始祖 広宣院殿安立大法尼(杉山辰子先生)
慶応4年(1868)7月28日、岐阜県羽島郡笠松町八幡町に名主・杉山定七の次女として出生、「辰子(たつこ)」と名づけらる。
幼少の時より仏に仕うる志篤く、19歳にして天眼通を得らる。深山に入り断食・水行数10回、遂に仏道の奥義を極められ、ニ祖・村上斎先生と協力し、明治42年1月、名古屋市に仏教感化救済会を設立。
妙法蓮華経の宣布、思想善導、感化救済事業に東奔西走活躍せられ、昭和7年6月28日遷化。その事績を以って「安立行菩薩」の再誕と称えらる。
御遺骨に直径60cm程の青蓮華を生ず。経文に普合して、安立大法尼の凡人ならざりしことが證された。世寿65歳。
二祖 弘教院殿宗玄大徳(村上斎先生)
安政3年(1856)3月3日、愛知県中島郡明治村横野に医師・村上宗伯の三男として出生、「斎(いつき)」と名づけらる。
明治15年5月、医術開業免状下附せらる。漢方医学、西洋医学(内・外科医術)に通じ、同年6月自宅開業。明治38年、愛知県立医学専門学校に奉職するが、知人の保証人となり失敗、全財産を失う。その後、創立者・杉山辰子から仏道の教化を受け、師事を決意。法華経と日蓮教学を研鑽。師に随い修行を重ね、宗教と医療による人々の真の救済に尽力さる。
昭和7年6月、第二代会長に就任。法華経精神に基づき、物心両面の救済活動を発展させ、法人組織として基礎を確立された。
昭和22年2月3日遷化、世寿92歳。
御開山 泰山院日進上人(鈴木修学上人)
明治35年(1902)1月5日、愛知県丹羽郡布袋町字寄木に農業と菓子問屋を営む鈴木徳太郎の長男として出生、「修一郎」と名づけらる。
大正13年、安立大法尼より教えを受け、入信。
昭和2年、仏教感化救済会に入会し、師の許で法華経と日蓮教学を研鑽、併せて救済活動に挺身。
昭和21年11月、日蓮宗にて得度。修学と改名。
昭和22年2月、第三代会長に就任。同年4月、日蓮宗昭徳教会開堂(昭和25年7月、大乗山法音寺と寺号公称)。爾来、昭和37年に至る15年間に24の縁山寺院を各地に設立。
社会福祉法人昭徳会理事長として社会福祉事業を積極的に展開し、昭和28年、学校法人・法音寺学園(現・日本福祉大学)を設立、中部社会事業短期大学を開学する。
昭和37年6月7日遷化。世寿61歳。
法音寺 第二世 顕修院日達上人(鈴木宗音上人)
昭和5年(1930)3月31日、愛知県名古屋市東区に鈴木修学上人(御開山・泰山院日進上人)の長男として出生、「忠臣」として名づけらる。
昭和23年12月12日 日蓮宗にて得度、宗音と改名。
昭和34年、早稲田大学大学院文学研究科教育学専攻修士課程修了。日本福祉大学専任講師(教育学)に就任。
昭和37年6月、御開山上人遷化の後、日蓮宗大乗
山法音寺住職に就任。同時に、社会福祉法人昭徳会理事長、学校法人法音寺学園理事長・日本福祉大学学長に就任。
昭和52年、縁山寺院・教会・結社を合併、「法人統一」を果たし教団の基盤を確立され、平成22年に至るまでに全国各地に19の支院・布教所を新たに開設。現在合わせて41の拠点を基に法華経・法音寺三徳の宣布に邁進するとともに、福祉社会の安定と確立に尽瘁。
平成24年12月18日御遷化。世寿83歳。