ブラジルのリオ・デ・ジャネイロでオリンピックが開催されました。残念だったのは出場を辞退したアスリートがたくさんいたことです。ジカ熱や豚インフルエンザなどの感染症だけでなく、犯罪発生率の高さが辞退の理由だったようです。オートバイに乗っている人が通りすがりの青年にネックレスを盗られたり、窓を開けて車を運転していたら時計やスマホを持って行かれたとか、日常茶飯事のように、犯罪が起きていたようで、観光客にはさまざまな注意が喚起されていました。
オリンピックの前にそれらのことを報道するテレビ番組を見ていて、アルゼンチン・ブエノスアイレスで行われたIOC総会でのあのシーンを思い出しました。東京にオリンピックを招致しようと滝川クリステルさんが「お・も・て・な・し」と言って合掌をしたプレゼンテーションです。滝川さんのスピーチでは「おもてなし」という言葉だけが日本語で、あとはすべてフランス語でした。フランス語には「おもてなし」に相当する言葉がないそうです。英語の「ホスピタリティ」でも少しニュアンスが違います。ですから「おもてなし」と日本語で言った方が日本の神秘的な雰囲気が醸し出されて良いのではないかということで、フランス語のスピーチの中に「おもてなし」という言葉を入れたのだそうです。
滝川さんは「おもてなし」の具体例として「東京は安全」ということをアピールしました。
「もし皆さんが東京で何かを無くしたならば、ほぼ確実にそれが戻ってきます。実際に昨年一年で合計すると、3000万ドル以上の現金が落とし物として東京の警察署に届けられました」
このスピーチに世界の人はびっくりしたそうです。3000万ドルというと30億円に相当します。「30億円もの落とし物を日本人は自分のものとせず届けるのか」と驚いたのです。また滝川さんは「7万5000人の旅行者を対象として行った最近の調査によると、東京は世界で最も安全な都市と評価をされています」と言いました。
たしかに多くの外国人が「日本は安全だ」と口々に言います。「旅館では、部屋に鍵がないにもかかわらず何も盗まれない。財布を置いておいても盗まれない。日本は本当に不思議な国だ」ということが昔の外国人の旅行記によく書いてあります。これは日本人の性質による部分もありますが、教育の影響が大きいと思います。「ならぬことはならぬものです」という教育です。
「正直馬子」の話
著名なキリスト者・内村鑑三が『代表的な日本人』として挙げた五人のうちの一人に中江藤樹という人がいます。近江聖人と言われ、晩年は滋賀県に住んでいました。この中江藤樹は儒教、特に陽明学の大家で、庶民にも無償で学問を教えていました。
「正直馬子」という話があります。馬子とは馬の背中に荷物を載せて運ぶ馬方のことです。当時、馬子は教育の無い下賤なものとみられていました。「正直馬子」は中江藤樹にまつわる一番有名な話です。中江藤樹の高弟である熊沢蕃山はこの話を聞いて中江藤樹の門をたたいたといいます。
ある日、加賀の飛脚がお客さんから預かった二百両の金子を無くしました。二百両は今の金額で2000万円くらいですので大慌てです。その時、河原市宿に住む馬子がそれを見つけました。馬子は「これを無くした人はさぞ困っているだろう」と思い、それが飛脚のものだとわかると一目散に走って飛脚のいる旅籠まで届けました。それを受け取った飛脚は大喜びで「何かお礼をしたい」と言ったのですが、馬子は「お礼は何もいらない。当然のことをしたまでだ。気にしないでくれ」と言って帰って行こうとしました。すこぶる感動した飛脚が「それにしても、あなたはどういうお方ですか」と聞いたところ、「名ある者にあらず。また何一つ知れる者にあらず。
ただ我が在所の近所に小川村という所あり。この村に、与右衛門(中江藤樹)という人おわして、夜ごとに講釈ということあり。某も折ふし行きて聞きはベりしに、親には孝を尽くすべし。主人は大切にするものなり。人のものは取らぬものなり。無理、非道は行うべからずなどということ、常々語り給うにより、今日の金子も我が物にあらざれば取るべき利なしと心得しまでのことなり」(東洋文庫)と言い捨てて帰って行きました。このようなことが起こるのは、教育があってこそです。日本には昔からのこのような教育があったのです。滝川さんが言われたように、日本では無くしたものが確実に戻るという、外国人には信じられないことが起こるのです。
赤塚不二夫さんの思いやり
ギャグ漫画家・赤塚不二夫さんが『天才バカボン』を描いた時の話です。締め切りの前日に描き上げて編集者に原稿を渡しました。すると編集者が慌てて戻ってきました。赤塚さんが「どうしたんだ」と聞くと編集者は「先生、申し訳ありません。原稿をなくしてしまいました。タクシーの中に原稿を置き忘れ、どのタクシーかわからないのです」と言うのです。普通の人ならそこで「何をやってるんだ」と怒ります。しかし、赤塚さんは「ああ、そうかそうか。大変だったな。まだ時間があるから一杯飲みに行こうか」と編集者を誘ったそうです。原稿をなくした編集者が心配で震えている様子だったので、一杯飲んでリラックスするようにという赤塚さんの配慮です。編集者は「先生、そんなことよりも」と言うのですが、赤塚さんは「いいからいいから。帰ってきたらもう一度描いてやるよ。ちゃんとネーム(脚本)が残っているから心配ないよ」と、何も文句も言わずに漫画を描いたそうです。赤塚さんは原稿を描き上げると、「二度目だから前回よりうまく描けたよ」と言って編集者に渡したそうです。
その後、タクシーの運転手さんが赤塚さんに元の原稿を届けてくれました。すると赤塚さんは編集者を呼んで、「この原稿は君にあげるから、二度と同じ失敗をしないように、これをお守りとして持っていなさい」と言って戻ってきた原稿を渡したのです。編集者は赤塚さんが亡くなるまでの三十五年間、その原稿をお守りとして持っていたそうです。そして赤塚さんが亡くなった時、赤塚さんの娘さんに原稿を返したということです。
この話は赤塚さんの思いやりの話ですが、馬子の話も同じです。人の無くしたものを届けるというのは「無くした人が困っているだろうな。大変だろうな」と思うからこそ届けるのです。そういう思いやりが日本人にはもともと強くあるのではないかと思います。
「ミシュラン」の評価
また、滝川さんはスピーチの中で「東京には最高級のレストランがたくさんあります。東京はミシュランの星が世界で最も多い街です」と紹介しました。
今から8年前の2008年、初めて東京の店にミシュランの星がつきました。その時、星のついた店の数は150軒にのぼりました。本家本元のパリは東京の半分の74軒でした。東京には初めから倍の数の星がついたのです。
ミシュランは毎年改訂されますが、今年の2016年版では最高レベルの三ツ星がつけられた店が東京で13軒、京都11軒、大阪11軒です。一方、パリの三ツ星レストランは9軒です。パリよりも東京や京都、大阪の方が多いのです。
ミシュランにどれくらいの権威があるかと言いますと、フランスでは星が一つ多くなる毎に売り上げが30パーセント上がると言われています。この世界で最も権威のある格付け機関が、東京はパリ以上の美食都市であると評価したのです。
数年前、韓国の『中央日報』がミシュランガイドの社長のジャン・リュック・ナレ氏にインタビューをしました。その中で「どうして東京があんなに高い評価を受けるのか」と質問しました。ナレ氏は「パリを美食家の都市と言うが、東京は驚くほどすばらしい飲食店が多かった。多くの人々が料理を楽しんでいる。日本料理はクオリティもすばらしい。料理人のレベルもどの都市よりも高く、何より料理人固有の技術がよく伝授されている。数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統がすばらしい。特に私が高く評価したのはその専門性だ。パリにある日本料理店に行けば、寿司・天ぷら・焼き鳥などメニューがたくさんある。日本でも同じだろうと思っていたが、私が行った飲食店はほとんど、寿司店・天ぷら店・焼き鳥店・うどん店など専門店に細分化されていた。非常に印象的だった。こういった特性から、日本の飲食店の相当数は誰も追いつけない専門性を確保していると言える。当然良い評価につながる」と絶賛しました。
日本の食文化は感謝が中心
日本オリンピック協会会長の息子さんで、明治天皇の玄孫の竹田恒泰さんが『日本はなぜ世界で一番人気があるのか』という本の中で次のように書いています。
「日本の料理の専門性と歴史的伝統は『いただきます』という言葉にあります。『いただきます』とは、あなたの命をいただきますという意味です。考えてみますと、食べ物というのは、肉にしろ魚にしろ野菜にしろ穀物にしろ、すべて生き物です。その生き物の命をいただくのが『いただきます』です。日本人のその生き物に対する感謝の気持ち、またそれを作った人への感謝の気持ちが『いただきます』なのです。食べるということは、日本人にとって神聖な儀式なのです。それを料理することも神聖な儀式、いわば神事と言えるのです」
ビジネスコンサルタントの藤沢久美さんが友人たちとある居酒屋に入った時、いろいろな物を注文したところ、炭火焼の地鶏の料理が食べきれずに残ってしまいました。そこに若い女性店員さんがやってきて「別の味に変えてお持ちしましょうか」と言ったそうです。せっかくなのでお願いすると、ポン酢であえた地鶏の炭火焼が小鉢に盛られて出てきました。それがおいしくて、みんなすぐに食べてしまいました。そこで、料理がおいしかったことを伝えると、店員さんが「先程、地鶏を焼いた鉄板に残っていた鶏の脂でガーリックチャーハンを作ったのでそれもいかがですか」と持ってきました。これもおいしく、しかもどちらも無料のサービスでした。あまりに見事な対応に感動して「社員さんですか」と聞くと「いえ、アルバイトです。この店はちょっと変わっているんですよ。みんなが生産者の方に感謝しながら働いているので、お客さまにはなるべく残さず食べていただきたいと工夫しているのです。だから上司からの指示はないのですが、みんな勝手にポン酢あえにしたり、ガーリックライスを作ったりするんです」と答えたそうです。
藤沢さんは興味を持ってその店の経営者に尋ねました。すると、その店では社員・アルバイト関係なく、養鶏場に連れて行き、ひよこから鶏になり、その鳥が解体されるところまで全部見学させるというのです。「養鶏場の人たちがどれだけ一生懸命、鳥を育てているのかを見せると、アルバイトも社員も関係なく、生産者の方々の努力を無駄にしてはいけない。鶏の命を無駄にしてはいけない。だからお客さまには全部残さず、おいしく食べていただこうという気持ちになるのです。みんな一生懸命に工夫をするのです」
日本にミシュランの星がたくさんあるのは、日本人の食べ物に対する感謝から発しているようです。
小池百合子さんが女性初の東京都知事になられました。4年後の東京オリンピックでは、小池さんとともに外国の方々を最高のおもてなしでお迎えしたいですね。