昔から『口は禍いのもと』と言います。
〝そんなつもりで言ったのではないのに〟と後悔しても後の祭りということが往々にしてあります。最近、五輪組織委員会の森会長の発言の一部が女性蔑視と受け取られ、瞬く間に世界中にその波紋が広がり、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長職を引責辞任となりました。このようなことを舌禍事件と言います。
私が思い出しますのは、1989年にプロ野球の近鉄と巨人が対戦した日本シリーズです。近鉄が初戦からいきなり三連勝して日本一に王手をかけました。三戦目の勝利投手の加藤哲郎投手がヒーローインタビューで「別に、とりあえずフォアボールだけ出さなかったからね。まぁ、打たれそうな気ぃしなかったんで。ええ、たいしたことなかったですね。シーズンの方がよっぽどしんどかったですからね。相手も強いし」と発言したことが、各メディアによって「巨人は(その年パリーグ最下位だった)ロッテより弱い」という見出しで報じられました。これが巨人の選手達の闘争心に火をつけたのか、その後巨人が四連勝して逆転で日本一になりました。加藤選手の発言によって運気の流れが変わってしまったような気がします。
翌年、今度は西武と巨人が日本シリーズを戦いました。この時も西武が初戦から三連勝しました。直後の森祇晶監督のインタビューが印象に残っています。「私達は王者巨人に対する挑戦者です。三連勝したところで、まだまだこれからだと思っております」と、とても謙虚な物言いでした。結果は西武があっさり四連勝して、日本一になりました。前年の巨人も西武も実力で勝ったのだと思いますが、〝謙虚が大事だな〟と改めて感じました。
中国の四書五経の一つ『書経』に「満は損を招き、謙は益を受く、これ乃ち天の道なり」とあります。「満」は慢心です。「謙」は謙虚です。〝神仏は慢心な者を嫌い、謙虚な者を好む〟ということです。
道教の始祖・老子は理想の生き方を「道」と言っています。そして最も「道」に近いのが水だといいます。
『上善如水』(上善は水の如し)
この言葉は近年、お酒の銘柄になったこともあり、一般にも広く知られていると思います。どうして水が最も理想の生き方に近いのかと言いますと、二つの理由があります。
一つ目が「柔軟性」です。水は丸い器に入れると丸くなり、四角い器に入れれば四角い形になります。相手に逆らわず相手の出方に応じて、いかようにも体勢を変えていく、そういう柔らかさを持っている。要するに〝我がない〟ということです。
二つ目が「謙虚」です。水がないと地球上の生物は生存できません。そういう大きな働きをしていながら水は低い所低い所へと流れていきます。低い所というのは誰でも嫌がるところですが、水はあえて人の嫌がる低い所に身を置こうとする謙虚さを持っているのです。「この柔軟性と謙虚さが『道』のありように近い。そこを学ぶように」と老子は言っています。
歴史上の大舌禍事件を紹介します。昭和の初めに昭和金融恐慌がありました。社会全般に金融不安が生じていた昭和2年、衆議院の予算委員会で当時の大蔵大臣・片岡直温が「東京渡辺銀行がとうとう破綻をいたしました」と言ってしまいました。実際には破綻していないのに「破綻した」と失言したのです。これを機に取りつけ騒ぎが起りました。渡辺銀行だけでなく中小の銀行に人が殺到したのです。そして、渡辺銀行はもちろん、いくつかの銀行が休業に追い込まれました。責任を取って若槻内閣は総辞職をし、次に内閣総理大臣となった田中義一は大蔵大臣に高橋是清を任命しました。高橋はすぐに日銀に当時の高額紙幣である二百円札を大量に刷るように命令しました。「そんなに急にたくさん刷れません」という意見に、高橋は「片面だけで良い」と裏が白いお札を500万枚刷らせました。それを各銀行が店頭に山積みし、支払いに滞りがないことをアピールしたのです。これが功を奏して取りつけに来た人達は安心して帰ったということです。さらに高橋は追加で750万枚片面だけのお札を刷らせ、銀行に届けさせました。高橋の機転により間もなく混乱が収まり、金融恐慌は沈静化したのです。
高橋は以前にも日本を救ったことがありました。
日露戦争の時です。明治時代には日清戦争があり、次に日露戦争がありました。日露戦争は殊に国家の存亡をかけた戦争でした。その時に日本はロシアと戦うためのお金が不足していました。高橋は当時、日銀の副総裁で、総裁の命を受けて、戦費調達のために戦時国債の公募で同盟国のイギリスに渡りました。
投資家の間には兵力差による日本敗北予想があり、日本政府の支払い能力に対しても不安があり、なかなかうまくいきませんでした。しかし高橋の粘り強い交渉の結果、香港上海銀行のロンドン支店長の助力もあって500万ポンドの公債の目処がつきました。しかし、第1回戦時国債にはあと500万ポンドが必要でした。
そんな中、ある晩餐会で隣席したユダヤ人銀行家ヤコブ・シフが「残りの500万ポンドの国債を引き受けよう」と申し出てくれたのです。シフは当時、西半球で最も影響力のある2つの国際銀行の一つ、クーン・ローブ商会の頭取でした。
以後、日本は3回にわたって7200万ポンドの公債を募集しましたが、シフはドイツのユダヤ系銀行などにも呼び掛け、これを実現させてくれました。何故、シフはこんなにも日本に味方をしてくれたのか。それはロシア国内で「反ユダヤ主義」が跋扈し、ユダヤ人が虐待されていたからです。日本が神の杖となって帝政ロシアを打倒することを願ったのです。
日露戦争後、日本に招待されたシフは明治天皇から最高勲章である勲一等旭日大綬章が贈られています。
高橋とシフは以後家族づき合いとなり、高橋の二女がニューヨークに三年間滞在した際にはシフの屋敷にホームステイをしていたそうです。
1966年にイスラエルのモシュ・バルトゥール大使が赴任して来た時にも昭和天皇は「日本人はユダヤ民族に感謝の念を忘れません。かつて我が国はヤコブ・シフ氏に大変お世話になりました」と言われたそうです。
太平洋戦争に突入する昭和15年に日本は日独伊三国軍事同盟を結びました。そこにクーン・ローブ商会の紹介状を持った二人の神父がやってきました。この時に〝クーン・ローブと言ったら日露戦争で大金を貸してくれた大恩のある銀行だ〟と気づく政治家はいませんでした。高橋もその四年前に二・二六事件で暗殺されていたため、いませんでした。誰もクーン・ローブ商会の意図を考えようとする人間がいなかったのです。クーン・ローブ商会の代理人は「今、日本が同盟を結んでいるヒットラーのドイツはかつてのロシアと同じようにユダヤ人を迫害し、この世から抹殺しようとしている国だ。そのことを世界中のユダヤ人は非常に恐れ、かつ怒っている。そんな国と手を組んだら、日本は世界中のユダヤ人から敵視されてしまうことになる。それでは日本のためにはならないと思う。日本が今一番困っているはずの石油も、ますます手に入らなくなるだろう。なぜなら、世界の石油資本の多くも、ユダヤ人が握っているからだ。だから、ドイツと手を切ってくれるのなら、石油についてもどうにかしよう」ということを言いに来たようなのです。
日本が太平洋戦争へと向かわざるを得なかった最大の理由は、石油を止められたことでした。もしも、クーン・ローブ商会を通じてユダヤ人が動き、ユダヤ資本系の石油が手に入れば、日本は戦争に突入する必要などなかったかもしれません。また、高橋がもし生きていれば三度目の日本救済になっていたかもしれません。残念なことです。
法華経の結経に『観普賢菩薩行法経』があります。その中に「この舌の過患無量無辺なり。諸々の悪業の刺は舌根より出ず。正法輪を断ずること、此の舌より起こる。此の如き悪舌は功徳の種を断ず」とあります。
また、別のところには「舌根は五種の悪口の不善業を起す」とあります。
五種の悪口とは、まず「妄語」(嘘をつく)。二つ目が「悪口」(人の悪いところを言う)。三つ目は「両舌」(人の間を裂くような言葉)。四つ目は「綺語」(うわべだけを飾った言葉)。最後は「誹謗」(正しいことを謗る)です。これらの
「不善業」は、いずれも害を世間に及ぼすものです。「そうならないようにするには、自分の心を絶えず整えなさい」とお経の中には書いてあります。心が整わず、我欲のまま生きてはダメなのです。
結びに、お釈迦さまがいかに言葉に注意を払っておられたかという逸話を紹介します。
マガダ国王ビンビサーラの子の一人にアバヤ王子がいました。アバヤ王子は母方の関係からか、初めはジャイナ教の信者でした。ある時、ジャイナ教祖ニガンタ・ナータプッタがアバヤ王子に対して、お釈迦さまを論破する方法として、「まず、釈尊に次のような質問をしなさい。『如来は他人が好まないような言葉を語ることがありますか?』と。これに対してもし『然り』と答えたならば、『凡夫は他人が好まない言葉を語るが、如来は凡夫と等しいではありませんか』と言うべきであり、もし『然らず』と答えたならば、『悪逆の提婆達多について、如来は彼に〝汝は救われないものだ、地獄に堕ちて一劫という長い間苦しむであろう〟と言われたではありませんか』と言うべきである」と教えました。このようにお釈迦さまを返答に困らせて論破することを勧めました。
そこでアバヤ王子は、お釈迦さまを食事に招待し、食後、お釈迦さまに対して、「如来は他人が好まない言葉を語られることがありますか?」と尋ねました。
すると、お釈迦さまは「王子よ、一概にそうとは言えない」と答えられました。
このお釈迦さまの答えは、彼がジャイナ教祖から教わった「然り」「然らず」の回答のいずれとも違っていたので、王子は困り果て、問答を続けることができませんでした。
そこで王子は、自分がジャイナ教祖から教わって質問をしたことを告白しました。
その時、王子の膝の上には彼の幼い子どもが寝ていました。お釈迦さまは王子に「もしそなたや乳母の不注意で、木片や小石を子どもがのみ込んだらどうするか?」と尋ねました。王子は、「私はどうしてもそれを取り出します。子どもの口に指を差し入れて、子どもが嫌がったり、口から血が出たとしても取り出します。子どもがかわいいからです」と答えました。
この後、お釈迦さまは王子に対して、六種の説法のあり方を話されました。
一、真実でもなく、役にも立たない、もし相手が好まない言葉であれば、仏はこれを説かない。
二、真実であるが、役には立たない、そして相手も好まない言葉であれば、仏はこれを説かない。
三、真実であるが、役には立たない、相手がそれを好む言葉であっても、仏はこれを説かない。
四、真実でもなく、役にも立たないならば、相手が好む言葉であっても、仏はこれを説かない。
五、真実であり、役にも立つが、相手がそれを好まない言葉であれば、仏は説くべきと判断して、これを説く。
六、真実であり、役にも立ち、また相手もそれを好む言葉であれば、仏は説くべき時を判断して、これを説く。
アバヤ王子はこの説法を聞いて、熱心な仏教信者となり、さらに出家をして阿羅漢の悟りを得たということです。