日頃の行いがすべて

掲載日:2021年3月1日(月)

年の始めにはお寺や神社に詣でておみくじを引かれた方も多いと思います。おみくじが一般的になったのは江戸時代です。元来、くじは「神の意思を問う」という非常に厳粛なものでした。国の政治など重要なことを決める時には必ず神の意思を問うためにくじを引いたそうです。また、昔の人々はどうしても決めかねることがあると「神さまに聞こう」ということでくじを作って引いたそうです。

ある雑誌にこんな話が載っていました。

 Aさん一家が正月に家でくつろいでいると、小学5年生の娘さんが年末のうちに焼いておいたクッキーを出してきて「クッキーの中におみくじが入っているから、みんなよく選んでね」と言います。フォーチュンクッキーです。まずおじいちゃんが最初にクッキーを食べておみくじを見ると「大吉」でした。「良いことがたくさんあります」と書いてあったので、おじいちゃんは大喜びでした。おばあちゃんもまた「大吉」でした。「一年を元気に過ごせます」と書いてありました。お父さん、お母さんと順番に引いていくと、全員「大吉」で、良いことばかりが書いてありました。娘さんは「みんな、大吉で良かったね」と満足そうに言ったという話でした。
 こんなくじは良いですね。家族団欒の様子が目に浮かびます。

明治神宮のおみくじも他所とは違います。明治神宮では吉凶を占う「おみくじ」ではなく、「大御心」と言います。おみくじを引くと御祭神である明治天皇の御製と昭憲皇太后の御歌が書かれているからです。多くの御製、御歌の中から特に人倫道徳の指針となる教訓的なものが十五首ずつ、合計三十首が選ばれています。
 明治天皇の御製を一つ紹介いたします。

〝思うこと おほかる中に をりをりは
     なぐさむることも ある世なりけり〟
(とてもつらい出来事や思いを抱えていても、希望や未来は必ず見えてくるものです)

 コロナ禍の指針とさせていただきたいものです。

余談ですが、日本で最も古い校歌として知られるお茶の水女子大学の校歌「みがかずば」は昭憲皇太后の御歌です。前身である東京女子師範学校の開校にあたり明治8年に下賜されたものです。

〝みがかずば 玉もかがみも なにかせん
     学びの道も かくこそ ありけれ〟
(玉も鏡も磨かなければ何もならない。学業も同じです)

 お茶の水女子大学の校歌は附属校もすべて共通ということだそうですので、悠仁さまもお歌いになられていることと思います。

年の始めには、誰しも〝今年こそは〟という思いをもって始められたことがあると思います。

かつて「東洋の聖者」と呼ばれた新渡戸稲造博士が『修養』の中で言われています。

「発心は易く、継続は難し、決心の継続こそが大事を成す基である」
 確かに決心することは簡単ですが、それを継続するのはとてもむずかしいことです。

 新渡戸博士は「孟母断機の教え」を説かれています。孟子は孔子と並び称される中国の聖人です。孟子のお母さんは孟子を勉強のために遠くに留学させますが、孟子はお母さんに会いたくて、学問を終える前に家に帰ってきてしまいました。その時、お母さんは機を織っていました。お母さんは孟子に「もう学問を終えたのかね」と聞きました。すると「いや、まだ十分ではありません。母君に会いたくて帰ってまいりました」と言うと、お母さんはいきなり自分が織っていた織物をハサミで真っ二つに切ってしまいました。「何をされるんですか」と孟子が驚いて言うと、お母さんは「お前が学問を中途でやめて帰ってくるということは、機を途中で断ち切るのと同じだよ。今までの努力が全部無駄になるのだよ」と涙を流して説き聞かせたのです。

 新渡戸博士はこの話をとても気に入っておられました。自分の境遇に引き当ててこの話を受け止められたのだと思います。

 新渡戸博士の家はお父さんが早くに亡くなり、母子家庭でした。お母さんの教育方針で、9歳の時から盛岡の親元を離れ上京して勉学に励まれました。「お母さまに会いたい」とたびたび手紙を書かれたそうです。しかし、そのたびにお母さんは「まだ帰ってきては駄目です。しっかり勉強して学業を終えてから帰ってきなさい」と、いつも励ましの手紙を送っていました。そして、15歳で札幌農学校(現在の北海道大学)に入り、学年で一番の成績を修めて、褒美をもらって十年ぶりに得意になって帰郷した時、お母さんはその数日前に亡くなっていたのです。

 新渡戸博士は少年時代にもらったお母さんからの手紙をすべてつなぎ合わせて巻紙にし、命日がくるごとに泣きながら読まれていたそうです。

新渡戸博士は『修養』の中で決心の継続のコツをいろいろ説かれていますが、《一事に通ずれば万事に適用される》という一説があります。

「例えば草を取るにしろ、ご飯を食べるにしろ、本物になりさえすれば必ずそれが他のさまざまなことにも及ぶ。『舞うも歌うも法のうち』と言うが、法のないものがあるだろうか。法とは原則の意味で原則は共通するものらしい。いわゆる物の極意というものはすべてに共通するようだ。だから、志を立てたなら一心に邁進し、中止せずたゆまず行う。障害が現れてもこれを排除し、倒れたにしても起き上がってまた進む。そうすれば最終的に極意に達する。一事の極意に達しさえすれば、ほかの諸芸にも通達できるのだ」

また「人によって違うが、僕は継続心を修養するには、ことさらにえらいこと、むずかしきことを選んで継続するのは良くないことであろうと思う。最初からえらいことをやろうとすると、失敗に終わることが多かろうと感ぜられる」と言っておられます。全くその通りだと思います。えらいことをやろうとすると続かないものです。

「もっとも非凡の人はあるいはこれを継続するかもしれぬが、普通の人はたやすいことで、ただ少し嫌というくらいのことを選んで継続心を鍛錬すると良い」として、「毎日日記をつける」「散歩をする」「朝早く起床する」「先祖の命日に必ず墓参りをする」等が例として示されています。

女優で落語家の三林京子さんのエッセーに興味深いことが書いてありました。

 三林さんは大阪芸術大学短期大学部の教授を長年務められ、演劇の身体表現の指導をされました。そこで学生に正しい姿勢や、基本となる挨拶から教えられたといいます。当初、みんな本当に姿勢が悪かったそうです。〝演劇をやろうという学生が悪い姿勢ではいけない〟と、まず姿勢から正そうとしたのですが、学生達は自分の姿勢が悪いことに気づいていませんでした。三林さんは猛勉強をして、骨格レベルから分析し、立っている時の足の母指球や座った時の座骨がどうなるのかを説明して、どの骨と筋肉をどう使ったら正しい姿勢になるかを指導しました。その結果、丸まって存在感のなかった学生がすっと伸びて美しい立ち姿になり、鏡に映ったその姿を見て感激していたと言います。

 三林さんはNHKの児童劇団員時代に、「姿勢が良い」とほめられたことがありました。小学校1・2年生の時の担任の先生が厳しい先生で、ちょっとでも姿勢が悪いと竹のものさしを背中に入れられ、絶対に背中を曲げられなかったそうです。また、ちょっとでも机に肘をつこうものならピシャッと叩かれました。今なら体罰と言われるかもしれませんが、それで姿勢が良くなったと今ではとても感謝しておられます。三林さんは学生を叩くことはしませんでしたが、教えていくことでどんどん姿勢が良くなっていきました。そして、姿勢が良くなったところでお辞儀の仕方と挨拶を教えられました。
 入学式の後少し経ってから、新入生が門から入る時にあるセレモニーをしました。上級生が「学長」「学科長」「学食のおばちゃん」「掃除のおじさん」等と書かれた役名のカードを持って立っているのです。「新入生は門から入ってきて、挨拶をしなさい」と三林さんは言うのです。その役名を見ながら新入生達の多くは「うっす」「おはよう」「おはようございます」等々、挨拶の仕方を変えたのです。

 それを三林さんは叱りました。

「なぜ相手の役職によって挨拶を変えるのですか」

 ある女子学生は泣いてしまったそうです。しかし、新入生達は〝どんな人に対しても同じ姿勢で、同じ言葉で挨拶をしなければいけない〟と気づいてみんな変わっていったそうです。中には卒業してオーディションを受けた時に挨拶をしただけで「君は挨拶が良い。合格」と言われた学生が何人もいたそうです。

三林さんはジャニー喜多川さんの話をしておられます。ジャニーさんは才能のある子を見つけてスターに育て上げる名伯楽でした。ジャニーさんはオーディションの時、わざと清掃員の格好をして会場の廊下を掃除していたそうです。自分に対してどういう態度をとるか、どういう挨拶をするか、普段の立ち居振る舞いや言動を見ていたのだそうです。

 三林さんは言われます。「人間は日頃の行いがすべてで、それ以上のことを人前でなかなかできるものではありません。掃除のおじさんに声をかける人は普段からそうしている人です。毎日の挨拶がしっかりできる人は名前もすぐに憶えてもらえますし、初対面で心を通わせる時間が短くても人からの信頼度が自ずと高くなるものです」

『法音』読者の皆さんも、それぞれ今年の目標なり、決心されたことがあると思いますが、そんなにむずかしいことを考えずに、挨拶をしっかりするというような、身近なことを継続されると良いかもしれませんね。