至誠を尽くす道
日蓮聖人と言えば法華経、法華経と言えば日蓮聖人、イコールになっていますが、法華経はもともと日本に縁の深いお経でした。聖徳太子の時代からずっと日本には法華経が根付いていて、平安時代には貴族の間で常識のようになっていました。日蓮聖人はその法華経の功徳をお題目に込め、「南無妙法蓮華経」と唱えればその功徳がすべてその中に凝縮されていることを私たちに教えて下さいました。これが一番ありがたいところだと思います。
一方、安立行菩薩の再誕・杉山先生はその法華経の実行の仕方をわかりやすく、慈悲・至誠・堪忍と説いて下さいました。もし三徳の教えがないと、法華経がいくらありがたいと言ってもどのように実行したらいいかわかりません。杉山先生が慈悲・至誠・堪忍を説いて下さったから、われわれは日常生活の中で法華経を実行するにはこうすれば良いとわかるのです。
今回は慈悲・至誠・堪忍の中から至誠についてお話ししようと思います。
至誠とは
杉山先生は六波羅蜜の中の持戒を至誠という言葉で表現されました。持戒には「身を慎む」という意味があります。ともすると、われわれはすぐ傲慢になり、勝手な行ないをします。それを慎むのが至誠です。
「身を慎む」で思い出すのが、昭和二十一年に出されたGHQの指令です。それは、昭和天皇の御兄弟以外は皇族として認めないというものです。そして御兄弟以外の十一の宮家の方々は全員、臣籍降下されて国民となられました。その時、いろいろな議論が起きましたが、結局はGHQの言うことを聞くしかありませんでした。
昭和天皇との最後の晩餐が開かれました。その際、宮内庁の次官が「万が一にも皇位を継ぐべきときがくるかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい」と言ったそうです。
実際に皇族の方は凛としておられます。アルゼンチンのブエノスアイレスで行なわれたオリンピックの招致運動の折の高円宮妃殿下のスピーチはすばらしいものでした。その立ち姿、姿勢がまた美しく見えました。外国の新聞に「高円宮妃殿下のスピーチは本当にすばらしかった。本物のBBCイングリッシュだった」という評価が載ったそうです。
皇族のみなさんの姿勢がいいのは教育だそうです。小さいころから「姿勢を正し、腰を立てるように」と教えられるそうです。それと、式典などに出席している時は、途中で絶対にトイレに立ってはいけないと教えられるそうです。式典の途中で席を立つのは失礼に当たるからです。そのせいか、皇族の方は皆さんトイレが遠いそうです。
では、人目に付く時だけ姿勢をよくしていればいいかと言えば、それは違います。いついかなる時も人から見られているように身を慎みなさいという教育だそうです。新幹線に乗っている時も、車に乗っている時も、いつでも姿勢を正しておられます。
高円宮妃殿下は皇族に嫁がれたお方ですが、元々徳の高いお方だったとお見受けします。
儒教に説かれる「慎独」
『大学』という儒教の教典があります。昔はどこの小学校にも二宮金次郎の銅像がありました。その二宮金次郎は薪を背負って、必ず本を手に持っています。その本が『大学』です。その中に「君子は必ずその一人を慎むなり」とあります。立派な人物というのは、自分一人の時、つまり他人が見ていない時でも己をしっかり律していくことができる人であると書かれています。『大学』は、この「一人を慎む=慎独」を非常に重視しています。人が見ていないところでも身を慎むことが、ひとかどの人物になるために一番の基本だというのです。
これに対して「小人閑居して不善を為す」とあります。つまらない人間は大体が、時間があって一人でいるとロクなことをしないということです。
ある意味閑居の究極は獄中だと思います。刑務所に入ると時間が余ってしようがないから、大概の人はぼーっとなるそうです。そして人恋しくなるそうです。中には本を読み続ける人もいるそうですが、めったにないそうです。
松下村塾を開いた吉田松陰は安政二年に投獄されましたが、その中で朝から晩まで勉強を続けました。その姿に牢番から他の受刑者まで感化され、獄中で「学問を教えてほしい」と請われました。そこで松陰は儒教の教えの一つ「孟子」を説きました。それが今でも『講孟余話』という本になって残っています。
松陰は同年十二月に出獄し、後、安政四年に叔父の私塾を引き継ぎ松下村塾を開きます。松下村塾はある意味、明治維新の陰の立役者と言えます。松下村塾を出た人が中心となって明治維新を成し遂げ、今に至る日本を作ったと言っても過言ではないからです。とは言うものの、松陰は安政五年に再び投獄され、翌年死刑にされたため、この塾は一年一か月しか開かれませんでした。その一年一か月の間に七十九人の若者が学びました。その中には高杉晋作とか久坂玄瑞、桂小五郎(後の木戸孝允)、初代総理大臣・伊藤博文、大蔵大臣・井上馨、また後に総理大臣となる、山県有朋といったそうそうたるメンバーがいました。
この若者たちがもともと優秀であったかというと、そうではないのです。ごく普通の若者でした。農民の子もいれば、武士の子も、商人の子もいました。その中から総理大臣をはじめ国家の中枢を担う人物がたくさん出たのですから、奇跡の学校と言えます。
松陰はこの一年一か月の間に人生の根本を教えました。それが「至誠」です。
松陰は塾生に必ず「君の生まれてきた役割はなんだ。なんのために生まれてきたんだ」と質問しました。大半の塾生は答えられませんでした。そこで松陰は「日常のことに至誠を尽くしなさい。そうすれば生まれてきた役割、目的がわかる」と言っています。
松陰の言う至誠は「とにかく真剣に、一生懸命やりなさい」ということです。自分に与えられた仕事、やらなければいけないことを陰日向なく誠心誠意やるのです。そうすると自分の役割が見えてくるようになり、至誠を尽くすという心が自分の身に付けば、どんなことが起こっても心が動じなくなるというのです。松陰は「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」と言っています。言い換えれば、至誠を以って対すればできないことは何もないということです。至誠がすべての基本ということです。
三國シェフの至誠
至誠を貫いたシェフの話をしようと思います。「オテル・ドゥ・ミクニ」というレストランのオーナーシェフの三國清三さんです。三國さんと言えばフランス料理の第一人者です。昭和二十九年生まれで、昭和四十四年、十五歳の時に生まれ故郷の北海道で一番の札幌グランドホテルに入り、十代で花形シェフになりました。その後、もっと腕を磨きたい、もっと料理のことを知りたいと、志を高く持ち、当時日本一と言われていた帝国ホテルに入りました。この時、帝国ホテルにはムッシュ村上と呼ばれたフランス料理界では日本一と言われた総料理長がいました。その人を慕って帝国ホテルへ入ったのです。
その最初の日、村上シェフから言われたのは「三國くん、鍋でも洗ってもらおうか」でした。この鍋を洗うというのは、料理人にとって非常にいいことなのです。鍋の中には料理が残っているので、全部味見ができるからです。しかし三國さんは「札幌グランドホテルで人気シェフだった自分が鍋洗いか」と少しムッとしたそうです。でも「よし、三國流の鍋洗いを見せてやろう」と決心し、取っ手のついている鍋はねじを外し、全部バラバラにするなどして、徹夜でピカピカに磨き上げたそうです。そして、朝それを見た村上シェフが「三國くん、きれいに洗えているね」と言われたので三國さんが「今日は何をさせて頂きましょうか」と言うとまた「鍋でも洗ってもらおうか」と言われたそうです。なんとそれが二年間続きました。しかし、三國さんはもともと「料理道具がきれいでなければ気持ちよく料理を作ることはできない。道具を磨くことはシェフの基本中の基本だ」という考えでしたので、二年間、一切手を抜くことなく毎日ねじを外して洗ったそうです。
しかし「二年たつのに相も変わらず鍋洗いのままでは、ここにいても料理の腕は上がりそうにないな」と思えてきたので、村上シェフに「やめさせてもらいたい」と言いに行こうと思っていたところ、逆に村上シェフに呼ばれて「来月からスイスの日本大使館公邸の料理長をやってもらう」と言われたそうです。その時三國さんは二十歳でした。大使館公邸の料理長ということは、各国の王室関係者とか総理大臣、外務大臣といった地位の高い人々のために料理を作るということですから、ものすごい大役です。周りの人は猛反対したそうです。当時、帝国ホテルには600人の料理人がいたそうです。ほとんどが三國さんより先輩で、その先輩たちが「鍋洗いしかしていない三國をなんでそんなところに行かせるのですか。もっと優秀な料理人がたくさんいるのではないですか」と食って掛かったといいます。すると村上シェフは「鍋洗いひとつ見ればその人の人格がわかる。技術は人格の上に成り立つものだ。あいつなら間違いない」と言ったそうです。
それから、三國さんはスイスに行き、大使館を退任後はフランスの三ツ星レストランをいくつも修業して回り、世界五大陸トップシェフ五人の中の一人に選ばれました。鍋洗いという日常に至誠を尽くし切った方でした。
至誠を尽くす道
日常の中で至誠を尽くす、基本が三つあります。一つが挨拶です。人間関係の基本中の基本です。これがしっかりできたら、人格の完成に近づくと思います。
二つめは、掃除です。掃除によって心を磨くのです。
三つめは、素直ということです。なかなか人間素直になれません。御開山上人が杉山先生の話を聞かれて入信された時「あなたは頭で考える癖があるから、それを止めなさい。私の言った通りにしなさい」と言われたそうです。そして晩年「杉山先生の言われる通りにして、法華経の実行がわかった。本当にありがたいことだ」とおっしゃいました。
日常の平凡なことを非凡に続けていくのが至誠の精神ではないでしょうか。