悔いのない人生にするために今、菩薩行に励みましょう

掲載日:2015年9月1日(火)

一期一会のこと  笑って死ぬために

日達上人が、生前「この本はおもしろいぞ」と『アメリカインディアンの言葉』という本を紹介して下さいました。

その中に「あなたが生まれた時、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。だからいつかあなたが死ぬ時、あなたは笑っていて周りの人達が泣いている、そんな人生を送りなさい」とありました。

こうなれば、その人の人生は本当にいい人生だったと言えるでしょう。

笑って死ぬためには、悔いのない一生を送ることが肝要だと思います。そのためには先ず『死』を意識することです。人間は必ず死にます。ですから、死ぬことを意識することによって生き方が変わるのです。

   「死」についての先人の教え

日蓮聖人は『妙法尼御前御返事』の中で、「日蓮幼少の時より仏法を学び候いしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露尚譬にあらず。賢きもはかなきも、老いたるも若きも定めなき習いなり。されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」とおっしゃっておられます。

禅宗の祖、道元禅師もこんな問答を残しています。お弟子の方から「人生に成功する人としない人がいるのはどうしてですか」と尋ねられ「努力する人としない人の違いだ」と答えると、さらに、では「努力する人としない人がいるのはどうしてですか」と尋ねられました。そこで道元禅師が「努力する人は志があるからだ」と答えると、またさらに、「志がある人とない人がいるのはどうしてですか」と尋ねますので、「志のある人は、人間は必ず死ぬということを知っているからだ。志のない人は人間が必ず死ぬということを本当の意味で知らない。その差だ」と答えています。

「武士道というは死ぬこととみつけたり」という言葉で有名な「葉隠」には「常に死を思って生きろ」「死に物狂いで突き進め」など『死』を意識した教えがたくさん出てきますが、こんなことが言われています。

「身分や老若に関係なく、人は悟っても死に、迷っても死ぬ。とにもかくにも人は死ぬ定めなのである。誰であれこのことを知らないわけではない。実は極意というものがここにある。誰もがやがて死ぬと知ってはいるものの、自分だけは皆が死んでしまった後に死ぬように錯覚して、まさか今にもその順番が自分の身の上に巡ってくるとは少しも思っていない。

死というものに対しては何も役に立つものはなく、現実はまるで夢の中の戯れにも等しい。このことをよく自覚し、決して油断してはならない。それが極意である。『死』は、今すぐにも起きる問題なのだからしっかり心の準備をしておくことだ」

古代のローマにも、死に関してこんな話があります。凱旋した将軍が、群衆に拍手喝采で迎えられるパレードをする際、従者をつけて、必ずある言葉をささやかせたそうです。

それは「メメント・モリ」(死を忘れるな)です。“今は戦争に勝ち、喜びの絶頂にいるが明日の命はわからないのだ。有頂天になるな”という自分に対する戒めです。

よく、大病や臨死体験をされた方は『死』を意識して生き方が変わると言います。

ソフトバンクの社長・孫正義さんは、二十代の時に突然体調が悪くなり、病院に行ったら慢性肝炎と診断され、お医者さんから、「あと五年くらいの命でしょう」と言われたそうです。それから、暫く死の恐怖から孫さんは泣いてばかりいたそうです。その頃、たまたま友人から勧められて読んだ本が、司馬遼太郎さんの「龍馬がゆく」でした。坂本龍馬は、脱藩してから暗殺されるまでの五年間で日本を変えるような大きな役割を果たした人です。孫さんも“龍馬ほどではなくとも五年間という歳月を意義のあるものにしよう”と決意され、何をしたらよいかを考えたと言います。そして結論として、「あと五年の命だったら、もう車や家といった物欲は関係ない。

生まれたばかりの娘の笑顔をずっと見ていたい。家族みんなの笑顔を見ていたい。社員の笑顔を見たい。お客さまの笑顔を見たい。そうだ、これからはみんなの笑顔を生み出すために残りの命を捧げよう」というところに行き着き、それから闘病生活が変わっていったのだそうです。

人間は目的が定まると、心がぶれなくなります。孫さんも、仕事のこと、みんなのことが一生懸命考えられるようになったら、三年程で奇跡的に病気を克服することができたと言っておられます。そして現在の孫さんは、皆さまの知っておられる通りです。

自分の人生を、本当に後悔しない人生にするには、世のため人のために生きることだと思います。人のために尽くせたという喜びがあれば、後悔することも少なくなるだろうと思います。

アップルの創業者・スティーブ・ジョブズも『死』を強く意識した人です。スタンフォード大学での有名な講演の一部です。

「私は十七歳の時にこんな言葉と出会った。『毎日を人生最後の一日だと思って生きていこう。そうすればいつの日か必ず、間違いのない道を歩んでいることだろう。やがて必ずその日がやってくるから』それはとても印象に残る言葉で、その日を境に三十三年間、私は毎朝、鏡に映る自分にこう問いかけることを日課にしてきた。『もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうか』と。『違う』という答えが何日も続くようなら生き方を見直せということです」

「一期一会」という言葉があります。

“いつも会っている人でも、この人に会えるのは今日が最後かもしれないと思って接しなさい”という教えです。

ディズニーランドのスタッフがお客さまに最高のおもてなしを心掛けていることは有名ですが、社員の方も、アルバイトの方もすべてのスタッフが「このお客さまがディズニーランドで遊ぶのはこれが人生最後かもしれないと思って接する」のだそうです。一期一会の精神です。

一九八五年の夏、飛行機の墜落事故がありました。あの、御巣鷹山の事故です。

その乗客の中には、ディズニーランドで遊んだあとに、あの飛行機に乗り込んだ方がいたそうです。事故の写真がディズニーランドのスタッフルームに長く貼られていたそうです。

   お釈迦さまのお諭し

結びにお釈迦さまの『一夜賢者の教え』を紹介しておきます。

過ぎ去れるを追うことなかれ。

いまだ来たらざるを念うことなかれ。

過去、そはすでに捨てられたり。

未来、そはいまだ到らざるなり。

されば、ただ現在するところのものを、そのところにおいてよく観察すべし。

揺らぐことなく、動ずることなく、そを見きわめ、そを実践すべし。

ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。

たれか明日死のあることを知らんや。

まことに、かの死の大軍と、遇わずというは、あることなし。

よくかくのごとく見きわめたるものは、心をこめ、昼夜おこたることなく実践せよ。

かくのごときを、一夜賢者といい、また、心しずまれる者とはいうなり。

今日一日を精一杯悔いなく生きましょう。

一生はその積み重ねです。