運命は自分から作り、 幸福は自分から求めるもの ⑤

掲載日:2019年2月1日(金)

今回は『陰騭録』の最終章「改過」についてお話をします。
「改過」とは〝過ちを改める〟ということです。

人は誰でも過ちを犯すことがあります。孔子は「過ちて改むるに憚ること勿かれ」(過ちを犯したら、ためらわずに直ぐに改めるように)と言いました。勇気をもって、根気良く改めることが肝要です。

私達は小さい過ちを見過ごしがちです。しかし、小さな過ちでもそれを重ねていくと何時か大きな悪となり、禍として身に降りかかってきます。

誰しも禍を避け、福を願うものですが、袁了凡は「吉凶禍福には前兆がある」と言っています。

本文には「中国の春秋時代の大夫達が、人の言動を観察し、予測してその過失や災禍を説くのに、一つとして当らないものはない。そのことは『春秋左氏伝』や『国語』に書かれているものを観るとよくわかる。およそ吉凶の兆は、はじめ心の中に萌して、それから身体に現れてくるものである。それ故、福がまさに来ようとするときは、その善なる相を観て、あらかじめこれを知ることができる。禍の来ようとするときもその不善なる相を観て、必ず前もってこれを知ることができる」とあります。

袁了凡の前半生をことごとく言い当てた孔老人は「易学の秘伝を得ている」と言いました。「人間の運命を知るのに易学程秀れたものはない」と易学の大家・安岡正篤氏は言っておられます。

日本で一番有名な易学者は、幕末から明治を生き、横浜の地に名を残し、「易聖」と呼ばれた高島嘉右衛門であろうと思います。高島嘉右衛門は易学の奥義を極め、政府高官の依頼によって征韓論や日清戦争、日露戦争のことを占い、その占いが当時の新聞に掲載された程です。殊に伊藤博文との親交は有名です。

伊藤博文と高島嘉右衛門は四十年の付き合いがあり、子ども同士が夫婦で姻戚関係でした。伊藤博文が六十八歳の時、日露戦争後の満州問題を解決するために満州のハルビンにロシアの蔵相と交渉に行くことになりました。高島嘉右衛門は病気で寝ていましたが、伊藤博文が挨拶に訪れると、いきなり「閣下、急病になってはいただけませんか」と言いました。伊藤博文が「私は元気だし、そんなことはできるわけがない」と笑いながら言うと、「閣下ももうお年ですから、急に病気になられることもあります」と真剣に言いました。そこで「私の旅の前途を占ってくれたのか」と伊藤博文は聞きました。すると高島嘉右衛門は「大変な凶兆でございます。おそらく閣下はこの旅から無事にお帰りにはなれますまい」と言って、寝床から起き上がり、正座をして畳に頭をすりつけながら「高島嘉右衛門、一生に一度の最後のお願いとお考えください。満州に行ってはなりません」と懇願しました。それに対して、伊藤博文は「そうか、行ったらもう帰って来ることができないか。あなたが言うのだから間違いないだろう。しかし、この度の満州旅行だけはどう言われても止められないのだ。私のこの命は、お国のため、陛下のために捧げたものだ。御維新の戦乱の中で大勢の仲間が死んだ。中には私よりも優れた者も少なくなかった。今これだけ生かされていることは、もうそれだけでありがたい。これ以上、長生きをしようとは思っていない。吉田松陰先生が刃の露と消えられても、門下生達がその志を継いだように、かりに私が満州で殺されても、その死は決して無駄にはなりますまい」と答えました。高島嘉右衛門は「閣下、もうおひきとめはいたしません。ただ最後に一つだけお願いがございます。『艮』という字の付く人間を絶対におそばに近づけてはなりません。これが凶兆のもとです」と言いました。そして満州ハルビン駅のプラットホームに降り立った時、六発の銃声が鳴り響き、伊藤博文は暗殺されたのです。撃ったのは、韓国人の排日家・安重根でした。

高島嘉右衛門は、自分の死も予言しています。

高島嘉右衛門は「易聖」と呼ばれましたが、その当時、人相見として水野南北以来の大名人と言われた桜井大路という人がいました。高島嘉右衛門は大正三年の十月十七日、八十三歳で亡くなりましたが、その死の三カ月前に桜井大路が病床を訪ねました。そこで高島嘉右衛門が「東京停車場の落成記念に私は呼ばれるでしょうが、とうてい出席はできますまい。あの世から見物しますかな」と言うと桜井大路が「何を仰います先生、先生は少なくとも米寿までは長生きなさいます。…と私は鑑定いたしますが」と励ましました。しかし、それに対して高島嘉右衛門は微笑しながら言いました。

「あなた程の人相骨相の達人が、心にもないことを言われますな。私自身の余命についてはもう悟り切っております。余計な気遣いはいりません。正直なことを言ってください」

「〝直接相手に向かってその死期を告げるな〟というのは占い師の掟でございます。しかし先生はそのようなことは百も御承知のはず。それを押し切ってのお尋ねとあらば、私もはっきりと申し上げましょう。あと三カ月、十月の半ばまでのご寿命と鑑定いたします」

「さすが桜井大路。あなたは大名人だ。そこの棚に手文庫がある。それをとってくれませんか」

その手文庫には位牌が一つ入っていました。位牌には高島嘉右衛門自身の筆で「大正三年十月十七日没 享年八十三歳」と書きしるしてありました。それを見て桜井大路は、高島嘉右衛門の枕頭で泣き伏したと言います。これは当時の中央新聞に記事が掲載され、有名になったお話です。

心中の善悪・想念が、人間の面相・言語・動作に現れてきます。ひいては、それがその人の運命につながっていくのです。

かのマザー・テレサがおっしゃっています。

「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」

運命の転換をはかるならば、先ず心からです。

それには「三つの心が大事だ」と袁了凡は言います。
 一つ目は〝恥を知る心〟です。

人間は誰しも〝自分は大して悪いことをしていない〟と思っていますが、平々凡々と気ままに過ごしていることはとても恥ずかしいことです。〝この世に生まれてきたら、徳を積むために命をいただいたのだから、徳が積めていないことは恥ずかしいことだ〟と思って、毎日努力しなければいけないのです。

孟子は言っています。「恥ずる心程人間にとって大事なものはない」

恥ずる心を持っていると自らを省みて精進するようになり、やがては聖賢の域にも達することができるのです。逆に恥ずる心を失うと、自ら省みることなく、精進もせず、そのために禽獣と同等となってしまうのです。

山岡鉄舟という、西郷隆盛のたっての依頼により明治天皇の侍従になった人がいます。この人は道場を開く程の剣の達人で、神仏を大変敬う人でした。ある時、門弟が「先生は『神仏を敬え』とよく言われますが、神仏を信仰したところで大した利益もないし、罰も当たりませんよ。その証拠に私は道場に来る途中にときどき神社の鳥居に立ち小便をしますが、罰が当たったことはありませんよ」と言いました。それに対し、山岡鉄舟は「馬鹿者。恥を知れ。お前にはすでに罰が当たっておるわ。立派な武士のお前が犬や猫の真似をして得意になっている。それがつまり神罰じゃ」と言ったそうです。

二つ目は〝畏れる心〟です。

以前にもお話しした「慎独」(独りを慎む)ということが大事です。〝自分一人で誰も見ていない、聞いていないところでも、諸天が見ておられる、聞いておられる〟という気持ちで行動しなければいけないということです。

有名な『四知』(天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る無しと謂わんや)という言葉があります。

中国の後漢の時代、楊震という人が、王密という若者を取り立てました。楊震がある町に行った時、王密がそこにいました。夜遅く王密がやってきて「先生、ありがとうございました。先生のお陰で、この地位につくことができました」と言って大金を差し出しました。その時、楊震は「私は君という人間を認めて推挙しただけのことだ。君は私がどういう人間なのかわかっていないのか。こんなものが欲しくて君を推挙したわけではない。君の能力を見込んだのだ」と言いましたが、「夜も遅いですし、誰も見ていません。誰も聞いていません。どうぞお納めください」と引き下がりません。そこで楊震は「そんなことはない。天が知っている。地が知っている。私が知っている。君が知っているではないか。どうして誰も知らないと言えるんだ」と言って断ったという話が元になった言葉です。こういう〝畏れる心〟を持ちたいものです。

三つ目は〝勇心〟です。

〝間違っているな〟と思ったらすぐに改めるということです。ぐずぐずしていると人生はあっという間に終わってしまいます。〝いつかやる〟は、〝いつまでもやらない〟のと同じです。

ある時、道元禅師に弟子が「人生を成就する人と何もせず終わってしまう人がいますが、その違いは何でしょうか?」と尋ねると「それは努力をするか、しないかだ」と道元禅師は答えました。続けて弟子が「では努力をする人としない人の違いは何でしょうか?」と尋ねると「努力をする人は〝人間が死ぬ〟ということを知っている。人生に限りがあることを知っている。だから努力をするのだ」と答えています。

勇気を持って素早く改過をすることが大事なのです。

すべての過ちというのは心から発します。心を清浄にたもてれば、罪を作ることもありません。しかし心を清浄にたもつということはむずかしいことです。大事なことは、一心に〝徳を積みたい〟と思うことです。そう思っていれば、悪いことはできません。自然に良い方に向かいます。

袁了凡は「心を改めて、徳を積もうということを常に心掛ければ、一週間、一カ月、二カ月、三カ月と経つうちに必ず次のような効験が現れる」と言っています。

◦心が晴れやかでゆったりとしてくる。
◦智慧がにわかに開けて頭の働きが機敏になり、人生の道理が一気にのみ込めるようになる。
◦忙しい中でも自然に仕事がはかどる。
◦意趣遺恨に思っていた人に会っても、まったく怒りや嫌う気持ちがなくなり、喜びと変わる。
◦夢の中で黒い物を吐いたり、先師先哲から教えを受けたり、虚空を飛び歩いたりする。また神仏を荘厳する幢幡や天蓋を夢に見ることがある。

以上のような効験が現れたら、これは〝改過が進んで徳が積めてきた証拠だ〟と喜び、より一層精進しなければいけません。

お互いに頑張りましょう。
今回で『陰騭録』のお話を終わらせていただきます。