上機嫌で人生を変えましょう

掲載日:2018年8月1日(水)

 最近、諸富祥彦さんという方の講演録を読みました。諸富さんは、日本トランスパーソナル学会の会長で、カウンセリングの第一人者と言われている方です。諸富さんは非常に悩みの多い青年時代を過ごされました。高校2年生の頃、人生の意味について深く悩み、自殺未遂までされたそうです。中学の頃は成績優秀で、その中学校の首席を続けるという記録を更新するほどで、「将来は間違いなく東大に行くだろう」と言われていたそうです。それが高校入学後、「一体人生とは何だろう。生きるとは何だろう」と考え出し、哲学書やさまざまな書籍を読むのですが、次第に悩みが深刻になって自殺未遂に至ったということです。授業中もずっと、授業そっちのけで哲学や心理学の本を読んでいたといいます。学校の先生はあきれて、面談の時にお母さんに「まあ、諸富君は無理ですね。彼のことは、僕達教員ももうあきらめてますよ。完全に違う世界に入ってますからね」と言ったそうです。

 ところが、お母さんは、「ああ、そうですか。うちの息子は、もともと変わってますからね」という感じで、家に帰ってからも「授業中の態度を直せ」とは一切言わずにどーんと構えていたそうです。

この諸富さんが今ではカウンセリングの第一人者と言われているのですが、「私はこれまで二人のお陰で、悩みから立ち上がれた」と言っておられます。一人がお母さんです。「母がどーんと構えて見守ってくれたから自分は助かった」と言われるのです。もう一人は、高校二年生の時に熱心に読んでいた本の著者、日本教育カウンセラー協会会長だった國分康孝先生という方です。

諸富さんは大学に入って、國分先生に「一度会って直接お話をお聞きしたい」と手紙を書いたそうです。すると國分先生から「いいよ。一緒に食事でもしようか」と返事が来ました。当時、國分先生は54歳で何十冊も本を書いている大先生だったのですが、18歳の諸富さんに快く会ってくださいました。

諸富さんが「先生、将来、僕はカウンセラーか教師になりたいのですが、その上で一番大切なことは何ですか」と質問すると、國分先生は「カウンセラーも教師も、絶えず人と接し続ける仕事だから、人間関係を楽しんでいないと、そのうちしんどくなると思うぞ」と言われたそうです。

それに対し、諸富さんは、さらに突っ込んで質問しました。
「では、先生、人間関係を楽しんでいる人と楽しめていない人と、一体どこが違うのですか?」

 すると、ビールを二杯程飲んだ國分先生が言われました。

「それはな、一杯も飲んでいなくても、軽く一杯入ったような気分で人と接することができる人がいいんだよ」

 お酒を飲んでいなくても、普段からほろ酔い気分で生きている人がふれあい上手な人で、そういう人が周りの人の生きる意欲を支えていく人になれるという意味だそうです。

その後、諸富さんはカウンセラーになり、こんな体験をしたといいます。「ある学校の雰囲気が非常に悪いからカウンセリングをしてほしい」とスクールカウンセラーを依頼されました。その学校に行くと、まず職員室の雰囲気が非常に悪かったと言います。一般的に、職員室の雰囲気をつくるのは教頭先生だそうです。校長先生は校長室にいますが、教頭先生は職員室に一緒にいるわけです。その学校の職員室の雰囲気を悪くしていたのは、教頭先生だったのです。鬱病で休職する先生も出るほどでした。その教頭先生はすごく陰湿な感じで、絶えず腕を組んで座り、周りを睥睨するように見ていたそうです。その後、その教頭先生が異動になり、次に来たのが、まさに「ほろ酔い気分」な感じの教頭先生だったのです。

その先生は、じっと席に座っていることはなく、絶えずふらふらしながら、職員室の先生達に陽気に声を掛けて回っていったと言います。すると、どんどん職員室の雰囲気が良くなって、見違えるように明るくなり、休職していた先生達も戻ってきて、学校全体の雰囲気が良くなったのです。たった一人の教頭先生の影響で、学校全体の雰囲気が悪くなり、たった一人の次に来た教頭先生の影響で、良くなるということがあるのです。

諸富さんは「ほろ酔い気分な感じが大事ですよ」と言っておられます。「ほろ酔い気分な感じ」というのは「上機嫌」という意味だと思います。そういう人が一人いるだけで、全体の雰囲気が変わるのです。

「上機嫌」ということで私が思い出すのは、現パナソニック創業者・松下幸之助会長です。あの方はいつも上機嫌だったといいます。これは上智大学名誉教授・渡部昇一先生の講演で聞いたのですが、渡部先生は、松下さんの伝記を書いておられて、それが縁で、晩年の松下さんに、毎月一回何人かの方と食事をごちそうになったそうです。松下さんはいつも上機嫌で、渡部先生の話を聞かれたそうです。渡部先生といえば、博覧強記で生き字引きのような方ですから、次から次へと興味深い話をされます。それを本当にニコニコして楽しんで聞いておられたということです。渡部先生は熱心に聞いてもらえるものだから、次は何を話そうかと、一カ月準備をして行かれたそうです。

この渡部先生が、松下さんの伝記を書かれたきっかけというのがおもしろいのです。渡部先生が昔から言っておられるのですが、人間の知力には二種類あるというのです。ダチョウのような知力と、ワシのような知力だそうです。ダチョウというのは地面をダーッと走ります。ダチョウの知力とは、細かく何でもかんでも覚えて、知識を蓄えておくという学校秀才のような知力です。ワシの知力というのは、瞑想して得る悟りのような測れない知力です。ワシというのは、高い所を飛んで、獲物を見つけると、スッと滑降していきます。すべてを俯瞰して見ているわけです。物事を見透す知力です。

 ある時、渡部先生が「松下幸之助さんの知力は大空を飛ぶオオワシのようだ。学校秀才のダチョウの知力とは次元が違う」と雑誌に書いたところ、松下さんがたまたまそれを読んで大変喜ばれ、「ぜひ、わしの伝記を書いてくれ」と依頼されたというのです。それからお二人は、仲良くなられたのです。

松下さんが上機嫌というのには、一つ理由があります。松下さんは、「人間の知恵は、どんなに優れた人でも一人ではしれたもので、やはり大勢の人の、良い知恵を集めないと、正しいこと、良いことはできない。たくさん知恵を集めようと思ったら、人を周りに集めなきゃいかん。人を周りに集めようと思ったら、いつも笑顔で上機嫌じゃなきゃいかん。不機嫌な顔をして、傲慢な態度をとったら人が集まらない。知恵も集まらない」と、部下にいつも言われていました。「上機嫌な顔をしなさい」「上機嫌な態度をとりなさい」「毎朝、顔を洗うときに鏡を見たら、今日の顔はいいかどうか、ちゃんとチェックをしなさい」と言われていたそうです。

 もう一つ、松下さんは、人の話を聞く時はいつも、背筋を伸ばして、身を乗り出すように聞かれたそうです。だから余計に話したくなるのです。そして、最後に「おおきに。参考になりました」と言われたそうです。高卒の一工員に対しても、同じだったのです。話を聞いた後に、「ああ、勉強になった。わしは小学校もまともに出とらんでね。これからも教えてな」と言われたそうです。大社長から言われて、社員は大感激だったと思います。

 ドイツの文豪、ゲーテは「不機嫌というのは、自分自身にも周囲の人にも害になる、れっきとした罪悪だ」と言っています。不機嫌な人というのは、理由をつけて「気に入らないことがあって機嫌良くできるわけないじゃないか。体の調子が悪いのに機嫌良くできるわけないじゃないか」と言います。

 志賀直哉の小説に出てくる主人公は、だいたい不機嫌です。志賀直哉自身を投影したものと言われています。

『池の縁』という短編に、「機嫌の良し悪し。これは自分でもどうにもならない。私の場合、それは多く、生理的に来るので、大体疲れている時は、ちょっとしたことでも癎に触り、つまらぬことで家人を怒鳴りつけたりするのだ。それと持病の胆石の起りかけ、つまり、起る前は不思議に怒りっぽくなり、気持ちが意地悪くなる。昔、胆石の発作を癪といったのは、そういうことをいったのではないかと思ったりした」とあります。また、別の小説でも、「風邪のひきかけで、生理的に不機嫌でもあった」という文もあります。

 とにかく、「不機嫌になるのは仕方ない」というのが志賀直哉の考え方のようですが、ゲーテは「違う」と言うのです。「不機嫌は怠惰と同じで、人間はそちらに流れやすい。だから、強い意志を持って機嫌を良くしなければならない」と言っています。

 フランスの哲学者、アランは「上機嫌療法」をすすめています。「あらゆる不運や、とりわけつまらぬ事柄に対して、上機嫌にふるまう。不機嫌な人に出会ったら、これを好機と考え、できるかぎり上機嫌に対応する。これを繰り返すうちに、他人の不機嫌ばかりか自分自身の不機嫌に対しても免疫がついてくる」といいます。

 アランはまた、上機嫌こそ他人への最大の贈り物だと言っています。

「上機嫌こそ、贈ったり、もらったりするべきものだろう。これこそ、世の人すべてを、そして何よりもまず贈り手を豊かにする真の礼儀である。これこそ、交換によって増大する宝ものである。路上でも、電車の中でも、新聞を売っている売店でも、まきちらすことができる。そうしたからといって、微塵も失うものはあるまい。あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」

 私は「上機嫌療法」は幸運を開く鍵だと思います。「予祝」という言葉があります。〝予め祝う〟ということですが、北九州の方では昔からある儀式だそうです。人生のどん底に落ちた時、「お祝いしようじゃないか」と言うそうです。「もう、これ以上落ちることはない。ここからは上がるしかない。これから良くなるんだ。先にお祝いしようじゃないか」と。そして、みんなで「これから良くなる。良くなる」と言い合って、宴会をしてお酒を飲み、先にお祝いをするのだそうです。これをやると、本当に良くなるといいます。これはまぎれもなく開運の「上機嫌療法」です。

新潮社の創立者・佐藤義亮さんのお話です。「ある晩、東京の浅草で手広く商売をしていた友人の店が火事で全焼した。翌日すぐに見舞いに行った。すると、その友人が、大勢の人間と焼け跡で酒盛りをしていた。近づいていくと、嘆いてやけ酒を飲んでいるのではない。にぎやかに宴会をしているのだ。ついに気がふれたかと、そう思って近くで見ていると、その友人が気づいて声を掛けてきた。『ああ、佐藤君、来てくれたのか。ありがとう。やけになってこんな真似をしているのではないよ。心配しないでくれ。私は、毎日の出来事は天からの試練だと、いつも覚悟を決めているんだよ。何があっても、不平不満は抱かないと決めているんだ。今度はこんな丸焼けになったけれども、これがまた天からの試練だと思うと、元気が体中から湧いてくるんだよ。こんな大きな試練を乗り越えて、次はもっと成功するんだと、みんなで前祝いをしているんだ。君も一緒に飲んでくれないか』と言った。彼の面貌は男を惚れさせずにはおかない面貌だった。案の定、彼は以前にも勝る勢いで成功した」

 どんな試練の時にもぐっとこらえて上機嫌。これが本物の堪忍ですね。