正しい教えを学び、実行しましょう

掲載日:2018年9月1日(土)

法華経方便品に「仏口所生の子」という言葉があります。〝仏さまの口から生まれたる者〟すなわち〝仏さまの口から説かれた尊い教えによって生まれ変わった者〟という意味です。どんな人間でも、たとえ殺人者でも尊い教えを信じ、心から懺悔することによって生まれ変わることができるのです。

後にお釈迦さまの弟子になるアングリマーラという者がいました。アングリマーラ経という経典の中に登場します。インドのコーサラ国の首都・舎衛城に現れた殺人鬼です。アングリマーラは人を殺しては、その指を切って首飾りを作り、首にかけていました。「アングリ」とは「指」、「マーラ」は「首飾り」という意味です。

舎衛城の人達は、夜な夜な出没しては人を殺し、指を切っていく殺人鬼に震えあがっていました。コーサラ国の波斯匿王は軍隊を率いてアングリマーラを退治しようとしますが、アングリマーラは神出鬼没でつかまりません。ある時、お釈迦さまが、人々が恐れおののいているという噂を聞かれ、「私が教化しよう」とアングリマーラのところに行こうとされました。「お釈迦さまが殺されては大変だ」と周りの人々は止めたのですが、「いや、心配は無用だ」と言われ、出かけて行かれました。するとアングリマーラが現れたのです。

すぐにアングリマーラはお釈迦さまを殺そうと襲いかかるのですが、お釈迦さまの神通力によってその衣に触れることもできません。アングリマーラは狂ったように追いかけるのですが、どうしてもお釈迦さまに追いつくことができません。ついに疲れ果て、追いかけることをやめました。そこでお釈迦さまは尊い教えを説かれ、アングリマーラを教化されたのです。お釈迦さまの教化はアングリマーラの仏性に染みたのです。アングリマーラは深く懺悔をし、その場で仏弟子になることを願い出ました。

仏弟子となったアングリマーラはほかの弟子と同じように托鉢に出かけます。しかし殺人鬼だった男に人々がいい顔をするわけがありません。食べ物をくれるわけがありません。それどころか石を投げたり、殴りかかってくる者もいました。そうした仕打ちに来る日も来る日も耐えながら、アングリマーラは托鉢に出たのです。

ある日、アングリマーラは路上で苦しむ一人の妊婦に出会いました。〝どうにかしてあげたい〟という慈悲心からお釈迦さまのもとへすぐに帰って、「妊婦さんを助けてあげたいのです。子どもを無事に産ませてあげたいのです。どうにかなりませんでしょうか」と懇願しました。そこで、お釈迦さまは「その妊婦さんに手を合わせて『ご婦人よ、私は生まれてよりこのかた、生き物の命を故意に奪ったことがない。この真実の言葉の力によりて、あなたとあなたのお腹の赤ちゃんに安穏あれかし』と言いなさい」と言われました。

インドには古来、真実の言葉には不思議な力が宿るという信仰があります。お釈迦さまは「その真実の言葉の力をその女性の前で発揮せよ」と言われたのです。しかし、アングリマーラはお釈迦さまに「私は多くの人間を殺してきました。〝生まれてよりこのかた、生き物の命を故意に奪ったことがない〟とは言えません。それは真実の言葉ではありません」と言いました。それに対してお釈迦さまは「私の言う通りにしなさい」と言われました。意を決してアングリマーラが女性に向かって、言われた通り唱えると、その瞬間に赤ちゃんが生まれたのです。アングリマーラは生まれ変わっていたのです。「仏口所生」となっていたのです。

これは、たとえ殺人鬼と言われるような人でもお釈迦さまの教えに深く帰依して慈悲心を持つことで、生まれ変わることができるという大変ありがたいお話です。

余談ですが、真実の言葉とは「誓いを立てること」です。そして、その誓いを実行する。誓いは実行されるとその言葉が特別な力を持ち、いろいろな願いをかなえることができるということです。

これはインドから日本にも伝わりました。皆さんもやっておられる「願掛け」です。具体的には「お百度参り」や「水垢離」、「茶断ち」などが挙げられます。

歴史上、有名なのは春日局による「薬断ち」です。三代将軍・徳川家光の乳母だった方です。春日局は家光が子どもの頃に天然痘にかかった時、その病が治るようにと「私は生涯、薬を絶対に飲みません」と薬断ちの誓いをしました。すると家光の天然痘は治り、将軍になりました。晩年、春日局が病気になった時、周りが薬を勧めたのですが春日局はきっぱりと断りました。一生涯薬を断ったのです。「もし私がここで薬を飲んでしまうと家光さまを守護している力が消えてしまう」という命懸けの思いがあったのです。

アングリマーラの話にもどります。もともとアングリマーラはマニー・ヴァドーラというバラモンの先生の五百人いた弟子の一人でした。非常に智慧が優れ、容姿端麗であったと言います。

先生が留守の時、先生の奥さんがアングリマーラを誘惑しました。当時、アングリマーラはアヒンサという名前でした。アヒンサが断ると、奥さんは怒って、先生が帰ってきた時に自分で衣を破り、暴行を受けたように装い、「アヒンサに乱暴された」と言いました。先生は激怒し、「未来永劫、地獄に落ちるような罪を犯させてやれ」と、アヒンサに「お前も修行がだいぶ進んできた。これからは特別な修行をせよ。明日から通りで出会った人を順に殺して、その指を一本切り取って、首飾りとせよ。千人の指が集まったらお前の修行は完成する」という大嘘を教えました。悩んだ末に、もともと真面目で先生を慕っていたアヒンサは「わかりました」と言って、その間違った修行を行い、アングリマーラとなったのです。

 最近、オウム真理教の死刑囚に刑が執行されたということが報道されていました。あの人達も非常に真面目だったそうです。真面目に人生を考え、真面目に修行をしたいと思っていたのですが、間違った先生に出会い、あのような形になってしまったのです。

新実智光死刑囚の坂本弁護士一家殺害の動機についての次の供述は、まるで師匠にだまされたアヒンサのようです。

「坂本氏は、教団が進めているすべての人びとをニルヴァーナに導くための障害となり、大多数の最大幸福を規制するので、やむなく『一殺多生、一死多生』で、坂本氏の犠牲で多くの人びとが救われるのならいたし方ないのです。しかし、死んだ一家三人は、麻原と縁ができたことにより救済されたのです」

彼らに殺された人達は本当に気の毒ですが、彼らもまた犠牲者であったように思います。

アングリマーラの話は遠い昔の話ではなく、現代にも通ずる話です。

正しい師匠、正しい教えに出会うことがいかに大事か、つくづく考えさせられます。

如来寿量品の中に次のような一節があります。「諸の有ゆる功徳を修し、柔和質直なる者は、則ち皆我が身、此にあって法を説くと見る」これを実践したある男の話です。

その男はお釈迦さまの高名な噂を聞き、ぜひお目にかかりたいと、旅に出ました。男はまだ一度も村から出たことがないので道に詳しい者達について出かけますが、出かけてすぐに嵐に遭い、皆とはぐれてしまいました。幸いに羊飼いの家に泊まって、厚遇を得ました。明くる日、はぐれた人達に追いつこうと、すぐに出かけようとしました。すると、羊飼いが困り果てていました。「どうしたのですか?」と聞くと、嵐で羊が全部逃げてしまったということでした。「それは大変だ」と、男は羊飼いを手伝い、三日かけて羊を全部捕まえました。「これで大丈夫」と仲間の後を追いかけて行き、途中、喉が渇いて農家の女性に水をもらいました。

その女性は夫に先立たれ、幼い子を抱えて、畑の刈り取りができなくて困っていました。男は「それは大変」と、三週間そこに留まって収穫を手伝いました。

その人のもとを去り、もうあと少しでお釈迦さまにお会いできるというところで、今度はたまたま通りかかった川で老夫婦が川に流されているのを発見しました。すぐに飛び込んでその夫婦を助けました。衰弱していた老夫婦をしばらく看病して、時が経ちました。それからまた旅に出るのですが、あと少しというところで何かが起きて、お釈迦さまと出会えぬままでいました。

その後も各地を転々と旅を続けていたのですが、なんとお釈迦さまに会えぬまま、二十年が過ぎていました。その頃「お釈迦さまが涅槃に入られるそうだ」という噂が耳に入りました。その涅槃の地・クシナガラに〝ひと目でも、お釈迦さまにお会いしたい〟と一目散に向かいました。ところがまたもや、あと一息というところで、今度は道の真ん中に一頭の怪我をした鹿が倒れているのを目にしました。あたりには誰もいません。そこで自分の持っている水と食料を鹿の口元に置いて、立ち去ろうとしました。しかし、気が咎めて引き返し、一晩鹿を看病しました。夜が明けると鹿も少し元気になってきたので、再び出発しようとしたところ、「お釈迦さまが涅槃に入られた」という知らせを聞きました。男は、「ああ、お釈迦さまに会うことができなかった」と地に伏して泣き崩れました。すると、背後から声が聞こえてきたのです。「もう私を探すことはない」と。

男が驚いて振り返ると、さっき助けた鹿がお釈迦さまの姿になってまばゆい光明を放っていました。そして、「もしそなたが昨晩、私をここに残して立ち去っていたら、きっと私には会えなかったであろう。そなたのこれまでの行いとともに、私は常にそなたと一緒にいた。これからも私はそなたとともにいるであろう」と言われました。その男は、今度は感涙にむせび泣いてひれ伏したという話です。

鹿ばかりでなく、途中で出会った羊飼い、農家の女性、川に流された老夫婦、皆お釈迦さまだったのです。いたるところで男はお釈迦さまに出会っていたのです。目の前で困っている人に手を差し伸べようとした時、その慈悲心によって男はもうお釈迦さまとともにあったのです。お釈迦さまと出会っていたのです。これは寓話ですが、示唆に富んだお話です。

最後は現実の話です。ある新聞のコラムにあった記事です。そのコラムを書いている女性編集者のお友達が鹿児島に住んでいて、〝もっとやり甲斐のある仕事がしたい〟と一念発起して、就職してから十年たって転職を決意しました。鹿児島から出て、リクルートスーツに身を包んで各地で就職活動をしました。

東京でのことです。ある日、面接の約束を取って、その時間に遅れないように、彼女は急いでいました。すると道中、熱中症になり路上で倒れている男の人がいました。「大丈夫ですか」と声をかけ、一生懸命介抱して、救急車を呼び、一緒に病院まで行ったそうです。その男の人が言ったのです。

「あなたはその恰好を見ると、今、就職活動をしているのかね」

「そうなんです。実は面接に行く予定だったのですが、もう間に合いません。でもいいんです。あなたを助ける方が大事だと思ったんです」

「そうかそうか。すまなかったな。もしよかったらうちに来ないかね。私、社長なんだよ」

と、名刺をくれました。その名刺を見てびっくり。その日に面接に行く予定だった会社の社長さんでした。その後、会社に行くとその時の社長さんが「はい、採用」ということで、その女性は今、一生懸命、楽しくその会社で働いているということです。

慈悲心というのは本当に大切なものです。