心の泥を落としましょう

掲載日:2017年12月1日(金)

人前でスピーチをするのが好きという方はあまりおられないと思いますが、私も苦手な方です。日達上人はユーモアを交えて上手にされていましたが、私はどうも苦手です。

〝いつもご法話をしているから5分くらいのスピーチは平気でしょう〟と言われるのですが、短くてもスピーチはなかなかむずかしいものです。知り合いのお上人にその話をしましたら、「ご法話でしたら1時間でも2時間でも平気ですが、私もスピーチは苦手です。特に突然指名されたりしたら本当にあたふたしてしまいますよ」と言われていました。

私も、突然のスピーチは苦手というより、できるなら遠慮したいのですが、今から20年程前に結婚式でそんな機会があったのです。

日達上人のお知り合いの方のお嬢さんの結婚披露宴に、日達上人と私がご招待いただきました。日達上人は主賓でした。私はその方の親族が少ないため、〝親族席に座って欲しい〟とのことで呼ばれたのです。それをお受けするにあたり事前に「スピーチは無いですよね」と確認したところ「無いです」と言われたので気楽な気持ちでいました。そして、当日控室にいると、その方が焦った顔で私のところに来られて「日達上人が急に体調をくずされたようで欠席になったから、正修上人、日達上人の代わりに『主賓』をやってもらえないですか」と言われました。いきなり主賓と言われても何を話してよいか本当に困りましたが、ほかの方も頼まれればやはり困られるだろうと思い、仕方なくお引き受けさせていただきました。しかし冷や汗ものだったのを今も思い出します。その時、〝どんな時に指名されても話せるようにしておかなければいけないな〟とつくづく思いました。

テーブルスピーチはよく〝2S1W〟が大事だと言われます。

〝2S〟とは先ずshort(短い)です。長いスピーチはどんなに上手でも好まれません。二つ目はsalt(塩)です。スピーチの中に少し塩味が利いていること、人生訓があることです。Wはwitty(機知あふれること)です。ユーモアがあるのが良いということです。

以前、この2S1Wに合致した話を結婚式で聞いたことがあります。

「賢愚経」という経典のお話です。そのお話とは…。

結婚式の前夜に花嫁のお母さんが花嫁に「結婚後の心得」を教えていました。それを偶然、花婿のお父さんが立ち聞きしてしまいました。お母さんの教えた心得は三つありました。一つ目は「いつでも美しい着物を着ていなさい」でした。二つ目は「毎日、おいしいものを食べなさい」。三つ目は「絶えず鏡を見なさい」でした。それを聞いたお父さんはびっくりして〝こんな贅沢な嫁をもらっては大変だ〟と思いましたが、もう結婚式の前夜なのでどうしようもありません。結婚を破棄するわけにはいきません。

結婚式の後、お父さんはお嫁さんの行動をずっと観察していましたが、一向に贅沢をする様子もないし、着る物も質素だし、食事もつましいし、鏡もあまり見ません。「一体どういうことだろう」と思いお嫁さんに尋ねました。するとお嫁さんは「母親に言われた〝美しい着物〟とは、〝いつも洗濯をしてきれいな着物を着なさい〟ということです。〝おいしい食事〟とは〝一生懸命毎日働けば食べる物はいつもおいしい〟ということです。〝鏡を見なさい〟というのは〝いつも自分の行いを反省しなさい〟ということです」と言いました。それを聞いたお父さんはいたく感心をしたというお話です。

宗教評論家のひろさちやさんがこれに関しておもしろいことを言っておられます。

なるほど、賢愚経の話は教訓話としておもしろい。しかし、私はひょっとしたら、母親の教えは文字通りの意味であっていいのではないかと思う。というのは、日本人はあまり家庭生活を大事にしない。外出のときは化粧して着飾り、外では高級レストランで食べても、家庭ではよれよれの普段着でいたりする。それではいけないのだ。楽しい家庭をつくるべく、もっと日常生活を重視し、外では質素でも良いと思うが、どうだろうか」

作家の山本周五郎さんの短編作品に『寒橋』というのがあります。その中で父親が娘に「女の髪化粧というものは世の中の飾りと言ってもいいくらいで、薄汚い饐えたような裏店でも、きれいに髪化粧した女が通れば目のたのしみになる。一時その饐えたような裏店が華やいで見える。つまり春になって花が咲くように、世の中の飾りの一つになるんだ。化粧をするんならそのくらいの気持ちでするがいい」と言っています。

派手に化粧をするのではなく、周りが和やかになるような、〝身だしなみ〟としてすることは非常に大事だということです。ひろさんもこの考えだと思います。これは、男性の身だしなみにも言えることです。身だしなみを整えることは、周りに対する一つの布施かもしれません。

石川真理子さんが書かれた『女子の武士道』という本があります。〝女性の教養〟について書かれた本です。この方のおばあさんが米沢藩士の末裔で、厳しくも愛情のある教育を孫である石川さんにされました。

ある時、石川さんが「おばあちゃん、私は自分の顔が好きじゃないの。もっと美人に生まれたかったの。お母さんのように美人に生まれたかったの」と言ったそうです。そこにお父さんがいて、お父さんは非常に落胆したそうです。石川さんはお父さんに顔がとても似ていたのです。お父さんとしては娘が自分に似ていることがうれしくて、また自慢でもありました。ところが娘は「自分の顔が嫌だ」と言うのでがっかりしてしまったのです。その様子を見ておばあさんが笑いながら「お前は美人ではないということはないよ。但し、もっと美人になりたければ、一つ美人になる方法を教えてあげよう。美人は目次第だから、目をきれいにしなさい。目には心映えが現れる。だから明るくきれいな目になりたかったら、明るくきれいな心でいなさい」と言いました。明るくきれいな心でいれば必ず目がきれいになり、美人になれるというのです。

美人の基準はその時代によって変わります。現代の美人と平安時代の美人は全く違います。ここで石川さんが言われるのは〝永遠に変わることのない基準は太古の昔から今に至るまで、心のきれいな女性は美人だ〟ということです。

おばあさんから教えられたことの一つに「遠い目をせよ」ということがあります。遠くを見るような目つきが大事だというのです。武士の礼法である小笠原流礼法では「遠山の目付」と言います。遠い山を見るような目つきということです。すぐ目の前を見るのではなく、〝5メートルくらい先を見るような、壁があっても壁の向こうを見るような目つきをせよ〟ということです。日達上人はこういう目をよくしておられました。この目が身につくといろいろな物事が見えてくると言います。

車の運転でも、近くばかり見ていると、パッと人や車が出てきた時に対処しにくいものです。しかし、少し遠くを見るようにしていると、広い視野で物が見えます。これは、歩いている時でも同じだと思います。そして、そういう目つきの人は〝人に対してやわらかい〟とも言われています。

人と会って話をする時、じっと相手を見ていたら相手は話しにくいものです。だから、ちょっと遠くを見る目がいいというのです。しかし、ずっと目線を外してしまうのもいいとは言えません。また、目線をきょろきょろしているのもよくありません。相手は気分が悪くなってしまいます。

ほかに「気品を感じさせる目遣いをせよ」と言われています。〝外に出た時はきょろきょろしないように。人をじろじろ見るものではない。一番よくないのは目だけを動かすこと。顔も一緒に向けなさい。その時はゆったりと顔を動かすように。わずかに首をかしげるように〟と、とても細かいことを言われました。

また、「眉をいつも開いていなさい」とも言われました。〝眉を寄せると眉間にしわが寄り、おっかない目つきになるのでよくない〟というのです。

石川さんは「たかが目の遣い方一つになんとうるさいことかと思われるかもしれませんが、目は口程にものを言うんです。やはり配慮したいものです。身についてしまえばどうということはないですよ」と言われています。〝きれいになりたいなら先ずは心から〟ということです。

『泥かぶら』という絵本があります。このお話はもともと眞山美保さんが創作された劇です。1952年に初演されてから日本全国はもとより、海外でも上演されていて、一万五千回以上も演じられてきた作品です。このお話に感動された、くすのきしげのりさんが絵本にされました。

「泥かぶら」とは、泥の付いたかぶらのように、みにくい女の子のことです。

女の子は泥かぶらのように汚く、みにくいということで、子ども達からさんざん笑われ、けなされ、石を投げられ、つばを吐きかけられていたのです。かわいそうに女の子は親兄弟もなく、独りぼっちのさみしさから心がすさんでいき、粗野で荒々しい子になっていきました。

ある日のこと、女の子が誰に言うともなしに吠えるように「きれいになりたい!」と叫びました。そこに旅の老法師が通りかかり「そんなにきれいになりたいなら、きれいになる方法を教えてやろう」と言いました。その方法は三つあり、一つ目が「自分の顔を恥じないこと」で、〝自分に誇りをもて〟ということです。

二つ目は「いつもニッコリ笑っていること」です。どんなに人からひどい仕打ちを受けてもニッコリ笑っていることです。要するに〝堪忍をすること〟です。

三つ目は「人の身になって思うこと」です。〝慈悲深く生きよ〟ということです。

この三つを守れば村一番の美人になれる」と教えて、老法師は去っていきました。

泥かぶら」と言われ、蔑まれていた女の子は、美しくなりたい一心でこの三つの教えを涙ぐましい努力で実行し続けました。どんなに嘲られ、石をぶつけられても〝負けるものか〟と、石を投げ返したいところをぐっと我慢してニッコリ笑っていました。そして、〝慈悲深く、人の身になって生きよ〟ということを守って、重病人のために危険な崖をよじ登りながら薬草を採ってきたり、老人のために山の枯芝を集めて来たり、自分にできる徳積みを一生懸命にやりました。そのうちにその女の子は、人の役に立つのがうれしくなり、楽しくて、仕方がなくなりました。いつしか〝美しくなりたい〟ということも忘れ、ただただ人の喜びを自分の喜びとして働くことに徹していくようになりました。すると周りの人々の態度も変わってきました。友達もでき、村の人達も本当にその女の子を愛するようになりました。

そんな時、人買いのじろべえが村にやってきました。もみじちゃんという体の弱い女の子が、親の借金の形に連れて行かれることになっていました。それを知った「泥かぶら」と呼ばれた女の子は「私が代わりに行く」と言いました。すると人買いが「これからどんな目に遭うのかわかっているのか」と言いましたが、「知らないけど私が行く。もみじちゃんは体が弱いし、かわいそうだから。私は身寄りもないし、私を連れて行って。私なら丈夫だから、どんなことでも耐えられるよ」と言い、人買いに連れて行かれました。

この人買いとの旅の途上でも、老法師の三つの教えを守り続けました。その姿を見て人買いが「売られて行くというのに、お前はどうしてそんなに明るくしていられるのだ」と聞くと、「自分はもみじちゃんを助けられて幸せなんだ。人の役に立つことは楽しい。そして、おじちゃんをお父さんのように感じるんだ」と言いました。そのうちに、その優しさ、愛情にあふれた行動に心を打たれたじろべえが独り言を言います。

「どうしちまったんだ。悪いことしかしたことのねえオレが、柄にもなく優しくなっちまってよ。しかし、あの子をこのまま親方のところへ連れて行ってもいいものか。かといってあの子を逃がすって訳には…。いや、待てよ。そうだ、オレが消えればいいんだ。あの子の前からも、鬼のような親方の前からも。そうすりゃ、もしオレが見つかってどんな目に遭おうともあの子は無事だ。生まれて初めてだが、オレもあの子のようなことをしてみるか。ふっ、さんざん悪いことをしてきたぶん、いいことを一つするにも命がけだぜ」

そうして、女の子が寝ているうちに、じろべえはすっといなくなりました。月明りで女の子が目を覚ますと、じろべえの羽織がかけられていて、近くの大きな木に手紙がありました。その手紙にはこう書いてあったのです。

お前はオレのような悪人にまでよくよく親切にしておくれだった。オレは正直で優しいお前の寝顔を見ていて恥ずかしくなった。それから胸の奥が温かくなったよ。オレは今日から人買いなど辞める。良い仕事をしようぞ。お前はこれからも変わらず、誰にでも親切にしておやり。金を二両置いておく。もっと置けると良いのだけれど、オレも貧乏だから勘弁しておくれ。お前の優しい笑顔、お前の明るい笑い声。オレは一生忘れない。ありがとうよ。どうかどうか幸せになっておくれ。じろべえ。仏さまのように美しい子へ」

手紙を読み終え、それまで「泥かぶら」と呼ばれた女の子が自分の顔を水に映すと、月明りに照らされたその顔は、旅の老法師が言ったとおり、なんともやさしく、美しく、幸せそうに輝いていたのです。

この絵本の結びには「人はみな、心についた泥を落とすことができれば、まっ白な美しいまごころが表にもあきらかになるのでございます。…そう、心についた泥を落とすことができれば」とありました。

※『泥かぶら』 原 作 眞山 美保
 文  くすのき しげのり
 絵  伊藤 秀男
出版社 瑞雲舎