最終的に人を動かすのは真心です

掲載日:2018年1月1日(月)

神奈川県座間市で自殺願望を持つ若い女性を誘い込んで9人(内一人は男性)を殺害するという事件がありました。8人の女性のうち3人が高校生だったそうです。犯人が言っています。話をすると全員が本心では『自殺をしたくない』ということを感じた、と。

実際、世の中に本当に〝自殺をしたい〟と思っている人はめったにいません。特に若い女性で本当に〝死にたい〟と思っている人はまずいません。99%以上の人がそうだと言って過言ではありません。「死にたい」と口にするのは〝寂しい〟とか〝悲しい〟とか、〝つらい〟とか、そういう感情のシグナルです。それに周りが気づかなければいけません。よく、中学生・高校生が自殺をした後で「周りがなぜ気づかなかったんだ」と言いますが、その通りで、周りが気づいて共感してあげないといけないのです。また、本当に信頼できる人に相談ができると、状況は変わっていくものです。「あの人に相談したお陰で人生がガラッと変わった」という話はよく聞くことです。

フランクルの愛情

第二次世界大戦時、ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ強制収容所では、多くのユダヤ人が強制労働をさせられ、虐殺されました。その強制収容所から生還したヴィクトール・フランクルという世界的に有名な精神医学者がいます。

フランクルの心理療法はロゴセラピー(意味療法)として知られています。

『それぞれの人間の人生には独自の意味が存在している。その意味を見出すことができた人間はどんな苦しみにも耐えることができる』

この心理療法は強制収容所の中で深まり、より明確な方法へと高められていきました。

フランクルのもとには、強制収容所の生活の中で生きる希望を失った囚人達が相談に来ていました。そして、その多くが「もう人生には何も期待できません。すっかり絶望してしまいました。ナチスの手によって、そのうち死に追いやられるぐらいであれば、自ら自分の人生を絶ったほうが、まだ人間として尊厳が保たれるというものではないでしょうか。フランクル先生、私達はもう死んでしまったほうがいいのではないでしょうか」というのです。

ある日のこと、同様の苦しみを抱えて相談に来た二人の男女の囚人がありました。

二人は声をそろえて言いました。「自分の人生には意味がない、人生にはもう何も期待できない」

フランクルは言います。「二人の言うことはある意味では正しかったのです。けれども、二人のほうには期待するものが何もなくても、二人を待っているものがあることがわかりました。男性を待っていたのは、未完のままになっている学問上の著作でした。女性を待っていたのは子どもでした。女性の子どもは遠く離れた外国で、ひたすら母親を待ちこがれていたのです。ここで大切だったのは考え方のコペルニクス的転換だったのです。
〝人生にまだ何を期待できるのか〟と問うのではなく、〝人生は私に何を期待しているのか〟を問うのです」

わかりやすく言いますとフランクルの心理療法は「どんなときにも人生には意味がある。なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。あなたを必要とする何かがあり、あなたを必要とする誰かがいる。その何かや誰かのために、あなたにしかできないことがある。その何かや誰かは、あなたに発見され実現されるのを待っている。だから、たとえ今、あなたがどんなに苦しくて、人生に絶望していたとしても、人生があなたに絶望するということは決してないのだ」ということです。フランクルに相談に来た囚人達はフランクルに励まされ、多くが強制収容所を生き延びたのです。

次のような話もあります。フランクルが自分のクリニックにいる時、夜中の3時に女性から突然、「たった今、自殺することに決めました」という電話がありました。その女性に対してフランクルは、時間をかけて説得を試み、自殺のプラス面とマイナス面をロゴセラピーの手法を駆使して話をし、自殺を思いとどまるように説得しました。するとその女性は「わかりました。明日、先生の所へうかがっていいですか」と言ったそうです。「ぜひ、来てください」と言うと、次の日の朝にその女性が現れました。そして、いきなり「先生、もし先生が夜中におっしゃった議論の一つでも私に何らかの効果を与えたと思われるなら、それは誤解というものです」と言うのです。つまり〝ロゴセラピーの効果は全くなかったのですよ〟というわけです。フランクルは驚き、話の続きを聞きました。

「もし私が感銘を受けたとすれば、それはただ一つ、寝ているところをたたき起こした私に、腹を立てて怒鳴りつけるどころか、しっかり3時間も辛抱強く私の話を聞いて説得してくれた人がいたということです。そんなことがあるのなら生き続けることに、自分の人生に、もう一度チャンスを与えてもいいんじゃないかと思ったのです」

要するに、自殺を思いとどまらせたのはロゴセラピーの技術ではなく、フランクルの愛情だったのです。〝どうにかしてこの人に自殺を思いとどまらせてあげたい。救ってあげたい〟という真心だったのです。

フランクルは「私はロゴセラピーを提唱しているが、最終的に人を動かすのは真実の愛、真心しかない。医者の人間性が患者の人間性を呼び覚ますのだ」と言っています。

人間は〝死にたい〟なんて本当は思っていないのです。誰でも〝幸せな人生を歩みたい〟と思っているのです。その人間の本心を周りの人間の愛情が引き出すのです。それによって自殺を思いとどまらせることができるのです。

因果の二法を説いた杉山先生

二代目会長の村上先生も〝自殺しようと思ったことがあった〟と、法話集の中でご自身が告白をされています。杉山先生と出会われた時の話です。

私はその当時、愛知県立医学専門学校(現・名古屋大学医学部)に奉職しておりましたが、眼科の研究の傍ら、知多郡岡田に居住しておりました。しかし私も重なる不幸のために財産も皆無となり、妻には去られ、いかに努力せんにも方法さえ思いつかぬので、いっそ死んだ方が良いかと、そんなことを考えておりました時でした。ちょうど、前会長が訪ねて来られましたので、早速会いましたが、なんとなく心すぐれず無愛想であったと思います。四方山話をしている間に、私が次から次と災難の襲い来たって困りに困り、悲観のあまり自殺をしようと考えていることを話しました。前会長はその時、仏道の中の因果の二法を話してくださいました。- 中略 -『この因果の二法を悟らずして、現在の苦しみを逃れんために自殺を遂げられても決して苦しみは無くならない。未来はより一層の苦しみを受けねばならぬ。およそ変死を遂げるものは必ず地獄を免れずとある』と、懇々と諭されました。
この杉山先生の話を聞いて恐ろしくなり死ぬにも死なれず、初めて夢から覚めたような心持ちがいたしました。そうして今さらに、己れの迷妄を恥じ入りました。そして私如き罪業の深い者の艱難辛苦は当然であると悟り、今後はこの方とともに仏道修行をなし、我身の罪障を消滅するとともに、私と同様に世をはかなんでいる人々を導いていこうと決心いたしました。」

杉山先生のご教化は村上先生の機根を見てのきつい励ましであったと思いますが、深い慈悲心に裏打ちされたものです。

最後の一葉』に見る励まし

エニアグラムという性格診断の手法を初めて日本に紹介された鈴木秀子さんというシスターがおられます。この方が古今東西のすばらしい文字を読み味わうことによって、人は心が癒されるという「文学療法」というものをされています。

ある雑誌でこの「文学療法」を連載しています。その中でオー・ヘンリーの有名な短編小説『最後の一葉』が紹介されていました。小説の舞台はニューヨークのワシントン・スクエアにあるグリニッチ・ヴィレッジという芸術家の村です。画家や彫刻家を志す人がたくさん集まって、将来を夢見て頑張っていました。ある年の冬、その村に肺炎が蔓延し、ジョンジーという画家志望の若い女性が病魔に冒されました。鉄製の粗末なベッドに横たわって身動きもせず、ただ小さな窓から外を見るだけの毎日でした。どんどん絶望していき、生きる気力すら失っていました。村を訪れたお医者さんがジョンジーを診ました。そして、仲間のスウディに「ジョンジーが助かる見込みは10に1つだね。その見込みも、あの娘が〝生きたい〟と思わなければどうにもならないよ。今のように葬儀屋を呼ぶことばかり考えているようでは、どんな処方も役には立たないな。あんたのお友達は〝治らないもの〟と自分で決め込んでいるから」と言いました。

それを聞いたスウディはどうにかしてジョンジーを励まそうとして、ジョンジーの好きな曲を口笛で吹きながら、絵を持って部屋に入っていきました。ところがジョンジーはもう全然反応をしません。窓の外の中庭に蔦が生えていて、その蔦の葉っぱの数を数えてジョンジーは言うのです。

12、11、10…最後の一葉が落ちたら私も行かなきゃならないんだわ」

「そんなこと言わないで、スープでも飲んで、精をつけて」スウディが言います。しかしジョンジーは言うのです。

いらない。私は最後の一葉が落ちるのを見たいの。もう待ちくたびれたわ。考えるのもくたびれたわ。私はすべての執着から解き放たれて、あの哀れな疲れ切った木の葉のように落ちて行きたいの」

 このジョンジーの話をスウディが、一階に住む「私は傑作を描くんだ」といつも言っている売れない酔っぱらいの老画家ベアマンに話しました。するとベアマンは「あんなくそおもしろくもない蔦のつるから葉っぱが落ちると自分も死ぬなんて、そんなバカなことを言うやつがどこの世界にいるんだ。そんなたわけた話、わしは聞いたこともない」と言いました。

その晩は雨と風が吹きすさぶ嵐の夜でした。大変な夜だったのに次の日、ジョンジーが窓の外を見ると、奇跡のように葉っぱが一枚だけ残っていました。その葉っぱを見てジョンジーの態度が変わりました。ジョンジーはスウディに言いました。

「私、悪い子だったわね。私がどんなに悪い子だったかを思い知らせるために、何かがあの最後の一葉をあそこに残しておいてくれたんだわ。死にたいと思うなんて罰あたりな話ね。さぁ、スープを少しちょうだい。それからミルクに葡萄酒を少し入れたのもね」

〝悪い子〟とは〝生きることをあきらめて、自分の命を大切にしない〟ということを言っています。

 ジョンジーは生きる気力を取り戻し、危機を脱しました。しかし、ベアマンが一階で肺炎のために亡くなりました。ベアマンは外でびしょ濡れになり、氷のように冷え切って苦しんでいるところを見つけられ、部屋に担ぎ込まれたのですが亡くなってしまったのです。ベアマンが外で見つかった時には、火のついたカンテラ(今でいう懐中電灯)や梯子、数本の絵筆がその周りに散らばっていました。

この小説は最後にスウディの言葉で締め括られています。

「ちょっと窓の外を見てごらんなさいよ。あの壁の上の最後の蔦の葉を。風が吹いても、ちっとも動かないし、ひらひらゆれもしないのを、変だと思わなかった。ねえ、ジョンジー、あれがベアマンさんの傑作だったのよ。最後の一葉が落ちた夜、あの人があそこへ描いたんだわ」

ベアマンは自分の命をなげうって、若い画家志望のジョンジーを励まし、助けるために最後の一葉を描いたのです。

どんな強い人でも、人間は一人では生きていけません。

いつも愛情深く、真心で励ましあって生きていきたいものです。