人間はやる気だけ。可能性はその心にあり

掲載日:2013年12月1日(日)

「生きる」指針 五計

中国の南宋時代、朱新仲が教訓としてまとめた「生計」「身計」「家計」「老計」「死計」からなる「五計」というものがあります。

朱新仲は、当時秦檜という悪い宰相によって辺地に流された有能な政治家ですが、流された地で自然を愛し、人々に慕われ、悠々と生きた人です。その中から考え出されたのが「五計」です。

今回はその中から「生計」「身計」「老計」のお話をさせて頂きます。

「生計」

いかに生き生きと健康に生きるか、ということです。

儒学者・貝原益軒が『養生訓』に「人生五 十にいたらざれば、血気いまだ定まらず。知恵いまだ開けず。古今にうとくして、世変になれず。言あやまり多く、行い悔い多し。人生の理も楽しみもいまだ知らず。五十にいたらずして死するを夭といふ。是亦、不幸短命といふべし。

長生すれば、楽しみ多く益多し。日々にいまだ知らざることを知り、日々にいまだ能せざることを能す。この故に学問の長進することも、知識の明達なることも、長生せざれば得がたし。之を以て養生の術を行い、いかにもして天年をたもち、五十をこえ、成るべきほどに弥長生して、六十以上の寿域に登るべし」と記しています。

今では七十歳、八十歳に置き換えてもいいかもしれませんが、とにかく、長生きをすれば良いことばかりだと言い、さらに、長生きをする「養生」に最も大切なものは飲食だと言っています。

   遺伝によって変わる食生活

「だまって座ればピタリと当たる」と言われた江戸時代の観相学の大家、水野南北に面白い逸話があります。当時、水野南北の占いはよく当たることで評判でしたが、たまには外れることもあったようです。そこで水野南北は伊勢神宮に行き、二十一日間、断食、水ごりの行をして神様に「どうして外れるのか教えてください」と祈願しました。その満願の日、豊受大神という食の神様から「人の道は食にあり」と啓示を受けました。

それを知ってから、人相・手相を見、さらに食生活を聞くと、占いが百発百中になったということです。飲食によって、短命、長命だけではなく、運勢までも変わるというのです。

今から一万年以上も前、古代の日本人が書き残したものを見ると、当時の人々の平均寿命が百歳ぐらいだったということです。そして、その人たちが食べていた物は植物だけだったようで、獣の肉を食べている人間は寿命が短かったというのです。そこで、獣の肉を食べている人に植物を食べるように勧めたら寿命が伸びた、と書かれています。

この話を聞くと、肉をまったく食べなければ良いと思ってしまいますが、人間には遺伝的なものがあります。

以前日本に来たチベットのお坊さんのお話です。その方は、干し肉を主食として食べておられたそうですが、「日本に来て初めてお釈迦様の教え通り、肉をやめて野菜だけを食べられる」と喜び、野菜中心の生活をしたらアレルギーが出てしまいました。

病院にいっても原因がわからなかったのですが、野菜を食べるのをやめたら治ったそうです。この人の遺伝子には肉が合っていたということです。昔から、海辺の人には魚が合い、山に住む人には山のものが合うものですが、そういう遺伝子になっているのだと思います。

このように、体に合う合わないはあるかもしれませんが、どんなものでも「感謝して食べる」ことが肝要だと思います。「ありがたい」と思って食べればすべてが栄養になります。薬でもそうです。「漢方薬は副作用がない。新薬は副作用の塊だ」と言う人がいますが、もともと薬は「毒」ですから、必ず副作用があります。

その副作用を少なくするにはどうしたらいいかというと、やはり「ありがたい」と感謝し、お題目を唱えて飲むことです。そうすれば副作用は少なくなります。もし「副作用が出たらどうしようどうしよう」と心配しながら飲んでいたら、その通りになるに違いありません。

日本は、医療費も薬代も世界的に見れば非常に安い国です。そのことも感謝しなければいけないと思います。

病気の元は貪・瞋・癡の三毒です。三毒は病気の波動と合って、病気を引き寄せるのです。

   「身計」

これは、どういう指針で生きるかということです。私達の指針は当然、慈悲・至誠・堪忍の三徳ですが、ロシアの文豪トルストイに『三つの質問』という面白い話があります。

ある国の王様が「行動を起こすのに最も適した時はいつか、耳を傾けるべき人は誰か、常に何をすることが正しいか、解っていれば人生において決して失敗はしないだろう」と思い、この三つの質問の答えを聞きに賢者の所に行きます。しかし賢者は、庶民には会うけれども高貴な人には会いたがらない人でした。

そこで、わざわざ世捨て人のような恰好をして会いに行きましたが、賢者はまったく相手にしてくれませんでした。見るからに弱々しい賢者は花壇の土を掘り返していました。王様は「わたしが代わりましょう」と言って何時間も耕しました。そして、今度こそ三つの答えを聞こうとしたところ、顎鬚を伸ばした男が両手でお腹を押さえて森の中から走り出てきました。お腹の傷からは血がひどく流れ落ちています。賢者と王様はその傷を負った男を家に入れて手当てしました。

少し容態が良くなると、男は王様に「許し」を請いました。王様は会ったこともない男に「何のことだ」と尋ねると「王様は私のことを知らないでしょうが、私は王様のことをよく存じています。私はあなたの敵です。あなたに復讐を誓っていました。なぜなら、あなたは私の兄を殺し、財産を奪ったからです。そのあなたが賢者に会うため一人で出かけたと知って、帰り道であなたを殺そうと計画しました。しかし、一日経ってもあなたは戻って来ませんでした。それであなたを探しに、待ち伏せをしていた場所から出た所、あなたの家来に出くわしました。家来は私の正体を知っていて、私に傷を負わせました。

私はその場から逃げ出しましたが、もしここで手当てをしてもらえなかったら出血多量で死んでいたことでしょう。私はあなたを殺したいと思っていたのに、あなたは私の命を助けて下さったのです。もしお許し頂けるなら、今後私は最も忠実な家来としてあなたに仕え、私の息子達にも、あなたの家来になるよう命じるつもりです。どうかお許し下さい」と言いました。

王様は男を許しただけではなく、自分の家来と医者を呼んで男を看病させ、以前、男の兄から取り上げた財産を返しました。暫くして王様が外に出ると、前日耕した花壇に賢者が種を撒いていました。そこで王様はもう一度、三つの質問をしました。すると賢者は「答えはもうすでに出ているではありませんか。昨日あなたが弱々しい私を憐れんで、私の代わりに花壇を耕してくれなければ、あなたは帰り道であの男に襲われていたでしょう。

そして、私の所に留まっていればよかったと後悔したことでしょう。すなわち『一番大切な時』というのは、あなたが花壇を耕していた時、ということです。そして『一番大切な人』が私で、私に親切にすることが、あなたの『一番大切な仕事』だったのです。

その後、あの男が私達の所に走り出てきた時の『一番大切な時』とは、あなたが男の手当をした時です。もし手当をしなければあなたと和解することなく死んでいたでしょう。すなわち『一番大切な人』はあの男で、あなたがあの男にしたことが『一番大切な仕事』なのです。

よいですかな。大切な時は一つしかない。それは『今』だ。『今が一番大切』なのです。私達が力を発揮できるのは『今』だけです。

そして『一番大切な人』は、今あなたが共にいる人です。この先、誰と関わり合いになるかは誰にもわからないでしょう。

『一番大切なこと』は、今そばにいる人に親切にすることです。その目的のためだけに人はこの世に生まれてきているのです」と言いました。

「三つの質問」の一つ目の答えは「今」です。二つ目は「そばにいる人」、三つ目は「そばにいる人のために最善を尽くすこと」。最善というのは親切にすることです。縁ある人のために親切にすることが、人生の一番の大事です。

   「老計」

人間年を取ると「もう年だから」と、言い訳の塊になるようです。これはよくありません。老いても学び続け、修養し続け、理想を追い続ける人生を歩みたいものです。

幕末の大儒学者・佐藤一斎が言っています。

「少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」

史上最年長でエベレストに登頂された三浦雄一郎さんは、八十歳で登頂されましたが、七十五歳でも最年長登頂をされています。七

十歳の時にもされていますから、もともと体を鍛えて元気な人かと思いますが、実は違います。六十五歳の時はメタボで体調がよくなかったのです。身長165センチで、体重80キロ、血圧は200を越え、不整脈もありました。その頃は、標高500メートルの低い山を登るだけでも、三十分も経たない内に心臓がバクバクして、足もガクガクだったそうです。そこで「これは鍛えなおさないといけない」と思い、トレーニングを始めたのだそうです。

お医者さんは「メタボに加えて不整脈、血圧も高くて、無理をしたら七十まで生きられませんよ」と言いました。しかし三浦さんは「人間は鍛えればどうにかなる」と、背中や足に重りをつけて毎日鍛え続けました。するといつの間にかメタボが解消し、血圧が下がりました。また手術をして不整脈も治り、何度も偉業を達成されたのです。

余談ですが三浦さんは肉が大好きで、野菜はあまり食べないそうです。三浦さんは、山に住む人間の遺伝子が強いのかもしれません。三浦さんのこの話を雑誌で読み私は「人間はやる気だけだ。可能性はその心にある」とつくづく思いました。