皆さんは『M1グランプリ』というテレビの番組をよくご存じだと思います。漫才師の若手ナンバーワンを決める大会です。この程、神戸の須磨寺という真言宗の大本山で、その法話版『H1グランプリ』が開催されました。七宗派、八人のお坊さんが集まって、それぞれ持ち時間は十分。グランプリは、審査員と観客の皆さんが〝また会いたい〟と思ったお坊さんに投票してナンバーワンを決定するというものでした。見事、グランプリに輝いたのは曹洞宗長楽寺の安達瑞樹住職です。
安達住職は駒澤大学落語研究会出身で、日頃から病院や地域の敬老会、東北の被災地などで落語やご法話を披露し、人々に喜ばれているそうです。今回のご法話は、ご住職の実体験を落語調にしたもので大変おもしろかったので、ここで紹介したいと思います。
安達住職のお寺の隣に96歳の働き者のおばあさんが住んでいて、毎日畑に出て、一生懸命畑仕事をしているそうです。ある日、おばあさんが安達住職に「和尚さん、この間病院に行ったら骨粗鬆症やと言われた」と言ったそうです。そこで「そらしゃあないですよ。96歳ですもんね。女性の方に多いと聞きますし」と言うと、おばあさんが「薬をもろた」と言います。「何の薬をもろたんですか?」「カルシウム剤」「そら飲まなあきませんで」と言うと、おばあさんは「私、96や。カルシウム剤なんて今から飲んでも、効いてくんのは骨上げん時や」と言ったそうです。おもしろいおばあさんですね。
安達住職はこのおばあさんによくお世話になっているようです。安達住職が長楽寺にやってきたのが十八年前。最初の十年くらい独身で、独り暮らしをしていたそうです。その時、このおばあさんが「一人では寂しいだろう」と、鈴虫を三十匹くれました。「何を食べさせれば良いか?」と聞くと、「かつお節だ」と言われ、〝えらい贅沢なやつやな〟と思ったそうです。しかし、秋になり、お彼岸の終わる頃にリンリンリンリンと鳴きだし、〝なかなか風情があるな。ええもんやな〟と思って眺めていました。
しかし、10月になると一匹ずつ減っていきました。メスが産卵のために栄養をつけなければいけないので、そのためにオスを食べてしまうのです。それで途中からメスだけになったそうです。しかしそこで終わりではなく、産卵の終わったメスをまだ産卵の終わっていないメスが食べるのです。結局、最後は一匹か二匹になったそうです。それも産卵が終わると鈴虫は死にます。そこでおばあさんのところに行って、「おばあさん、こないなったけど、どないしたらええですか?」と聞くと、おばあさんが「うん、そうやな、じゃあ、とりあえず般若心経でもあげようか」と言われるので、一緒にお経をあげ、「次にどうしたらええですか?」と聞くと、おばあさんは「暗いところへ置いとき。来年の八十八夜、5月の2日に明るいところへ出して、表面に水をまいたら、卵が孵るんやで」と言われました。〝良いことを聞いた〟と5月2日を楽しみにしていたのですが、いつしか忘れてしまっていると5月2日の朝4時に電話があり、てっきり〝誰か亡くなったのか〟と思って電話に出ると、「和尚さん今日やで」というおばあさんからの電話でした。
急いで水をまき、二~三日様子を見たのですが、全く何も変わらなかったそうです。そしてまた忘れてしまいました。忘れていると一カ月半ぐらいして、おばあさんが「どうなった?」と聞いてきたので「すっかり忘れてました」と言って様子を見に行くと、容器に小さい鈴虫がウジャウジャいたそうです。〝これでは容器が狭いな〟と、ホームセンターで容器を二つ程買い足して、分けて飼っていると、近所の小学生の男の子が遊びにきました。
「和尚さん、何してるの?」と聞くので、「実は鈴虫が増えすぎて困ってんねん。もらってくれへんか」と言うと、「いいよ」と二ケースもらってくれたそうです。
夏休みになってその子がまた来て「夏休みの自由研究で『鈴虫の一生』をやりたいから、和尚さん教えてください」と言ったのです。安達住職も一回しか飼ったことがないのですが、知ったかぶりをして、「いいよ。教えたろ。この後、10月くらいからメスがオスを産卵のために食べるんや。どこの世界もな女性は強いんやで」と言うと、その子が〝どこの世界も女性は強い〟とメモしたそうです。「みんな死んでしもうたら、般若心経をあげるんやで」と言うと、また、〝般若心経をあげる〟とメモしたそうです。「そして5月2日になったら水をまく。そしたらまた、孵るんやで」と教えたそうです。
夏休みが終わると、その子が報告に来てくれました。「和尚さんのお陰で一等賞が取れました。ありがとうございました」と、作品を見せてくれました。その作品にはきれいな写真が貼ってあり、観察メモが書いてありました。〝鈴虫は産卵の時期になるとメスがオスを食べる。どこの世界も女性は強い〟と書いてあったそうです。その後に〝みんな死んでしもうたら般若心経をあげる〟と書いてあり、最後のまとめで〝鈴虫はこうやって命をつないでいるのです〟と書いてありました。安達住職は〝ああ、そこは教えていなかった。そこに気づいたんだな。えらいなぁ〟と感心したそうです。
最近私も、孫が生まれまして、〝命のつながり〟というものを実感しております。七年前に日達上人がご遷化され、大変寂しい思いをしましたが、今回、孫の誕生で得も言われぬ喜びを感じております。ありがたいことです。
『いのちのまつり』という絵本があります。副題が『ヌチヌグスージ』、これは沖縄の言葉で〝いのちのお祝い・いのちのお祭り〟という意味です。この絵本は評判がよく、小学校の道徳の副読本に全面採用されました。そして今ではシリーズで六巻まで出ています。
主人公のこうちゃんが初めて沖縄に行った時の話です。沖縄に行くと、石の大きな家の前で大勢の人が飲めや歌えの大騒ぎをしていました。中には三線という沖縄の三味線を弾いている人もいました。〝なんだろう?〟と思って近づいていくと、一人のおばあさんが「これはお墓参りさぁ~」と言ったのです。大きな家は島独特のお墓だったのです。本土のお墓参りと全然違うので、こうちゃんはびっくりしてしまいました。そこでおばあさんが「これはな、私達に命をくれた大事なご先祖さまのお墓参りなんだ。春になると親戚中が集まって、ご先祖さまに〝ありがとう〟を伝えるんだ」と言い、その後、このおばあさんは命が連綿と続いて今のこうちゃんがあるということを話していくのです。そこでこうちゃんは、〝ああ、そんなたくさんの命がつながって自分が今いるんだ。ありがたいなぁ〟と思うのです。最後におばあさんが「坊やも大きくなって結婚して子どもが生まれる。命は目に見えないけれど、ずっとずっとつながって行くのさぁ~」と言うのです。こうちゃんは「へぇー僕の命ってすごいんだね」と言います。そこへ、お父さんとお母さんが迎えに来て、「こうちゃん、探したぞ」と言うと「あ、僕のご先祖さまだ」とこうちゃんが言うのです。
その時、お日様がちょうど沈みかけていました。〝こうちゃん、頑張れ〟と夕焼け雲の上からたくさんのご先祖さまが手を振っている気がして、こうちゃんも空に向かって高く高く手を振りました。そして、たくさんのご先祖さまにしっかり届くように大きな声で言いました。「命をありがとう!」
この『いのちのまつり』の出版記念イベントでの話です。第一部で著者の草場一壽さんが講演され、講演後に質問がありました。子どもの絵本なのでお母さん達が集まっていました。皆さん子育てについて聞きたかったのです。あるお母さんが「どんな子育てをすれば良いですか?」と草場さんに聞くと、草場さんは即答しました。
「『ありがとう』と『ごめんなさい』が言える子どもに育ったら百点満点。育てた親も百点満点だと思います」
その後、第二部はフリーアナウンサーの副田ひろみさんによる朗読が始まるはずだったのですが、舞台の袖にいた副田さんが突然、号泣してしまい、朗読ができませんでした。実はその数年前、副田さんは、大学を卒業して就職したばかりの息子さんを23歳の若さで交通事故で亡くしていたのです。亡くなった翌年の1月2日、初夢に息子さんが出てきたそうです。夢の中で副田さんが「何してたの?お母さん、心配してたのよ」と言うと、息子さんは「ありがとう、お母さん」とそれだけ言って、友達とどこかに行ってしまったそうです。朝、目が覚めると、今度は娘さんが、「お母さん、お兄ちゃんが夢に出てきたよ。お兄ちゃんが友達と楽しそうに話をしていたのでメールを送ったんだ。そうしたらお兄ちゃんからすぐに返信が来て、『ごめんな。ごめんな』と書いてあった」と言うのです。
副田さんはこの時、思ったのです。
〝息子は私に『23歳で死んでしまってごめんなさい』と、『23歳まで育ててくれてありがとう』の、この二つのメッセージを言おうとしたんだ〟
その思いを大切にしていた副田さんでしたので、初対面の草場さんから、「『ありがとう』と『ごめんなさい』が言える子どもに育ったら子どもも育てた親も百点満点」と言われ、息子さんのことを思い出し、一気に涙があふれて、絵本の朗読ができなくなってしまったのです。
沖縄では、生きている人が幸せになることが、亡くなった人に対する一番のご供養になると信じられています。お墓で楽しく過ごし、それをご先祖さまに見てもらい、ご先祖さまに喜んでもらう。「いのちのお祭り」を、ご先祖さまへの感謝の思いを込めて沖縄の人達は心から楽しんでおられるように思います。
命のつながりというものは本当にすばらしいですね。