中国の宋の時代に戴益という詩人がいました。戴益には『春を探る』という詩があります。
「終日春を尋ねて春を見ず、藜を杖つき踏破す、幾重の雲。帰り来たりて試みに梅梢を把りて看れば、春は枝頭に在って已に十分」
〝一日も早い春の訪れを待ち望んで、春の息吹を見つけ出そうと終日、探し回った。藜の杖で幾重もの雲を越えて探し回ってみた。しかし、春は見つからない。くたびれ果てて我が家の庭に帰ってきて、ふと梅の梢を手に取ってみれば、梅の花がふくらんでいるではないか。春はこの一枝にあって已に十分ではないか〟という意味です。幸せもこれと同じです。一生懸命、いろいろなところを私達は探しますが、実は幸せも本当に身近なところにあるのです。
ドイツの詩人、カール・ブッセに『山のあなた』という有名な詩があります。上田敏の訳が有名です。
「山のあなたの空遠く 〝幸〟住むと人のいう。ああ、われひとと尋めゆきて、涙さしぐみかえりきぬ。山のあなたになお遠く 〝幸〟住むと人のいう」
幸せをいくら遠くに求めても、求めれば求めるほど見つかりはしない。かえって遠ざかってしまうということです。
では、どうやって幸せを感じればよいのでしょう。それは「感謝」をすることです。感謝の心が芽生えると、その瞬間に「ああ、幸せはここにあったんだ」と気づくことができるのです。「ここにあった」というよりも「心の持ちようだった」という方が正しいかもしれません。
先師が言われる通り、「地獄も極楽も心一つの置き所」です。不平不満を言って、怒ってばかりいれば、そこは地獄です。感謝と堪忍で暮らせたら、そこは極楽です。人は誰しも、与えられた環境があります。その中で決して不平不満を言わずに、感謝して最善の努力をすることが真の幸福への道です。
足無禅師と言われた小沢道雄師という方がおられました。その名の通り両足の無いお坊さんです。
小沢師は両足を失ってからお坊さんとして活躍されました。この方の自伝を読み、両足の無い不自由な境遇の中でよくこれ程元気に楽しく前向きに生きられるものだと感心をいたしました。
小沢師は幼い頃、曹洞宗の専門道場で修行をされました。日蓮宗で言うところの沙弥です。そして20歳の時、徴兵され、満州に行かれました。
昭和20年の終戦を迎えた時、小沢師は25歳でした。すぐにシベリアに抑留されました。しかし終戦の直後に肩に受けた銃創が悪化し、強制労働に向かないということで、屋根のない貨車で牡丹江の旧日本軍の病院に送られました。その時のシベリアの気温は氷点下50度だったそうです。
服装は終戦当時の夏服で、一日の食糧はカチカチのパンが一つと飲み水が少しだったそうです。三日間かけて牡丹江の病院についた時には、半分以上の人が凍死していたといいます。小沢師も命は助かりましたが、足が凍傷で腐り始め、病院の先生に「両足を切断しましょう」と言われました。その時、小沢師は「なるべく同じ長さにそろえて切ってください」と言われたそうです。生来ユーモアのある方です。しかし、手術をする時には麻酔がない上に、足を切断するのもメスとノコギリで、肉と骨をじわじわと切るしかなかったそうです。また、手術を担当する軍医は内科医で、一度も切断手術をしたことがない人でした。手術で命を落とす同僚も大勢いましたから、小沢師も不安と恐怖で眠れなくなったのですが、当日、メスを執る先生がしばらく祈るように目を閉じた姿を見て、「この軍医に切られるなら本望だ」と思ったそうです。それでも手術は想像を絶する激痛で、歯がガチンと噛み合い、全身がギリッと音を立てて硬直しました。あえて「痛い」という言葉で表すなら「痛い、痛い、痛い」と百万遍叫び、その百万遍の痛さを一瞬の間に凝縮したような痛みだったそうです。しかも、その一瞬が二時間も続いたというのです。あまりの痛みで呼吸をすることができないくらいだったそうです。この痛みが手術の後一カ月程続いたといいます。
しばらくして、足が無くなって動けない小沢師に帰国命令が出ました。歩くことができないので担架で運ばれることになり、運ぶ4人の兵士が選抜されましたが、野宿をした時、4人は小沢師を草むらに置いて、いなくなってしまいました。荒野に置き去りにされた小沢師はありったけの声で「助けてくれー!」と叫びました。それが満州開拓団の人達に聞こえたのです。開拓団の人達は親切で、自分達も大変なのに小沢師を近くの町まで運んでくれました。そのお陰で日本に帰ることができたのです。
文字通り、命からがら日本に帰ってきた小沢師は小倉の病院で再び手術を受けました。その後、お母さんと弟さんが会いに来ました。お母さんは、包帯に包まれた両足をさすりながら「よう帰ってきた。よう帰ってきた。とにかく命があって良かった」と喜びました。弟さんは「お兄ちゃんは良かった。上のお兄ちゃんはフィリピンで亡くなったけど、お兄ちゃんは命があって良かった」と言いました。そう言われても小沢師は、情けないやら悔しいやら悲しいやらで、絶望のどん底です。しかしその中で昔覚えた観音経の「念彼観音力」が浮かんできたのです。「念彼観音力」を唱え続けるうち、一つの悟りに至ったのです。それは「比べるからいかん」ということでした。「27年前に生まれた時は五体満足だった。その時と比べるからいかん。『本日ただいま誕生』と思えばいいのだ。そう思えば両足が無いことも何も問題はない」と思えたのです。
それ以来、小沢師にとって『本日ただいま誕生』がお題目のようになりました。義足をつけてリハビリをする時、切断面がものすごく痛みます。その痛みを感じた時、「痛い」ではなく『本日ただいま誕生』と自分に言い聞かせたそうです。そして、「自分は仏さまから許されて生きている。許されて生きているのだから、当然感謝の念を強く生じさせなければいけない。その感謝の念をもとに、日々の生活の中で何かこの社会のために奉仕をしなければ仏さまに対して申し訳がない。普通の人はすぐにそれが行動につながっていくが、自分の場合は両足が無い。だから何もそのお返しができない。できないから私は四つのことだけを絶対に守ろう」と誓ったのです。
一、「微笑を絶やさない」
(微笑は人間だけが持つすばらしいものである。これが癖になると生活の滑りが良くなる。私の生活の知恵である)
二、「人の話を素直に聞こう」
(自分以外はすべてが先生である。愚かなる者〈自分〉の至った結論である)
三、「親切にしよう」
(親切にしようというのは、若干積極的な意味も込められている。許されていることのお返しがここにあるのだ)
四、「絶対に怒らない」
(怒らないというのは、どう考えても、どこを探しても、ありがたくて怒る理由が見つからないのだ)
まさに三徳実行の誓いです。今がどんな状況にあっても、感謝と堪忍で頑張ると幸福がやってきます。小沢師はそのことを実証されました。
小沢師は都合四度の切断手術を乗り越え、不自由な足で生涯托鉢行脚され、曹洞宗の正式な僧侶となり、住職となってお寺を再興され、また保護司に任命され、多くの人を幸福な境涯へと導かれました。その生涯は『本日ただいま誕生』という本になり、それを元としてテレビドラマ・映画・演劇となりました。
どんな境遇にあっても、感謝と堪忍を忘れなければ幸福はそこにあります。