正しい信仰をして幸せになりましょう

掲載日:2013年4月1日(月)

村上先生の堪忍 村上先生の入信のきっかけ

皆さんよくご存知のように、村上先生はとてもご長命でした。70代の後半に杉山先生の跡を継がれて、第二代会長になられました。村上先生が入信されたのは、杉山先生が村上先生の所に訪ねて行かれたのがきっかけでした。杉山先生は妙法と医薬の両輪で人を助けていきたいと思ってみえました。そこで、医師の協力者を求めて方々訪ねられましたが、なかなか協力して下さるお医者さんはおられませんでした。

そんな中、ある人に紹介されて知多郡岡田という所で医院を開業しておられた村上先生を訪ねられたのです。その時、村上先生は蓄えてあった、今でいうと数億円くらいの財産を無くしてしまい、奥さんにも逃げられ、自暴自棄になって、もう死んでしまおうと思っておられたということです。

杉山先生に出会われ、村上先生は『悪因悪果』のお話を聞かれました。

「今、あなたが苦しんでいるのは、あなたのしてきた事の結果です。死んでもその因縁から逃れることは出来ません。いや、このまま死ねばかえって、もっと怖いことになりますよ。自殺は変死です。およそ変死をとげる者は『必ず地獄を免れず』と教えにあります」

そう言われ、「では、どうしたらいいのですか」と村上先生が尋ねると、「妙法を信じ、慈悲・至誠・堪忍の実行をして、徳を積んでゆけば、罪もほどけて、幸せになれますよ。あなたは今、死んで地獄に堕ちるのと、妙法を信じて幸せになるのと、どちらがいいですか」と逆に問われ「幸せになる方がいい」と自殺を思い留まられて、杉山先生のお弟子となられたわけです。

  村上先生の欠点

ここで、村上先生が反省された事があります。村上先生は後年、こんな事を言われました。

「私には欠点が三つある。一つは短気な事。これが一番良くない。後の二つは取り越し苦労と、堅苦しい事」

山首上人さまが村上先生の御法話集の推薦文に書かれてみえますが、村上先生はかなり短気だったようです。だからこそ堪忍の功徳のありがたさをより強く感じられたのでしょう。気の長い人には堪忍のありがたさは解りにくいかも知れません。

聞いた話ですが、タレントの所ジョージさんは怒るという事がまずないそうです。テレビで明石家さんまさんが話していたのですが、さんまさんが大竹しのぶさんと結婚していた時、所さん夫婦と四人で旅行に行ったそうです。その時、所さんが手配したホテルが気に入らなかった奥さんが、ホテルに着くなりものすごい勢いで所さんに怒ったというのです。驚いたさんまさんが所さんの様子を見ていると、所さんはずっと下を向いているだけで何も言わなかったそうです。そこで、奥さんが最後に「あんたなんか居ても居なくても同じだわ」と捨て台詞を言いました。これには流石の所さんも怒るだろうと思っていたのですが、所さんは少し間を置いて「居ても居なくても同じなら、居ようかな」と言ったといいます。これには奥さんも気が抜けてしまい、その後四人で仲良く旅を楽しんだというのですが、万事がそういう感じらしいのです。

所さんのような方にとっては、堪忍は必要のない事かもしれません。

村上先生にとっては、堪忍は非常に効果がありました。我々にとっても、堪忍はとても意味のある教えだと思います。

  山首上人さまの特長

取り越し苦労というのは誰でもするものです。先の事を心配してしまうのです。「案ずるより産むが易し」と言いますが、なかなかそうは思えません。

山首上人さまはあまり心配をされない方でした。「先の事はどうにかなる」というタイプでした。

山首上人さまに比べたら私は取り越し苦労をする方です。大学受験で浪人をした時、成績が伸び悩み、年末になって不安になってきた時がありました。そこで山首上人さまに相談すると、山首上人さまは「大丈夫、心配はない。まぁ別に受からんでも心配ない」と言われました。大学の先生になろうと思ったら一流の学歴が必要ですが、僧侶にそういう学歴は必要ないだろうという山首上人さま流の励ましなのですが、それですっかり気持ちが楽になり、合格する事ができました。

  堅苦しさ

堅苦しさは、良い意味では物事に対して几帳面という事だと思いますが、山首上人さまには、どちらもありませんでした。型にはまらないといったらいいかも知れません。この姿勢はある意味強いと思います。

剣豪・宮本武蔵の有名な『五輪書』の中に「居着くは死ぬる手なり」という言葉があります。

“居着く”とは、固まるとか、もうこれでいいと思うことです。剣の道では自分の型を決め、これで無敵だと思った瞬間にもう駄目だと言います。型ができた瞬間にその型が弱点になるのです。宮本武蔵は生涯、型が無かったといいます。臨機応変だったのです。だからこそ、どんな所で戦っても無敵だったのです。山首上人さまにもそういう所がありました。

  堪忍の徳と力

村上先生は、短気という自分の弱点を杉山先生の教えによって克服することが出来たとおっしゃってみえます。一番の堪忍だめしだったのは、杉山先生が御遷化された時の事でした。

杉山先生御遷化の直後、杉山家の代表という人がやってきて「杉山先生には家族がいなかったので、当時の救済会の全資産を杉山家で相続する」と言うのです。村上先生以下信者さんも全員出て行ってくれ、と言ったわけです。その時村上先生は、「これは諸天のおためしだ。諸天が私をためしてみえるのだ。これを乗り越えて私は一つ上の悟りに行かなければ」と思われました。

その時、信者さんの中で法律に詳しい方が「裁判すれば多分勝てますよ。これは救済会の資産であり、杉山家の物ではありませんから」と言われたのですが、村上先生は「法律に頼るのは良くない。裁判はケンカをするのと同じだ。堪忍破りだ」という事で断られたそうです。そして一年くらいかけて代表の人と交渉され、理事として会の中に入って頂く事を条件に話し合いがつき、相手側が言い分を放棄する事になりました。村上先生の堪忍が相手を教化したと言えるでしょう。

それから数年して、会員数は杉山先生の御遷化された昭和七年から比べて十倍くらいになったといいます。それくらい堪忍の徳は素晴しいと、村上先生は身をもってお示しになられたのです。

  迷信を絶つ

村上先生の御法話集に『迷信を絶つ』というお話があります。村上先生は「堪忍をして徳を積めば、絶対に思う通りになる」という強い信仰をもってみえました。有名な話ですが、ある方が村上先生の所にみえて「信仰をしてきたけど上手くいかない。ちょっと信仰を休ませてもらいたい」と言われた時、村上先生は「そんなうそを言ってはいけない。あなたは真の信仰をしてこなかったから上手くいかないんだ。それなのに信仰してきたなんて事を言ったら謗法罪になりますよ」と言われたそうです。それくらい妙法を実行すれば必ず良くなるという確信をお持ちでした。ですから、他力本願的な信仰を迷信と言われたのです。

例えば仏像を拝むだけとか、お経を読むだけとかでは駄目なのです。仏像を拝むのは「仏様のような人格になろう」という努力をする誓いを立てる事なのです。お経を読むという事は「その中に書いてある事を日常に実行します」と誓う事なのです。ただ読むだけでなく、よく中身を知って、それを日常に生かさなければ意味がありません。

世の中には、名前とか方位・方角にこだわる人がいます。それも村上先生は否定してみえます。名前だけ変えても何の意味もないし、方位・方角にこだわっても何の意味もないのです。しかし人間は、そういう験担ぎをしたがるものです。

落語に『寿限無』という話があります。生まれた子どもにいい名前をつけようと思うのですが選ぶ事ができず、いいと言われた名前を全部繋げてしまったというお話です。

山首上人さまのお知り合いの方の娘さんの結婚式に、山首上人さまの代わりに私が出させて頂いた時にこんな事がありました。最後に、娘さんの名前の由来をお父さんが、

「絶対に男の子だと思って、男の名前ばかり考えていたけれど女の子が生まれたので困ってしまい、考えこんでしまった。その時、御巣鷹山で日本航空の飛行機が墜落し、520名が亡くなるという大事故がおきた。生存者の中に何名か女性がいたという話を聞いて、『飛行機が落ちても生き延びるような運の強い名前がいい』と、生き残った方の名前を調べ、自分の苗字に一番合う画数の名前を選び、名付けた」

と話して下さいました。

もう一つ名前で面白い話があります。一宮支院の伊藤先生がお生まれになった時、村上先生が名前を付けられました。信者さんで姓名判断に凝ってみえる方が、その師匠のところにその名前を持って行ったところ「これは短命な名前だ」と言ったそうです。その方はそれを聞いて皆さんに「どうもこの名前は短命らしい。いかんよ」と言い、慈学上人にお願いして村上先生に名前を変えてもらおうと相談しました。

すると慈学上人が「それはいかんな。そんな短命な名前はいかん。絶対死なない名前にしてもらおう」と言われたそうです。皆さん「慈学上人はとんちがきいているな」と笑いましたが、結局「そんな馬鹿な事を言っていてはいけない」と気付き「村上先生に頂いた尊い名前を喜ばなければ」と納得されたそうです。

村上先生は「そういった種類のものはみな迷信だ」と言われ、結論として「徳さえ積めばいい。徳さえ積めば世の中は思い通りになる。思い通りにならないと言っている人は、徳を積まずに罪障ばかり積んでいるのだ。もし、徳を積んで一生懸命やっているのに上手くいかなかったら、その時は『何か自分の考え方に誤りがある。罪障がまだ取れていないんだ』とそう思いなさい」とおっしゃられています。