顔にはその人の内面が出てきます 功徳を積んで内面を磨きましょう

掲載日:2014年5月1日(木)

和顔施 内面が顔に出る

人間の顔は、その人のそれまでの行ないや心が出るものです。アメリカの元大統領リンカーンが大統領になった時ある側近から“この男を大臣にしてほしい”と言われましたが、リンカーンは会うなり「ダメだ。顔が悪い」と言いました。側近が「顔は自分のせいではないです」と言うとリンカーンは「男は四十になったら自分の顔に責任を持たなければいけない。四十過ぎてこんな子どものような顔をしたやつはダメだ」と言い、あっさり断った、という話は有名です。

JAL(日本航空)を再生された稲盛和夫さんは、

「私は職人さんの顔を見るのが大好きだ。この道五十年、六十年という職人さんのあの年輪の刻まれた顔を見るのが大好きだ。男はみんなああいう顔にならないといけない」と言っておられます。たぶん、リンカーンもそういうことが言いたかったのだと思います。

アメリカのヘレナ・ルビンシュタインという女性も、面白いことを言ってみえます。

「女の顔は三十までは神様の授けてくれた顔。四十を過ぎたら自分で稼いだ顔」

三十までは若さで持つが、四十を過ぎると内面的なものが出てくるということです。

   信頼を得るために顔を変える

「顔」の話で面白いのが佐賀鍋島藩の「葉隠」の語り部・山本常朝という人です。この人は非常にうんちくのある話を「葉隠」の中で語っています。

十三歳で元服をした途端「利口そうな顔が悪い。利発そうな顔をしているが、あのような顔つきの者はだいたいが家をダメにする。お殿様もたぶんああいう顔はお嫌いだ」と周りからさんざん批判をされ、一年間家に“引きこもり”になったそうです。しかし、実際は落ち込んで引きこもりになったのではなく、顔を変えようとして一年間引きこもり、努力をしたのです。毎日鏡を見て、少しでも利口ぶったところが無くなるように努力をしたのです。

そうして一年経ち、もういいだろうと外に出たところ悪口を言っていた藩士たちが「なんか病気上がりの疲れ切ったような顔をしているな」と言ったそうです。それを聞いて「ああ、良かった。もうこれで外に出ても大丈夫だ」と安心をしたと言います。

後に、弟子たちに「利発さが顔に出るようではまだまだ人の信用を受けるというわけにはいかない。総じて風体というものは、しっかりと落ち着いていて静かであることが上々である」と言ってみえます。

   和顔施に務める

「宮本武蔵」や「新平家物語」の著者・吉川英治さんは、あることをきっかけに山本常朝のように顔を作るようになられたと言います。

朝日新聞の論説委員をしておられた扇谷正造さんが、週刊朝日の編集長をしている時、吉川英治さんは「新平家物語」を連載していました。吉川英治さんといえば大作家ですから、編集長自ら原稿を受け取りに行っていました。一回の原稿が四百字詰めの原稿用紙で二十五枚だったそうです。締め切りの日は必ず徹夜になり、徹夜明けの吉川さんのもとへ原稿を取りに行くと、吉川さんは本当に疲れ切った様子でした。原稿を書くのに魂を入れすぎて、主人公に同化してしまったのかも知れません。たとえば清盛が熱病で死ぬ場面になると、本当に自分にも熱が出てきて、倒れて横になりながら書かれたそうです。

また、木曽義仲の最期の場面では、本当に辛そうで、暗い顔になって出てみえて原稿を渡されたそうです。その吉川さんに晩年、香屋子ちゃんというかわいい赤ちゃんが生まれました。年を取ってからの子どもは本当にかわいいと言いますが、吉川さんも例外ではなく「香屋子が嫁に行くまでわしは生きておられるかなぁ」と時々言われるので扇谷さんが、「先生、少しお休みになったらいかがですか」と言うと、吉川さんは「一人でも僕の小説を読んでくれる読者がいる間は絶対休まない」と言われたそうです。

ある時、二週間くらい所用で関西から九州方面へ扇谷さんが出張して、吉川さんの原稿を取りに行かなかったことがあったそうですが、帰って久しぶりに吉川さんのところへ原稿を取りに行くと、すごくさわやかな顔で出て来られたそうです。そこで扇谷さんが「先生、昨夜は徹夜ではなかったのですか」と聞くと「徹夜したよ」と言われました。いつもと様子が違うのでどうしたのだろうと思い、後日、奥さんに聞いてみたそうです。すると「実は主人が、扇谷さんに心配させて気の毒だったと言い、これから必ず扇谷さんに会う前に朝、鏡の前で顔を直してから会うことにした」と言われたのだそうです。

それまでの魂を込めた主人公と同体になった雰囲気を追い出して、顔を整えてから扇谷さんに会うようにされたのです。それが吉川さんの習い性になり、どこへ行くにも、どの人に会うにも必ず鏡を携帯して、鏡がない時にはトイレに入ったり電車の車窓に自分の顔を映して、会う前に必ず顔を直して会うようにされたというのです。

実は吉川さん、若いころは本当に短気で気性の激しい人だったそうです。気に入らない客が来るとすぐに追い返していたそうです。それが、扇谷さんとのやり取りによって変わったのです。仏教でいうところの「和顔施」をされるようになったのです。

もう一つ吉川さんにまつわる楽しいエピソードがあります。吉川さんは若い頃は非常に苦労をされました。そのことが自伝小説の「かんかん虫は唄う」という本の中に書いてあります。印刷工時代には百科事典を五十回読んだといわれていますが、扇谷さんはあることをきっかけに「本当に五十回読まれたのかもしれない」と思ったことがあったそうです。

吉川さんと扇谷さんが昭和三十年頃、文士の方たちと料亭に行った時のことです。お品書に「強肴」と書いてありました。そこには名だたる文士、石川達三、大岡昇平、石坂洋次郎と言った人々がいましたが、誰もこれを読むことが出来ませんでした。ある文士は「強い魚だから雷魚かなんかかな」と言い、又ある文士は「ナマズの天ぷらかな」などと冗談を言ったそうです。そこで石坂洋次郎さんが「吉川さん、これなんて読むかご存知ですか」と聞くと、吉川英治さんがにっこりしながら「これは“シイザカナ”と読むんですよ。

“もう料理はひと通り出しましたが、もしお腹がまだ空いているようでしたら一皿いかがですか”と強いる料理です。お腹にたまらないような料理が出てくると思います。まぁ、今日あたりは蒸しガレイかなんかですかね」と言うと、本当に蒸しガレイが出てきて、周りの人たちがみんな驚いたということです。その時、扇谷さんは“百科事典を五十回もまんざら嘘ではないな”と思ったそうです。

私の法音の連載の題は「朝のこない夜はない」ですが、これは吉川さんの文章から頂いたのです。

吉川さんは若いころ非常に苦労され、「いつか私も芽が出る。いつか私も成功出来る」という思いを込めて「朝のこない夜はない」と唱えておられたそうです。晩年、大作家となって色紙を頼まれると必ず「朝のこない夜はない」と書かれたそうです。いい言葉だと思って使わせて頂いております。

   仏になるための六段階

中国の天台大師という偉いお坊さんが、仏になるまでには六段階あるとおっしゃっておられます。「理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即」と言います。

理即というのは、すべての人は仏性を持っていて、理屈の上では仏になることが出来るということです。名字即とは、仏教を少し勉強する段階に入ったところ。観行即とは、仏教を実践する段階に入っている。相似即とは、仏教を実践していくと姿形が仏さまに似てくるということです。そして分真即で、仏さまの分身として働くようになり、究竟即で仏になる、ということです。

相似即にあるように、善い行ないをして功徳を積んでいくと容姿は自然に変わっていくのです。ですから、リンカーンが言うように、その人の心や行ないが顔に現われるというのも本当だということです。