沖縄県のうるま市に、学校法人角川ドワンゴ学園が設置したN高等学校があります。角川書店とIT企業のドワンゴが協力して作ったインターネットで通信教育を行う高校です。
そのN高等学校に、「政治部」が設立されました。2015年に公職選挙法が改正され、投票できる年齢が20歳から18歳以上に引き下げられましたが、10代の投票率は全体の投票率よりもずっと低いままです。そこでN高等学校では生徒への主権者教育の一環として「政治部」をつくったのです。
第一回のゲスト講師が麻生太郎副総理でした。講演の冒頭で麻生副総理は「マスコミはよく日本の若者は政治に関心がないと批判するが、若者が政治に関心がないことは悪いことではない。それだけ日本で平和に暮らしているということだ。アフガニスタンなど戦闘が続く地域は生活をするために政治に関心を持たざるを得ない。政治に関心がなくても平和に生きられる国にいる方がよっぽど良い」と発言されました。たしかに、昨今の香港の若者達による反政府デモを見ていると、日本が平和な国であることを実感します。
中国の古典『十八史略』の中に『鼓腹撃壌』(腹つづみを打ち、足で地面を踏み鳴らして拍子をとる意)という故事があります。古代中国の伝説上の聖天子・堯帝が治める国は平和で安定していました。その治世は五十年に及びました。ある時、堯帝が「本当に世の中は平和に治まっているのだろうか」と側近に尋ねたところ、側近は「わかりません」と答えました。朝廷の役人や民間の有力者に尋ねてみても、みな「わかりません」と答えます。そこで、自分の目で確かめるために、お忍びで宮殿の外に出ました。すると、子ども達が歌をうたっているところに出会いました。
「みんなの暮らしが楽なのは、わが堯さまのお陰です。頭を悩ますこともなく、おん導きのおんままに」
これを聞いても堯帝は、まだ安心できなかったのか、なおしばらく行くと、一人の老人に出会いました。そのくだりを『十八史略』の原文を引くと次のようになっています。
「老人あり。哺を含んで鼓腹撃壌して歌って曰く。日出でて作り、日入りて息う。井をうがって飲み、田をたがやして食らう。帝力何か我にあらんや」
ここに『鼓腹撃壌』が出てきます。歌の部分の訳は「お陽さま昇れば野良仕事、お陽さま沈めば休みましょう。井戸を掘っては水を飲み、田を耕しては米つくる。天子さまなんぞ、いてもいなくても関係ない」となります。堯帝はこれを聞いて、〝ああ、天下は泰平なのだ〟と、安心して宮殿に帰っていったというお話です。
この話は現代の日本にそのまま通じるような気がします。
山務員の渡辺堯学上人は法音寺に来るまで中国の北京大学に、留学生ではなく本科生として在学していました。堯学上人は、北京にいる間、中国人学生によく「君は日本に生まれて本当に幸せだな」と言われたそうです。中国では共産党政権の批判をすると、学生の場合はすぐに退学になり、教師の場合は退職になるそうです。
北京大学社会学部元教授の鄭也夫という方がおられます。この方は「中国共産党政権は執政の七十年間に、国民に多大な災いをもたらした。共産党政権は平和に歴史から去るべきだ」と痛烈に政権批判をし、教授職を追われました。しかし、鄭氏はこの程、舌鋒を緩めることなく、中国最高指導部である中央政治局の7人の常務委員(チャイナ7)に対して、反腐敗の一環として資産を公開するよう求めました。一説によると中国共産党の幹部は想像も及ばない程の莫大な資産を所有していると言われています。
清朝の時代に『清官三代』という言葉がありました。当時、収賄の限りを尽くした悪い官僚を「濁官」と呼んだのに対し、清廉な官僚は「清官」と呼ばれました。しかしその「清官」でも役得や利殖を得ており、知事を一期務めると三代にわたって潤うぐらいの収入があったそうです。共産中国になってもこの伝統は続いているのかもしれません。
銅鑼湾書店という小さな本屋さんが、かつて香港にありました。そこで扱う本は、中国共産党政権批判の本です。これらは中国では「禁書」とされています。書店の店長と株主を含め5名の関係者が相次いで失踪しました。中国当局に拘束されたのです。その間に銅鑼湾書店にあった4万冊以上の本は全部破棄され、営業ができなくなりました。しかし、八カ月にわたって拘束されていた元店長の林栄基さんは、釈放されてから台湾の台北に行き、本年4月に銅鑼湾書店を再開しました。そこには台湾の蔡英文総統も訪れたそうです。日本では政府を批判しても、このようなことは起りません。〝日本に生まれて良かった〟とつくづく思います。
日蓮聖人のご遺文に池上兄弟にあてられた『兄弟鈔』があります。そこに「三障と申すは煩悩障・業障・報障なり」とあります。
「三障」とは、三種類の困りごとです。「煩悩障」は貪・瞋・痴によって起こり、「業障」は家族によって起こり、「報障」は国主・父母等によって起こる困りごとです。生まれる国によって、その人の運命は大きく左右されるのです。
アメリカの啓蒙作家でオグ・マンディーノという方がいます。この方の前半生は悲惨なものでした。家族に出ていかれ、アルコール中毒になり、ピストル自殺をする寸前までいきました。しかし、あることに気づいて思いとどまり、作家として大成功をおさめました。そのきっかけは、自分にはすばらしい財産があることに気づいたということでした。「これは本当に自分の血と涙で購った、人生において最高の生きる秘訣だ」と言っています。
「財産」というのは、私達があたりまえに思っている〝目が見えることや手足が動くこと〟です。オグ・マンディーノは言います。
「あなたは一億円で目をくれと言われたら目をあげますか。五億円で手足をくれと言われたらあげますか。たとえ国家予算と交換だとしてもいやですよね。それぐらいすごい財産をあなたは持っているのです」
しかし、一番に上げている財産は「このすばらしい国に生まれたことだ」と言うのです。オグ・マンディーノはアメリカ、私達でしたら日本です。
小泉純一郎元総理が、初めてサミットに出席する半月前、日下公人という政治評論家に言われました。
「日下さん、ニューカマー(新入り)はデビューの最初が大事です。相手にアッと言われるのが外交の第一歩です。そこで、こういう挨拶はどうでしょうか。
『我々はそれぞれの国の首相・大統領で、その仕事は国民の願いを叶えることです。国民の願いの第一は長命だが、これはサミットの中では日本が一番です。第二は豊かになることですが、これも一人あたりのGDPで見て日本が一番です(※現在は26位です)。第三は貧富の差がなくて平等なことですが、これも日本が一番です。また、第四は安心して今夜も就寝できることですが、それも最高です。犯罪がなく、女性は夜でも街を歩き、病人はすぐに救急車が運んでくれます(※アメリカでは救急車は有料で5万円程かかります)。第五は、衛生的でおいしい食事ですが、これも日本が最高です(※日本はミシュランの星つきの店が本国フランスより多いのです)。第六は、国民が首相、大統領の悪口を思う存分言えることですが、これも日本が一番活発で自由です(※最近ロシアでは反体制指導者の毒殺未遂事件がありました)。七番、八番は省略して、ともあれ、あなた方のニューヨークやロンドンやパリが東京並みになるのは何年後でしょうか。20年後でも無理でしょうね。とすれば、日本が一番の先進国ですね。では私が議長席につきましょう。なお、どうすればこうなれるかは今夜、我々だけで余人を交えず一杯やるときにお話ししましょう』」
こう言って、当時の小泉総理は勇気百倍で出発して行かれたというお話です。
この話の大部分はその通りで、特に注目したいのが政権批判を含め何事においても日本が自由だということです。
オグ・マンディーノは、「目や手足のあることの前に、この国に生まれたことが最もすばらしいことだ」と言いました。その次に言ったことが「現在謳歌している自由の値段はいくらですか」です。よく「ありがたいことを見つけましょう」と言いますが、自由のありがたさを感じたことはあるでしょうか。私も含めて日本に住んでいて自由のありがたさを感じている方は少ないのではないかと思います。
以前NHKの『映像の世紀プレミアム』という番組を見ました。そこにベトナムのある軍人が出てきました。ヴォー・グエン・ザップ将軍です。ザップ将軍は稀代の軍事戦術家で、第二次世界大戦後も植民地支配を続けようとするフランスに対してベトナム軍を指揮し、これを打ち破り、フランス領インドシナからベトナムを解放しました。また後に、ベトナム人民軍を指導してアメリカ軍と南ベトナム軍との戦いを制し、ベトナムを再統一しました。その名采配から、西側諸国からは「赤いナポレオン」と敬意をもって呼ばれ、ベトナム人民からは「救国の英雄」として深い敬愛と尊敬を一身に集めていました。
その将軍の言葉が私は大変印象に残っています。
「アメリカと戦うために払った代償は甚大なものでした。我々は何百万もの軍人を犠牲にしましたが、独立と自由ほど尊いものはないのです。独立と自由は、それらの犠牲よりも貴重なのです。しかし、そのために命を捧げた英雄達の血に対する償いは、いまだに果たされてはいません」
私達は日本に生まれたありがたさを再認識し、その喜びを一人ひとりが菩薩行に結びつけていかなければいけないと思います。