命は宝
日蓮聖人が「命と申す物は一身第一の珍宝なり」(可延定業御書)と述べておられますように、人間にとって「命」以上の宝物はありません。命が無ければ徳を積むこともできませんし、いくらお金があっても、命が無ければ何の価値もありません。
お笑い芸人の明石家さんまさんが「生きてるだけで丸もうけ」と、娘さんの名前を「いまる」とつけられたことは有名です。
今から三十一年前、御巣鷹山で日本航空の飛行機が墜落し、五百人以上の方が亡くなられました。さんまさんはその飛行機に乗る予定だったのです。当時「俺たちひょうきん族」という番組の収録が終わると毎週、大阪のラジオに出るためにあの便と同じ便に乗っていたそうです。それがたまたま、その日に限って早く収録が終わり、一便早い全日空の便に乗ったそうです。それで助かったのです。大阪に着いて少し経ってから、いつもの便が落ちたということを知って“生きているだけでありがたいんだ”という思いを、さんまさん流の言い方で「生きてるだけで丸もうけ」と言われたのです。
長生きの徳
死に直面した時に人間は、生きているありがたさを実感します。臨死体験をされた方や、大病から生還された方は本当に“生きているだけでありがたい”と、誰よりも強く実感されるようです。
何が怖いかと言って、死ぬことほど怖いものはありません。成功哲学系の本の元祖と言われるナポレオン・ヒルの『成功哲学』に、人間に恐怖をもたらす要因が書かれています。それによると、人間は恐怖によっていろいろなことができなくなるのだそうです。恐怖によって心がギュッと閉じ込められて、行動できなくなってしまうのです。
しかし、ナポレオン・ヒルは言います。「恐怖を乗り越えた人間は、水平線のかなたにまで繁栄してゆくのだ」
恐怖には主たるものが六つあり、その一つに“死”があげられています。
ナポレオン・ヒルは、「死はもっと科学的に考えるべきものである。世界を構成しているものは二つなのだ。つまり、エネルギーと物質がそれである。物理学では、物質もエネルギーも人間が創造したり、破壊したりすることができないものであることが証明されている。物質とエネルギーは変化するだけなのである。もし生命とは何か、という質問に答えるとするならば、それはエネルギーである、と答えるべきである。エネルギーも物質も消滅するものではないのであるから、他のすべてのエネルギーと同じように、生命もまた不滅なのである。ただ、他のエネルギーに変化するだけなのである。つまり、死とは単なる変化に過ぎないのである。もし死が単なる変化でないとしても、死は平和な永久の眠り以外の何ものでもない。死後は何も起こりはしないのである。眠りは何ら恐怖の対象となるものではないはずである。死に対する恐怖は無知が原因である」と言っています。
また「死のことばかり考える傾向は、老人にはよく見られることであるが、若者の中にも人生を必死に生きようとするかわりに、死ぬことばかり考える者も少なくない。この原因は無目標が最も大きいものであるが、劣等感が原因の場合もある。死に対する恐怖を取り除くには、他人に尽くそうとする願望を持つことである。忙しい人間は死について考えている暇はないのだ」とも言っています。
「小人閑居して不善をなす」という言葉がありますが、時間がありすぎると私たちは余計なことを考えてしまうのでしょうか。
北欧ではある時期、老人の自殺が多かったそうです。福祉がとても進んでいて、老人は全く働かなくても楽に生活ができたのにです。これは恐らく、人生における無目標、生きがいの喪失が原因かと思われます。
昔から、長生きをすることによって人間は死の恐怖が和らぐと言われています。
江戸時代の昌平坂学問所の校長だった大儒学者・佐藤一斎が、「およそ生気有る者は死を畏る。生気全く尽くればこの念もまた尽く。故に極老の人は一死睡るが如し」と『言志耋録(げん し てつ ろく)』に書いています。
九十三歳で亡くなられた馬場上人が最晩年に「正修上人、私は死ぬのが全然怖くなくなりました。なんだかいいところへ行けそうな気がします」とおっしゃいましたが、そういう境地になってみたいものです。
上智大学名誉教授の渡部昇一先生が『九十五歳へ』という本を書かれています。渡部先生は今八十五歳ですが、七十五歳くらいの時に書かれた本です。ですから当時、あと二十年は生きるつもりで書かれたのでしょう。
その時、二億円ぐらい借金をして書斎を作られました。書斎と言っても図書館みたいなものです。蔵書が二十万冊くらいあり、その本を全部きれいに並べたいということで作られたそうです。その時、友人に「あと何年生きられるかも分からないのにそんな借金をしてこんなもの作って」と言われたそうですが、「いや、私は絶対に生きる。書斎を無駄にしないためじゃない。長く生きれば生きるほど人間は死の恐怖から逃れられ、穏やかな境地になると聞いている。そういうことを体験してみたい。この借金については、返せる算段がしてあるから心配ない」と答えられたそうです。
渡部先生が漢字学の大家・白川静先生と対談されたことがありました。その時白川先生は九十二歳で、九十六歳まで生きられました。五時間対談されましたが、全く休憩も取らず、ほとんど白川先生がしゃべりっぱなしだったそうです。しかも、いろいろな難しい漢字の話、古典の話などを、何も見ないで記憶だけで話されたと言います。すごいことです。
終わってから料亭に一緒に行かれたそうですが、白川先生は九十代とは思えない軽やかな足取りでお店に入られて、出された料理をペロッと食べられたそうです。最後にデザートの小さな羊羹を半分残されたので、不思議に思って「料理は全部食べられたのに、デザートを少し残されてどうされたのですか」と聞くと「うん。最近ちょっと糖尿の気があって残したんだよ」と答えられたそうです。それを聞いた渡部先生は「私も九十二歳になってそういうことを言ってみたい」と思われたのだそうです。
渡部先生は「個人差はあるでしょうが、八十歳くらいだとまだ苦しむ人がいるようです。従って私は、できることなら九十五歳まで生き、肉体的にも精神的にも苦痛を感じることが無くなってからあの世に帰りたいと思っています。九十歳を超えて亡くなられる方は本当に苦しまれない。ほとんどが眠るが如くです。死ぬというより、もっといい世界に遷るという感じです。穏やかに亡くなられているのです」とお話しになっています。
情緒豊かに長生きを
長生きの秘訣はいろいろあると思いますが、笑ったり、面白いこと、楽しいことを考えて日々を過ごすことも大事ではないでしょうか。笑うことによって脳が活性化されます。認知症が問題になっていますが、これも、ぼーっとしている時間が長く続くとなりやすいそうです。仕事をすることも大事ですが、いろいろなものを見たり聞いたりして、情緒豊かに、楽しく過ごすことが大切です。
お医者さんで、“日々笑いを取り入れて健康になりましょう”という、日本笑い学会副会長の昇幹夫先生が「年を取るのはどこからだと思いますか。足が一番最初に年を取ります。ですから足を鍛えないといけません。私は、笑うことと同等によく歩くことがとても良いと勧めています。でもね、中高年の方がプールでウォーキングをしている姿、あれ頭に三角布をかぶって、三途の川を渡っているようにも見えるから何か変ですよね」
昇先生はよくそういう面白い話をされます。
足を鍛えることは本当に大切です。最近、福岡が発祥だそうですが、健康に良いということで全国に広まりつつあるのが「足育」です。人間は、手はよく広げますが、足は靴の中に入っていて、広げることがあまりありませんから、定期的に広げるのが大事だそうです。
つまずきやすい人の多くは足の指に問題があるそうです。
「足育」の足指体操はまず、足の裏側から指の間に手の指を入れて握ります。そして、足をゆっくり甲の方に五秒ほど反らせ、続いて足裏の方に反らせてこちらも五秒。これを両足で五分間、一日に最低一回は行ないます。非常に即効性があるので、体操後はしっかりと大地を踏む感覚で立つことができると言います。子どもたちにこの体操を教えたら転倒が減り、ジャンプ力など運動能力の向上が見られたそうです。杖をつき、人に付き添われながら歩いていた女性も、自力でスムーズに歩けるようになったという報告もあります。毎日継続していくとさらに効果が上がるそうです。
是非、日々楽しく足を鍛えて、長生きしていただけたらと思います。
ただ、寿命は一つの運命でもあります。いつ死を迎えても悔いのないよう徳を重ねていくのが一番の肝心です。
※可延定業御書=法華経に依りて定業を延ぶべき事。
(昭和新修・日蓮聖人遺文全集)