法音寺では〝「堪忍」といえば村上先生、村上先生といえば「堪忍」〟というぐらい、村上先生は堪忍の教えを如説修行された方です。その村上先生が最も堪忍されたのが杉山先生ご遷化の時です。法音寺の前身である仏教感化救済会がこの先どうなるかという時でした。
杉山家の代表という人が救済会に突然やってきました。
杉山先生の姉(てる刀自)の子、杉山辰造氏です。辰造氏は「救済会の財産はすべて杉山辰子の個人名義であるので杉山家でこれを相続する。速やかに引き渡すように」と主張しました。
ここに至って初めて村上先生は、困苦する人々を救うことに全力を尽くしてきたものの、救済会を維持するための方策を何も考えてこなかったことに気づかされたのです。
救済会を思う人々は、「法律に依って救済会の安泰を計ってはどうか」と村上先生に種々進言をしました。しかし、村上先生は「今、冷たき法律に依って事態を処置したならば、私の三十年来にわたって修養してきた堪忍の徳もたちまち水泡に帰するのである。必ずやこれは、諸天善神が私を試験されているのだ」と言われました。要するに、〝裁判は喧嘩と同じであり堪忍破りである〟ということです。
村上先生は相手に寛容な態度を示し、会員の方々にも堪忍を誓っていただき、一年間程かけて交渉をされ、最終的に辰造氏は主張を取り下げました。そして仏教感化救済会は財団法人大乗報恩会となり、その役員の一人として杉山辰造氏が入ることになりました。村上先生は昭和8年のご法話で次のように言っておられます。
「もし腹立つようなことがあったならば、前会長(杉山先生)から教えられた甲斐もないのだと思って、皆さんにも私の心情を申し上げるとともに、前会長の遺訓をお話しいたしました。皆さんは私の心を了解せられて、互いに力を合わせよく尽くしてくださいました。もしその時、間違いが起こったならば、この会は解散してしまったかもしれません。しかるに今日、本会の組織を法人に改めるよう準備を進め、認可もすでに目睫に迫っている有様で、各支部は次第に増加し、会員も昭和七年頃の十倍にもなったことは、全く皆さんが前会長の遺訓を守って、ただご法のために真心をもって努力くださったと同時に、前会長のご守護の賜ものと、深く感謝する次第であります」
『遺教経』にある次の言葉は村上先生を指しているような気がします。
「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶあたわざる所なり、よく忍を行ずるものはすなわち名けて有力の大人となす」
大阪在住の弁護士さんで西中務さんという方がおられます。『ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く』という本を出されています。その中で次のように述べられています。
「話し合いで解決しないから裁判をするわけですが、裁判をしなくて済むならそれ以上のことはありません。争えば争う程心がすさんできます。また、身体にもよくありません。本来は争いと無縁の日々を送る方が幸せなのですから。争わずに和解で解決すると相談者が幸せになるケースが実に多いのです」
西中さんはよく「不思議な弁護士さんですね」と言われるそうです。そんな西中さんも、元々は裁判での勝利をめざす普通の弁護士さんでした。それが特別な経験をして生き方が変わったそうです。西中さんは「私は過去に三人、人を殺しました」と言われます。「決して鉄砲で撃ったとか、包丁で刺したりしたのではありません。しかし、遺族としてみれば、鉄砲や包丁で殺されたのと同じ気持ちだったと思います」
弁護士になって間もない頃、ある人から借金の取り立てを依頼され、西中さんは相手に内容証明郵便を送って、取り立ての電話をして執拗に請求し続けました。すると、その相手は「西中弁護士に返済の猶予をお願いしたが認めてもらえなかった」という遺書を残して自殺してしまいました。
次は裁判で嘘ばかりつく証人でした。裁判の中で西中さんはそれをどんどん追及したのです。すると、その人は裁判中に心筋梗塞で倒れ、数日後に亡くなってしまいました。
三人目は同和地区の人でした。「娘との結婚に相手の周りの人が反対をしている。どうにかならないか」という相談でした。西中さんがお母さんと娘さんの話を丁寧に聞いているうちに夕方6時頃になりました。お母さんが「西中さん、どうぞ召し上がってください」と天ぷらを揚げてくれました。西中さんはお腹が空いていなかったので「結構です。もう失礼しますから」と断って帰ったそうです。すると、お母さんが数日後に「私は弁護士さんからも差別された」と遺書を残して自殺してしまいました。
西中さんは差別など一切していません。本当にお腹が空いていなかっただけなのです。しかし、ひどい差別を受けてきた方はそういう受け止め方をしてしまったのです。
これらの経験が、その後の西中さんの弁護士人生を変えました。それからは〝弱い人のその立場に立って弁護士活動をする〟という信念で長年やってこられたのです。
また、西中さんに大きな影響を与えた人物がいます。和島岩吉弁護士です。西中さんは若い頃にこの人のもとで四年間仕事をされたそうです。和島弁護士は極東国際軍事裁判(東京裁判)に携わった人です。その人から「西中君、僕の事務所には他の事務所で断られた人が最後に頼み込んでくるから、事情をよく聞いてあげてくれよ」と言われたそうです。
非常に印象に残っているのが、ある自治体で議長を務めている人からの相談でした。その人は小さな工務店に自宅の修理を依頼しましたが、仕上がりが気に入らなかったため、代金を支払わなかったのです。そして裁判になりました。裁判では議長さんが勝ち、お金を払わなくて済んだのですが、直ぐに工務店の社長さんが控訴をしたのです。そこで、和島弁護士に相談にきたのです。和島弁護士は書類を見るなり「君、払ってあげなさい。工事したことは間違いないやろ。君みたいなカネも名誉も地位もある人間が、弱い立場の人間と争ってどうするんだ」と一喝され、議長さんは「和島先生がおっしゃるならそうします」と一件落着だったそうです。これを見て、西中さんは〝和島先生のように弱きを助ける弁護士にならないといけないな〟と思われたそうです。
ある時、交通事故に遭ってむち打ち症になった男性が相談に来ました。「むち打ち症が辛くて普段の生活も苦しく、仕事もできない。交通事故の賠償金だけでは気が済まない。裁判をやってもっとお金を取ってやりたい」と言うのです。それに対して西中さんは、〝この人は身体も辛そうだけど、精神的に参ってきている。これは絶対に裁判を止めさせたほうがよい〟と感じたそうです。「和解しましょう。裁判はいいことないですよ」と説得して、その男性は結局、小額の和解金を受け取って裁判をすることを止めました。するとその男性は体調が良くなったのです。よくある話だそうです。むち打ち症は追突されてなるのですが、精神的な要因も大きいそうです。精神的な負担がなくなると、症状が改善するということがよくあるそうです。逆に精神的な負担が増えていくと、うつ病になることもあるそうです。その男性は「和解して本当に良かったです。心が楽になりました。むち打ち症も知らない間に治ってしまいました。ありがとうございました」と言ったそうです。
西中さんによると、交通事故に遭った時に〝一円でも多くとってやろう〟と考える人は大金が入った後に必ずその金額以上の大金を失ったり、トラブルを起こして大きな損失を出したり、また身体を壊したりすることがよくあるといいます。
また交通事故以外でも、商取引の裁判で勝って喜んでいると後で会社が倒産したり、不渡り手形をつかまされたり、経営者が交通事故に遭ったりする例を西中さんは数々見てきたといいます。どうしてそうなるか。西中さんは「怨み」だと言われます。私もそう思います。〝裁判に勝つ〟ということは〝相手が負ける〟ということです。負けた人は怨みます。たとえ相手が死んだとしても怨みは残ります。あの世からでも恨んできます。〝隙あらば引きずりおろしてやろう。会社を倒産させてやろう。病気にしてやろう〟という風にです。裁判に勝っても、そういう怨念に引っ張られるのです。だから西中さんの言われるように絶対に争わない方がいいのです。
西中さんは『一万人の人生を見たベテラン弁護士が教える「運が良くなる生き方」』という二冊目の本の最初にこう書かれています。
「依頼者は延べ一万人を超える。一万人もの人生を見てきた私にはわかるのですが、世の中には確かに運の良い人と悪い人がいます。例えば運の悪い人は同じようなトラブルに何度も見舞われます。トラブルで私の事務所に来て、裁判で決着がついた。ところが同じ人がまた同様のトラブルで私に相談に来るのです。そうやって何度も何度も争い事を繰り返す人は本当に多いものです。私は不思議でなりませんでしたが、やはり運が悪いとしか言いようがない。かと思えば全く逆の人もいます。別にトラブルというのではなく、商売に関連した法律相談のために事務所に来るのですが、やはり何度も繰り返し事務所にいらっしゃる。そして、来るたびに会社は大きくなっているのです。こちらは運が良いとしか言いようがありません。一万人という膨大な数の依頼者を見ているうち、私には運の良い人と運の悪い人の見わけが簡単につくようになってしまいました」
運の良い人と悪い人の違いがこの本にまとめられています。
運の良い人の例を紹介します。ある大きなスーパーの中で精肉店を営んでいる人が西中さんに相談に来ました。その人はある日、スーパーのオーナーから「新しい店が入るから出て行ってほしい」と言われました。その当時若かった西中さんがそれを聞いて、「これは損害賠償を請求できますよ」と言うと、その人は「長い間お世話になってきたオーナーに後ろ足で砂をかけるようなことはしたくありません。ただこの先どうしたら良いかを相談に来たのです」と言いました。その後、その人がどうしたかというと、きれいに掃除をして、入る前と同じ状態にし、オーナーに丁寧にお礼を言って出たそうです。するとオーナーが「突然で申し訳なかった」と、もっと条件の良い新しい出店場所を紹介してくれたそうです。新しい場所で商売は大変繁盛し、もう一店舗出そうということになった時、以前のオーナーから「また戻ってきてくれないか」と連絡が入り、元の場所に二店舗目を出したところ、どちらも大繁盛したそうです。争わないと運はどんどん良くなっていくということです。
この本の中に「運を運んでくるのは人です。ですから人との付き合いを大事にすることが運を開きます」とあります。人と人とをつなげるものは「言葉」です。特に思いやりのある言葉、励ましの言葉、ほめ言葉などです。
西中さん自身の日々の実践を紹介します。毎朝、駅まで自転車で行かれるそうです。そして、自転車置き場に自転車を停められます。そこで自転車の整理をしているおじさんに「おじさん、ご苦労さんやね。ありがとうね」といつも声をかけるそうです。するとある時、そのおじさんが手紙をくれました。「再就職先として自転車置き場に世話になっております。声をかけていただいたのは西中さんが初めてです。こんなうれしいことはありませんでした」という手紙でした。
出張でホテルに泊まる時の話です。最近は部屋を掃除した人のメッセージカードがよく置いてありますが、「私はこの部屋の掃除係です。心を込めて掃除をさせていただきました。○○」と書いたカードが置いてあると、西中さんはそのカードの余白に「○○様。ありがとうございます。お陰で快適に過ごすことができました。西中務」と書かれるそうです。
自分の勤めている事務所のあるビルに資源回収のトラックが来ていると、必ず「ご苦労さま。ありがとうね」と声をかけられています。街頭でチラシ配りをしている人がいると、必ず「ありがとう」と言って手に取るそうです。
事務所のビルに入ると警備員さんが必ずいます。警備員さんにも必ず大きな声で「ご苦労さま」と声をかけられているそうです。
この話から私はデール・カーネギーの『人を動かす』の中の話を思い出しました。
デール・カーネギーは大勢の実業家を集めて講習会を開催していました。その実業家達に「目を覚ましている間は毎時間一回ずつ誰かに向かって笑顔を見せることを一週間続け、その結果を講習会で発表しよう」と提案をしました。それがどういう結果を見せたか。デール・カーネギーは一つの例を挙げています。
ニューヨークの株式場外仲買人、ウィリアム・スタインハートさんの手記です。デール・カーネギーは「この手記は別段珍しいものではなく、同様の例は数えきれない程ある」と言っています。
その手記にはこうあります。
「私は結婚して十八年以上になるが、朝起きてから勤めに出かけるまでの間に笑顔を妻に見せたことがなく、また二十語としゃべったためしもない。世間にも珍しい程の気難し屋でした。カーネギー先生が『笑顔について経験を発表せよ』と言われたので、試みに一週間だけやってみる気になりました。その翌朝、頭髪の手入れをしながら鏡に映っている自分の不機嫌な顔に言い聞かせました。『おい。今日はそのしかめっ面をよすんだぞ。笑顔を見せるんだ。さあ、早速やるんだ』。朝の食卓に着く時、妻に『おはよう』と言いながら、ニッコリ笑って見せました。『相手はびっくりするかもしれない』と先生は言われましたが、妻の反応は予想以上で、非常なショックを受けたようです。『これからは毎日こうするんだから、そのつもりでいるように』と妻に言いましたが、事実、今では二カ月間それが続いています。私が態度を変えてからのこの二カ月間、かつて味わったことがない大きな幸福が私達の家庭に訪れています。今では毎朝出勤する時、アパートのエレベーターボーイに笑顔で『おはよう』と声をかけ、門番にも笑顔で挨拶するようになりました。地下鉄の窓口で釣銭をもらう時も同様。取引所でも、これまで私の笑顔を見たこともない人達に笑顔を見せます。その内に皆が笑顔を返すようになりました。苦情や不満を持ち込んでくる人にも明るい態度で接します。相手の言い分に耳を傾けながら笑顔を忘れないようにすると問題の解決もずっと容易になります。笑顔のお陰で収入もうんと増えてきました。私はもう一人の仲買人と共同で事務所を使用しています。彼の使っている事務員の一人に好感の持てる青年がいます。笑顔の効き目に気を良くした私は先日、その青年に人間関係について私の新しい考えを話しました。すると彼は私を初めて見た時はひどい気難し屋だと思ったが、最近ではすっかり見直していると正直に話してくれました。私の笑顔には人情味があふれているそうです。また私は人の悪口を言わないことにしました。悪口を言う代わりにほめることにしています。自分の望むことについては何も言わず、もっぱら他人の立場に身を置いて物事を考えるように努めています。そうすると、生活に文字通り革命的な変化が起こりました。私は以前とはすっかり違った人間になり、収入も増え、交友にも恵まれた幸福な人間になりました。人間としてこれ以上の幸福は望めないと思っています」
誰しもスタインハートさんのように〝運を良くしたい。幸福になりたい〟と思っています。
その鍵は日常の行いにあるのです。