『法音』1月号の「新年のご挨拶」で、アランの「上機嫌療法」について書かせていただきました。どんなことがあっても上機嫌に過ごすことが幸せへの近道だとアランは言っているのですが、「ただ堪忍するよりも、堪忍の上をいき、ぐっとこらえた上で、機嫌良くいきましょう。にこやかに堪忍しましょう。プラス思考でいきましょう」ということです。人間の思考にはプラス思考とマイナス思考があります。楽観的、悲観的と言い換えることもできます。プラス思考=楽観的な人は寿命が長いとされています。
アメリカのケンタッキー大学の心理学のチームが、1990年に修道女を対象に調査をしました。平均年齢85歳の修道女180人が1930年に書いた自叙伝を検証したのです。修道院に入ったばかりの頃に「自分はこういう人生を歩んできました」「これからこういうふうになりたいです」と書いたものを読み、点数をつけました。プラス思考だなと思われる部分に加点、マイナス思考だと思われる部分を減点していくと、興味深いことがわかりました。
修道女というのは、厳格なキリスト教徒らしい生活をするわけです。お酒もたばこも嗜まず、とても健康的な生活をします。恋愛や結婚もしませんし、当然ですが子どもも産みません。そういう修道女の平均寿命は一般の人よりもかなり長いと言われていますが、この調査では、加点の多い明るい自叙伝を書いた修道女の方が暗い自叙伝を書いた修道女と比べ、さらに寿命が10年程長いということがわかりました。調査をした大学の先生が言われています。
「禁煙によって延びる寿命はだいたい3~4年とされているのを考えると、明るい世界観を持つことで10年の余命がプレゼントされるのは注目に値しよう」
なぜプラス思考は健康に良いのでしょう。以前あるお医者さんがテレビで「物事を明るく捉える人は心が若く、心が若いとそれにともなって肉体も若くなる」と言われていました。
アメリカの詩人・サミュエル=ウルマンに「青春」という詩があります。これは非常に良い詩です。昭和天皇がマッカーサーと会見された部屋の壁に、この「青春」という詩の額が掛けられていました。マッカーサーの座右の銘だったそうです。その一節をご紹介します。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。(中略)人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる 希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる」
まったくこの通りだと思います
少し前に富嶽三十六景で有名な葛飾北斎が、NHKの番組『先人たちの底力 知恵泉』で紹介されていました。北斎はアメリカの雑誌『LIFE』で、“この1000年で最も偉大な業績を残した世界の人物100人”の中に、シェイクスピアやエジソンと並んで選ばれています。ヨーロッパの偉大な画家、モネやゴッホに多大な影響を与えたのが選出の理由のようです。
北斎のほとんどの代表作は70歳を過ぎてから描かれています。“人生50年”の江戸時代、北斎は90歳まで絵を描きました。6歳から絵を描き始め、19歳のときに浮世絵師・勝川春章の弟子になり、勝川春朗と名乗って歌舞伎役者の絵を描いていました。今でいうアイドルスターのブロマイドのようなものです。勝川派を離れた後は、江戸琳派の先駆者・俵屋宗理の弟子になり、江戸庶民の女性を描きました。その後、老中・松平定信が寛政の改革を行い、“世の中の風紀を乱す絵は一切禁止”となったため、北斎は女性や歌舞伎役者の絵をやめて、小説の挿絵を描くようになりました。
北斎は70歳を過ぎた頃、次第に絵が上達していることを自覚して次のように言っています。
「70歳以前の絵は、取るに足りないものだった。73歳になった頃、鳥獣虫魚の骨格や草木の生れ出る様子をいくらかは悟ることができた。だから80歳になればより向上し、90歳になればさらに奥義を極め、100歳で神の技を超えることができるのではないか。そして110歳でやっと点や線のすべてが生きているかの如く描けるようになるだろう」
よく“若さを保つには食生活が大事だ”と言われますが、北斎は蕎麦をよく食べました。絵を描くのに一生懸命で、食べる時間を惜しみ、いつも出前の蕎麦で食事を済ませていたのです。しかも、あまり寝なかったそうです。寝る間を惜しんで絵を描いたのです。長生きには、一般の健康法よりも北斎のような矜持が大事なのかもしれません。
天保の改革では、芝居や絵が完全に禁止されました。商売ができず、生活に困った北斎は、闇で絵を描き、道端で売りました。たまたま通りかかった長野の小布施の豪商・高井鴻山が北斎の絵を気に入り、高値で買い上げました。さらに「金はいくらでも出すから、檀那寺の天井絵を描いてくれ」と依頼しました。北斎は江戸から長野の小布施まで、歩いて絵を描きに行きました。江戸―小布施間は往復500キロです。描いては江戸に戻る生活を繰り返し、険しい中山道を4往復くらいして描き上げたそうです。北斎はその時、なんと83歳でした。
「110歳まで生きたら…」と言っていた北斎は90歳で息を引き取りますが、そのときに残した言葉が「あと10年、いやせめて5年、生かしてくれ。そうすればまことの絵師になってみせる」だったそうです。
このような燃ゆる情熱が人間の肉体を引っ張るのではないでしょうか。
脳と菩薩行の関係
最近、脳科学者・岩崎一郎博士が書かれた『なぜ稲森和夫の経営哲学は人を動かすのか?』という本を読みました。岩崎博士は「人はどうしたら幸せになれるのだろう。それは脳の使い方にあるのではないか」と思ったことがきっかけで脳の研究を始められました。人が幸せになるときの脳の使い方について、アメリカのウィスコンシン大学に詳しく論じている論文がありました。それを知って岩崎博士は京都大学出身の優秀な研究者でしたが、すぐにウィスコンシン大学に留学をします。そこでまずわかったことは、“脳には車でいうところのアクセルとブレーキがある”ということでした。簡単に言えばアクセルがプラス思考で、ブレーキがマイナス思考です。前頭葉の左側にアクセル、右側にブレーキがあり、アクセルがどんどん働くと脳が幸せを感じ、ブレーキが働きすぎると“うつ”になるそうです。
ウィスコンシン大学では1000人の脳の働きを調べたところ、アクセルの部分が活性化している人は幸せを感じているとわかったのですが、その中でも最も幸せを感じているのが、フランス人のマシュー・リカールという人でした。この人は、若い頃チベットに渡り、ダライ・ラマ法王のもとで得度をしました。その後、通訳として法王について世界中を回り、この調査のときには40年修行した後でした。この人の脳は普段でも「幸せ脳」なのですが、あることをすると、普通の人の500倍もの幸せ脳になるそうです。何をするのかというと、瞑想して人の幸せを祈るのです。この人が「みんなが幸せになりますように。そして世界が平和になりますように」と祈ると、普通の人よりもさらに500倍幸せ脳になるのだそうです。要するに、他人の幸せを祈る「菩薩行」を考えるだけで脳が活性化するということです。プラス思考の一番は、「菩薩行を考えること」なのです。菩薩行を実際に行えば、もっと幸せになることは間違いありません。人の幸せを祈ると、自分はもっと幸せになるのです。
岩崎博士は次のように言われます。
「『菩薩精神』を持つことは、脳の健康に非常に良い。認知症になりにくく、さらに寿命も長くなり、もし認知症の症状が出ても、その進行は遅くなる」
またカリフォルニア大学の研究グループと一緒に行った『脳はもともと利他的なのか、利己的なのか』という研究では、磁気刺激で脳を調べたところ、脳はもともと利他的だということがわかったのです。つまり人間には必ず『仏性』があるということです。
さらに “菩薩行=利他的な心を持って脳の活性化が進むと、未来のことがわかるようになる”のだそうです。人間の脳には未来予測ができる感性がもともとあるそうです。杉山先生や御開山上人は先のことがよくおわかりになったと言われますが、菩薩行をずっと行っていくと、私たちもそうなる可能性があるのです。
また、これは一番ありがたいことですが、岩崎博士は脳はいくつになってもトレーニングによって成長すると言われています。筋力トレーニングを継続すれば、年をとっても筋肉がつくのと同じで、脳も鍛えれば必ず成長するというのです。“70歳だから、80歳だから脳細胞は死んでいく”ということはないのです。
最も有効な脳トレーニングは三徳の実践
脳を活性化させる一番簡単なトレーニング方法を紹介しましょう。それは指回しです。指を使うと脳は活性化します。これは東京大学の理学部と医学部を卒業し、医学博士・薬学博士である栗田昌裕博士が考え出されました。両手の5本の指先を合わせて、ふっくらとしたドームの形を作るのです。そして左右1本ずつ指の対を離して、互いにふれあわないように指を前回し・後ろ回しするのです。人差し指は簡単ですが、薬指などはとてもむずかしいです。しかし、栗田博士によれば、これが脳の活性化にすごく良いそうです。私もやってみましたが、練習すると、だんだんできるようになります。
最後になりますが、岩崎博士によりますと日常の中で「感謝をすること」が脳の活性化を促し、「感謝の気持ちを表す言葉」が相手の脳の活性化を促進するそうです。結論的には、三徳の日々の実践が一番の脳トレーニングになるようです。