言葉の収斂
先ごろ、恒例の浄心道場が開催されました。ゴールデンウィークの最中に全国から熱心な方々がお集まりになって修行されました。世間では、行楽地に遊びに行ったり、または体を休めたりする時です。そのような時に水をかぶりに来られるのですから、本当に頭の下がる思いがします。
浄心道場の始めに、いつもさせて頂いているお話があります。それは、私が信行道場に入行した時、当時の日蓮宗管長・岩間日勇猊下からお聞きした訓話です。
「修行には上品・中品・下品がある。下品とは、いやいやする修行のこと、中品とは惰性でする修行、上品とは、しっかりと高い目的意識を持ってやる修行を言う。これが何より大事である」
このお話は修行だけでなく、何事にも言い得ることです。特に仕事の時にはやはり「上品」の心がけでするのが良いと思います。
道場の中で、言葉についてお話をさせて頂きました。
“心コロコロ”と言って、心は勝手に動くものと言われていますが、口も勝手に動きやすいものです。暑い時は暑い、寒い時は寒い、面白くない時は面白くないと好き勝手に動きます。杉山先生はそうしたことを戒めるため“時候の挨拶にまで気を付けなさい”と言われました。
江戸時代の陽明学者・熊沢蕃山の書いた『集義和書』という本の中に、ある人が蕃山に「入徳の功、いずれのところより始まるべきや」と問いかけた話が載っています。徳を養うにはどこから始めたらいいかということです。これに対して蕃山は「精神の収斂するより始むべし」と言っています。精神の収斂とは、気持ちを引き締めることです。そして、
「精神を収斂することは、言を慎むより始まれり。これ、口は好みをなし、兵をおこすと言えり。誠に吉凶のかかるところなり」と続けます。
〝言葉には好き嫌いの感情が出る。どういう言葉を発するかによってその人の運命の吉凶禍福が決まる〟というのです。
「悪口妄言、世俗の卑辞は少し心ある人は言わず。言の発し易きことは吾人の通病なり」
勝手なことを言ってしまうのは我々の共通の病気だというのです。そして、「すべて言は、言いて人の益とならず」とも言っています。
人のためを思って注意するのも、正しいから言えばいいというものではありません。これを言えばこの人のためになると思っても、人によって、時によって、場所によっていろいろ考え、その上で言うのでなければ効き目はありません。却ってうらまれることもあります。
「言うべき義理なくば黙するにしかず」と蕃山は言いますが、“本当に言うべきだな”と思う時以外は黙っていた方がいいというのが本当だと思います。
「行の悪しきは悔い改めて後は善なり。言の失は、物に及びて害あれば悔いるといえどもかえらず」
悪い行ないは改めればそれでいいけれども、言葉で人を傷つけた場合は取り返しのつかないことがあるというのです。ですから、
「君子はこれを始めに慎むなり」
偉い人は言葉を慎むことから始めるということです。
「黙養」という修行があるそうです。「黙養」とは沈黙の修養です。昔、道を学ぶ人達は、言葉は大切だからまずは余計なことを言わないことから始めようと、まず一日黙っていることから始めました。それができたら三日、三日できたら一週間、次は一ケ月、三ケ月、一年と続け、最長三年までやったと言います。三年黙するというのはかなりの難行だったと思います。
人間は、何もなければ余計なことを言わないものです。しかし、ことがあると余計なことまで言ってしまいます。ですから、日常さまざまなことが起きる中で、その時にどのように言葉を慎むことができるか、そこが肝心です。
累積納税額日本一の銀座まるかんの社長、斎藤一人さんが言葉の大事さについて言われています。
斎藤さんによると、言葉には天国言葉と地獄言葉があるそうです。天国言葉とは「ついてる。うれしい。楽しい。感謝します。幸せ。ありがとう」などです。地獄言葉とは「ついてない。不平不満。愚痴。泣き言。悪口。文句。心配事」などです。
これについて斎藤さんは「天国言葉を言っていると、またそれを言いたくなるような幸せなことが起こるし、地獄言葉を言っていると、またそれを言ってしまうようないやなことが起こる。これは一つの法則だ」と言われています。だから「天国言葉を使う方が絶対いい」と言うわけです。
斎藤さんにはお弟子さんと言われる方が何人もいるのですが、皆さんこれを実行して成功し、幸せになっていると言います。そして、「とにかく試しに、一週間やってみてください。必ず自分が変わり周りが変わります。地獄言葉をやめて天国言葉だけにしたら絶対に変わるから、先ず一週間やってみてそれを実感してほしい」ということを言ってみえます。
これを実際に人にさせて成功した人がいます。五日市剛さんという方です。『ツキを呼ぶ魔法の言葉』という本を書いていらっしゃいます。薄い本なのですが10年ほど前に大ベストセラーになりました。本屋さんでは売っていなくて、通信販売でしか手に入らない本でした。この中で五日市さんは「言葉によって本当に人生は変わるものですよ。自分がそうでした」と言われています。
五日市さんもはじめは不平不満・愚痴不足が多く、人の批判ばかりする人で、人生がうまくいっていませんでした。会社でもうまくいっていませんでした。たまたま、気分転換で中東のイスラエルに旅行をした時、そこで出会ったおばあさんに「言葉は大事だ」という話を聞きました。特に「ありがとう。感謝しますという言葉を積極的に使うと人生が変わりますよ」と言われ、やってみたら本当に変わったのだそうです。
それ以来、どんどん良くなっていったので、今度は部下のAさんにやらせました。五日市さんの仕事は会社で商品を開発する仕事で、研究者でした。Aさんはその下で働いていたのですが、毎日五時に帰り、職場の人間ともうまくいっていませんでした。その人をどうにか変えようと提案したのです。
「毎朝ロッカーで会った時に『今日はツイてる?』と聞くから『ツイてます』と答えるように。帰りもね」
しかし、Aさんは「ツイてないのにツイてますなんて答えられません」と言ったのですが、五日市さんは「ツイていようが、ツイてなかろうが、とにかく『ツイてます』と答えてくれ」と言うと、さらに「なんでそんなこと言わなければいけないのですか」と言うので「これは命令だ。とにかくいやいやでもなんでもいいから『ツイてます』と言うように。まあ、ひとつの遊び心だ」と言って、次の日から「おはよう。ツイてる?」と聞き始めました。最初Aさんは「ツイてますよ」といやいや言いました。
それがずっと続いたある日、「Aさん、ツイてるか?」と聞かれると、「ええ、今日はツイてますよ」と答え、続けて「今朝、女房が作ってくれた朝ごはん、本当においしかったな〜」と言いました。それからだんだん変わってきて「今日もツイてますよ。いつも学校に行きたがらない息子が、今日は『行ってきます』と元気に行きました。ツイてる気がします」と答えるようになりました。
それからどんどん変わって、本当にツイていることが起きてきました。
ある日、「今日はいいデータが取れて、いい製品ができるかもしれません」と言ってきました。Aさんは、十年来ある製品の開発をしていたのですが、全くうまくいっていませんでした。それが「ツイてます」と答えだしてからうまくいき出したのです。そのうちに、いつも五時に帰っていた人が八時でも九時でも残って仕事をするようになり、休みの日も会社に出てきて仕事をするようになりました。
やがて「もう毎日ツキすぎです」と言うようになり、一年経って、本当に人間が変わってしまいました。そしてAさんの開発した製品が発売されることになり、Aさんはその総責任者になったのです。言葉というのは本当に不思議なものです。
また言葉は、人間関係の潤滑油としても大事です。日達上人はよく面白いジョークを言われましたが、良質なジョークは人間関係をなめらかにし、場を和ませるものです。
長く総理大臣をされた吉田茂さんはジョークが上手だったそうです。
戦後日本はずっと食糧難でしたが、吉田首相はマッカーサーに「四五〇万トンの食糧を緊急輸入しないと日本国民は餓死します。アメリカからすぐに四五〇万トンの食糧を送ってください」と頼みました。するとマッカーサーは「いくらアメリカでも四五〇万トンの食糧は無理だ。七〇万トンくらいなら何とかなる」と、七〇万トンを緊急にアメリカから送らせました。
しかしその後、何か月も食料を送ってこなかったのに一人として餓死したという話はありませんでした。そこでマッカーサーが吉田首相に対して「ミスター吉田、私は日本に七〇万トンの食糧しか渡さなかったが、餓死者が出たという話は聞かない。日本の統計はいい加減で困るな」と言うと、吉田首相は「当然です。もし日本の統計が正確だったらアメリカと戦争なんかしていませんよ」と答えたので、マッカーサーも大笑いしたということです。
政治家はピンチの時のジョークがうまいと人気が上がります。
かつて、アメリカ共和党のレーガン大統領がピストルで撃たれてすぐに病院に運ばれました。その時ストレッチャーで運ばれながらお医者さん達に向かって「君達全員が共和党員であることを祈るよ」とジョークを言ったそうです。それに対して民主党員のお医者さんが「御安心ください。今日一日は全員が共和党支持者です」と返したそうです。
この時のエピソードで、いっぺんにレーガン大統領の人気が上がったと言います。
日本の副総理の麻生さんが以前、総理大臣の時に国連で演説をしました。その時、マイクが壊れてしまいました。演説をしている時にマイクが壊れたら慌てると思いますが、麻生さんはマイクをポンポンと叩き、しげしげとながめて一言、英語で「やっぱりな。メイド・イン・ジャパンじゃないや」と言ったそうです。場内は大爆笑で、それから麻生さんの株が上がったそうです。
安倍首相が少し前、アメリカの上・下両院の議員総会で演説されましたが、その最初の方でジョークを言ってみえます。
安倍総理は学生時代にカリフォルニアにホームステイされたことがあるそうですが、その時の話です。
「家に住まわせてくれたのはキャサリン・デル・フランシアという未亡人で、亡夫のことをいつも『ゲーリー・クーパーより男前だったのよ』と言っていました。心から信じていたようです。今、ギャラリーに私の妻・昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします」
この後、アベという名字について「私の名字は“エイブ”ではありません。しかし、アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主主義の基礎を、日本人は近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです」と言われました。
ゲティスバーグ演説の有名な一節とは、リンカーン大統領の「人民の、人民による、人民のための政治」というものです。これは日本国憲法前文に引用されています。そのリンカーン大統領の愛称が“エイブ”でした。そこで「エイブと呼ばれるのは悪い気はしない」と言われたのです。
同じ口から出る言葉でも、やわらかいジョークは場を和やかにして人間関係を良くします。
本当に言葉の使い方は大事です。