前回に引き続き、大阪の弁護士・西中務さんのお話をします。
西中さんは言われます。
「1万人を超える依頼者の人生を見てきて、不思議なことに、裁判で勝った後に不幸になる人が珍しくありません。勝訴を勝ち取った後に会社が倒産したり、不渡り手形をつかまされたり、経営者が交通事故に遭ったりする例を数々見てきました。恐らく恨みを買ったために運が落ちてしまったのでしょう。争いは恨みを残し、運を落としてしまうのです。どうか忘れないでください。このように争いは不運を招きますが、争いを避ければ逆に幸運が訪れます。あらゆる争いを避けるコツは困っている方が気持ちを変えることです」
これを西中さんは浮気のやめさせ方を例にして説明されています。
「浮気で相談に来る奥さんは、だいたい、こう言うものです。『主人に何をしたら、浮気をやめさせられますか』
奥さんが何をしてもご主人の浮気はとまらない。怒っても、泣いても、人から意見をしてもらっても、やめてくれなかった、というわけです。そこで、私はこう言うことにしています。『ご主人に何をしても、浮気をやめさせるのはむずかしいですね。好きで浮気しているんですから、簡単にやめるわけがない。浮気でご主人はちっとも困っていないんですから、自分が変わる気持ちになるはずがないんですよ』と。すると、奥さんは、『じゃあ、あきらめるしかないんですか』とがっかりする。そこで、すかさず言うのです。
『そんなことはない。手はあります』
奥さんがエッという顔をしたところで、私の経験則をお教えします。
『浮気で困っているのは誰です。ご主人でなく、奥さんでしょう。だったら、奥さんが今までと変わればいいんです。困っているのなら、態度を変えることなんて、何でもないと思いませんか』
そして、ご主人に対する今までの態度を振り返ってもらいます。すると、色々と反省が出てくるものです。
疲れて帰ってきたご主人に向かって、『疲れているのは、あなただけじゃありません。私だって疲れているんです』と、冷たいことばかり言っている。子どもの面倒ばかりで、ご主人のことはほったらかしにしている。
こんなふうに、何かしら、浮気がしたくなるようなことを、ご主人にしていることが多いのです。
『騙されたと思って、奥さんが変わってみませんか』
そう言って、奥さんの態度を変えてもらう。すると、ほとんどのケースで、ご主人の浮気はとまります。
浮気をされたら、されて困っている方が態度を変える。これがコツなのです」
普通の弁護士さんの場合ですと、浮気の相談は離婚訴訟、損害賠償請求と進む法律相談なのですが、西中さんの場合は「離婚してもいいことはないですよ。離婚は不幸の入口ですよ。まず、ご主人に浮気をやめさせる方法を教えましょう」と人生相談になるのです。
杉山先生以来、法音寺では「困り者の罪」ということを言います。当然ですが困り事のある方が相談に来られます。相談者はたいてい「相手が悪い」と言います。そんな時に杉山先生は「困り者の罪障です。困っているあなたが堪忍して徳を積まなければいけません」と言われました。西中さんの言われることも同じだと思います。
訴えたいと思っているような人が堪忍をするのはなかなかむずかしいことです。しかし、そういう人が、まず堪忍をしなければいけない。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」です。
西中さんは「人生で成功するには運が大事だ」と言われます。『三国志』の天才軍師・諸葛孔明が有名な言葉を残しています。それは「事を謀るは人に在り。事を成すは天に在り」です。これは宿敵、司馬仲達を討ち損なった時の孔明の言葉です。物事を計画するにあたって戦略を練るのは人間です。しかし、それが成就するかどうかは天運にかかっているということです。
私も世の中の大半のことは運が作用していると思います。音楽プロデューサーの秋元康さんは「人生の98パーセントは運だ」と言われています。コメディアンの萩本欽一さんに至っては「人生は丸ごと運だ」と言われます。多くの成功者が運を重視しています。言い方を変えれば、「自分は運に恵まれた」と言っておられるのだと思います。
経営の神さまと言われた松下幸之助さんは「運がええやつが欲しいんや。人間はやっぱり運や。松下電器は運のええやつで固めたいんや」と言われました。面接の時には必ず「君は運がいいか」と聞かれたそうです。松下さんの伝記を読んで私なりに思うのですが、これは「君は物事を肯定的に考える人間か」ということを問われたのではないかと思うのです。否定的、悲観的に考えるか、肯定的、楽観的に考えるかによって人生は大いに結果が変わってきます。松下さんが言いたかったのは、〝運が良い人間とは、物事を肯定的、楽観的に考える人間だ〟ということだと思います。
私は運の良い人というのは、諸天善神の御守護を受けている人だと思います。諸天善神に御守護いただくには、謙虚に功徳を重ねていくより他に道はないと思います。
西中さんは功徳を積むのに、自分のまわりに手本になるような徳の高い人がいたら、その人の真似をするとよいと言われます。
西中さんの手本は、イエローハットの創業者・鍵山秀三郎さんです。『法音』でも何度か紹介している「掃除の菩薩」として有名な方です。西中さんは良いと思うことはすべて真似されました。掃除はもちろん、どんな小さなこともなおざりにされませんでした。例えば、鍵山さんはスーパーやコンビニで食品を買う時に、必ず賞味期限を見て、期限が切れる寸前のものを買われます。普通は期限が長いもの、鮮度の良いものを買おうと思います。西中さんが不思議に思って尋ねると、鍵山さんは「賞味期限が過ぎても売れなければ、店はその食品を廃棄処分しなければなりません。そうなればもったいないし、スーパーは損をします。でも、私がそれを期限前に買えば、それを防げますから」と言われたそうです。それから西中さんも真似をして賞味期限が近いものを買うようにしているそうです。
同じような話が、昔の施本『樹徳』にあります。中島勇一さんという方の体験談です。
「私は三徳の修養をするようになって、まず今日までの自分の生活を反省してみました。そして、いろいろな無駄や反省すべき行いに気づき、慄然としました。それからは妻とともに語らい合い、悪い行いは直すようにしました。八百屋さんへ行ったらなるだけ品物の悪いのを、また秋刀魚などは小さいのを撰って、それを値切らず買って来るようにしました。そうすれば後から買いにいった人々は、良い品物を買うことができ、その人達を間接的に喜ばせてあげられるし、ひいては八百屋さんも喜ぶでしょう。すべて買い物はこんなふうにしてやることに改めました」
もう一つ昭和14年の『樹徳』に載っていた安井鉦五郎さんという方の体験談です。
「私の友人に市電の車掌をしている人があります。その友人が職務上一番困るのは、ラッシュアワーなどの時、電車賃の釣銭を出すことだと申しました。『甚だしい時には、六銭の電車賃を十円札で出す人がある。(※六銭を六〇円だとすると十円は一万円になります)こんなのは番外だけれど、それでも五十銭なんかで出すのはいくらでもある』と申しました。私はこれをその友人に聞いてから、必ず電車に乗る前に釣銭のいらないように六銭の用意をしておくようにしております。こんな些細なことですけれど、これで少しでも車掌さんに迷惑をかけずに済ませられたらと思って実行しております。私は電車に乗ってやるぞという気持ちより、電車に乗せてもらうという気持ちが大切だと思っております」
どちらも、昔の信者さんの〝少しでも徳を積もう〟という尊い心が伝わってきます。
日常の徳積みが本当に大事だと思います。
前回、人との縁を大切にすることで運が開けてくるというお話がありましたが、西中さんは誰かと会うと必ず「先日はありがとうございました。お会いできて本当にうれしかったです。またお会いできるのを楽しみにしています」と書いてハガキを出されます。年間2万枚程出すそうです。知り合いの方が入院されている時にもハガキを出します。ご自分の体験から、お見舞いに来てくれるのはうれしいけど疲れてしまうこともある。そこでお見舞いのお金とハガキを送ることにしているそうです。すぐ退院できそうなら自宅に、入院が長引きそうなら病院に送ります。手紙には「大変ですね。でもこれは神さまが働き過ぎだから休養するようにいっておられるのだと思います。ゆっくりお休みになってください。もし何か私に手伝えることがあったら何なりと言ってください」と書くそうです。
入院をしていた方の奥さんから「主人が『眼鏡をとってくれ』と何度も言うんですよ。西中さんからのハガキをうれしそうに何度も読み返しているんです」と電話があったり、「弁護士の友人からハガキが来たんだよ」と同室の人に披露しているという話も聞かれたそうです。「心も体も弱っていたから励まされたよ」と後でお礼を言われたこともあったそうです。
私の若い頃の経験です。広島の福山支院に行った時、高齢の女性から「お神通をかけてほしい」と頼まれ、神通がけをさせていただきました。その方は大層痩せられて、つらそうでした。事情を聞いてみると、「肝臓がんの末期で腹水が溜まっている」ということでした。「今度入院したら支院にはもう来ることができないと思います」とも言われました。その後、病院からお礼状が来ました。そこには「人生の最期を迎えるにあたってお題目と三徳の教えがあるから、何も恐れるものはありません。安らかな気持ちでおります。ありがとうございます。また、周りの患者さん達にも『お題目を唱えると心が楽になりますよ』とお題目を勧めています」と書かれていました。私はとても感銘を受け、すぐに返事の手紙を書きました。その後、吉橋上人と猪原法尼から「正修上人のお手紙を拝見しましたよ」と言われました。その方は、吉橋上人のお知り合いで、猪原法尼のいとこの方でした。私の手紙を読んで喜ばれ、お二人に手紙を見せられたとのことでした。それを聞いて、うれしい反面、手紙は人に見られるということも考えて書かなければと思ったのを覚えています。
「鍋島論語」と言われる『葉隠』に「文章の書き方については、わずか一行の手紙でも文案をよく練ることである。また手紙は受け取った先で掛け物になると思え」とあります。実際に昔の偉い方の手紙は掛け軸になっています。
大阪の信者さんで法音寺並びに昭徳会に度々寄付をしてくださる方があります。その方から特別な寄付をいただいた時、感謝状を持って大阪に行きました。その時にその方が「父も御開山上人から直接感謝状をいただきました。それを今日、持ってきました」と言われ、見せてもらうと掛け軸になった御開山上人の手書きの感謝状でした。
西中さんは「年末に届く、喪中のハガキにも返事を書くように」と言われています。喪中ですので年賀状を書くわけにはいきませんが、普通のハガキで心を込めて返事を書くと、相手の心に残るのでやったほうが良いと言われます。特に亡くなった方を知っている場合は必ず書くべきだと言われています。
私も相手がうれしいときやおめでたいときはもちろん、悲しいときや、辛いときにこそ、心のよりどころとなるような言葉を贈ることが人としての本当の思いやりだと思います。
西中さんがハガキを書くようになったきっかけは『ハガキ道』で知られている、坂田道信さんとの出会いからだそうです。坂田さんから「ハガキは下手な字で書いた方がいいですよ」「字の間違いがあってもいいですよ」と教わった時、西中さんは〝そんな馬鹿な〟と思ったそうです。〝字が上手い方がもらった人もうれしいだろう〟と思っていたのです。しかし、それは単なる自己満足でした。「人間だもの」で有名な詩人の相田みつをさんも独特な字を書かれます。実は相田さんは書道の腕前は一流で、わざとあの字を書いておられたそうです。
今では西中さんも、自分でも愛着のもてる崩した字でハガキを書いているそうです。
西中さんは「心がつながれば、人が運を持ってきてくれます。手書きのハガキは心をつなぐ、開運の秘法なのです」と言われています。