尋の底に沈んでいくんだ。可哀想だがお前はもう戻れないんだ」
「戻りたい。お願いします。もう一回頑張ります」と早織が懇願すると、男は「しょうがないなー、一回きりのサービスだ」と言って、オールを持つ手を精一杯伸ばします。「早く走って行けっ」と言われ、早織はその男の背中、頭、腕、オールの上を一気に駆け抜けていきます。しかし、もともと運動神経が鈍かったのか、最後にオールから足を踏み外して、三途の川に足がついてしまいました。石になるかと思ったら靴を履いていて助かったのです。そして、水の上を歩くようにトントンといって元の岸に戻ることができました。どういうことかと思っていると、男が答えを教えてくれました。
「その靴はな、お前に生きかえって欲しいと願っている両親や姉さんや友達の思いだぞ。今も病室の前でひたすら祈っているぞ。そういう人達の恩を思わないといけないぞ」
 そして最後に男は「さっき見せた未来ゴミは、おまえが現世に戻ればまたちゃんと復活する。でも、しょせんすべて卵だ。育てないと孵らない。お前のこれからの努力次第だ」と言うのです。それを聞いて、早織は「ありがとうございました」と言って元の世界へ全速力で走っていきました。

運命というのは本当にわからないものです。人との出逢い、心の持ちよう、また努力によって変わっていくものです。

長野県松本市にフジゲンというエレキギターを作っている世界的なメーカーがあります。その会社の横内祐一郎会長は現在90歳を越えて矍鑠としておられますが、その横内さんが若い頃の話です。1960年代に社長の三村豊さんから「うちも他の会社と同じように海外に行って物を売らなければいけない。うちのギターもアメリカで売ろう。さしあたって横内君、ニューヨークに行ってギターを売ってきてくれ」と言われました。横内さんは「私が行くんですか。私は英語を話せませんよ」と言うと「君ならできる。大丈夫だ」と言われ、横内さんはギター4本を持ってニューヨークに行きました。楽器店を調べると125軒ありました。その125軒を一軒一軒回っていきました。セールストークは書いたものを読むのですが、読むと相手は何か言います。横内さんは英語ができないので何を言っているのかさっぱりわかりません。一言だけわかったのが「ゴーホーム(帰れ)」でした。そのように門前払いの日々が続いていました。そのうちにアメリカでは、アポイントメント(面会の約束)を取らないと会ってもらえないことがわかりました。アパートから電話するのですが、横内さんは聞き取りができないので、来ていいと言っているのか、断られているのかわかりません。一応、「電話をした横内です」と言って行くのですが、売れるわけがありません。それでも何カ月も電話をしては店に通いました。
 その内に軍資金も底をついてきて一日一食、ホットドック一個とコーラ一本という生活が続きました。それでも毎日毎日、楽器店を回りました。全く売れず、ほとんど門前払い同然でした。
 ある日、セントラルパークのベンチに座って夕日を眺めながら〝ニューヨークまで来て自分は何をしてるんだ。家族も心配しているだろうな〟と思うと涙が止まらなくなったそうです。すると通りがかったアメリカ人の老紳士が「どうして泣いているんだ?」と声をかけてくれました。あまりにも優しい眼差しで聞いてくれたので、横内さんは思わずその男性にすがりついて大声で泣いていました。泣き疲れた後、「自分は実は仕事でアメリカに来たけれど、全くうまくいかない。会話ができないのが一番の原因だ」と話すと、その男性が「ああ、役に立てるかもしれない。うちへ来なさい」と言います。その人は海軍病院のドクターでした。家に着くと早速奥さんがおいしい食事を作ってくれました。アメリカに来て以来、最高の夜でした。
 翌朝から二週間その家に泊めてもらい、奥さんに毎日英語を教えてもらいました。横内さんによると、奥さんは本当に教え方が上手で、〝英語とはこういうものか〟とわかったといいます。十日経った頃、奥さんが、「ベトナム戦争のことをどう思うか」と聞いてきました。それに対して横内さんが夢中で自分の意見を10分以上も英語で話したのです。奥さんは「ブラボー、すごい進歩よ」と言って、泣きながら抱きしめてくれたそうです。
 運命の転換点というものがあるものです。今まで全く取れなかったアポイントメントが簡単に取れて堂々と楽器店に行くことができました。すると、最初の店で「あなたのところのギターはすばらしい。よし、契約をしよう」といきなり300本の契約をしてくれました。うれしくてうれしくて、泣けて泣けて受注書を書きながら手が震えたそうです。
 その後、大陸横断バスでニューヨークだけでなく、アメリカ中を二カ月間回り、1万本の契約を取ったそうです。当時のお金で20万ドルです。ジャズの聖地、ニューオーリンズではギターの神さま、ジョージ・ベンソンと出会いました。後にジョージ・ベンソンはフジゲンのギターを愛用するようになり、フジゲンは世界ブランドとなっていったのです。今ではフジゲンは多くの有名アーティストが使用するブランドとして知れわたっています。
 余談ですが、横内さんが社長の三村さんとギターを作り始めた頃の工場は牛小屋だったそうです。
 人生はあきらめなければ道は開けるのです。

最後に仏教詩人・坂村真民さんの詩を紹介したいと思います。

鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒涛の海を飛びゆく鳥のように
混沌の世を生きねばならぬ
鳥は本能的に暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
私に与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

 これだと思います。暗黒を突破すれば光明の島に着く。この詩は坂村真民さんが66歳の時、正月元旦、夜明け前に宇宙の大心霊からの感応を受けて作られた詩です。この後に「私の死生観が変わった。お釈迦さまが八十年の生涯で身をもって示されたのは、人は生きねばならぬということであった」と言われています。
 人は懸命に生きなければいけないのです。そして生きている間、徳を積まなければいけないのです。
(※)G7=先進主要7カ国の首脳会議