法音寺の教え・三徳
三徳とは、貪りの心を施しの心に変え、怒りの心を柔和忍辱に変え、愚痴を改めて仏の智慧に変えることです。
慈悲(じひ)
貧しきを恵みつらきをいたわりて
なお法の道説き聞かせなむ
なお法の道説き聞かせなむ
すべて自分の欲することは人もこれを欲するであろうとの思いやりをして、飢えたる人には食を施し、寒さに震える人には衣類を施し、悲しみに遭える人は慰め、一言半句の言葉も人の感情を害しないように気をつけて心を和らげ、常に自己の修養を励みてなお、他の人に妙法の真実を教え、善導することです。
至誠(まこと)
己が身を思うがごとくいつわらぬ
至誠を尽くせことのよろづに
至誠を尽くせことのよろづに
常に妙法(お題目)を唱え、自らの魂が菩薩であることを自覚し、人として生まれ、妙法に出会えたことを喜び、常に他の人の模範となるべく、まず他の人を喜ばしめては自らの喜びとしてゆくのです。いかに経文がありがたいと言っても、実行しなければ何にもなりません。
堪忍(かんにん)
憂き辛き心にそわぬことをみな
善きに悟りて喜びを得よ
善きに悟りて喜びを得よ
どんなに腹を立てなければならないことが起きても、決して怒ってはなりません。ひとたび堪忍を破ったなら、すべての徳が燃えてなくなります。事が起こるのはすべて、自分の因果であります。決して他人が悪いのではありません。どうしてもガマンできそうにない時には“この人は、ああして私の心を試してくれるのだ。あの人は善知識(先生)だ”と悟って堪忍しましょう。
真に幸福を願う人は、三徳を我が身の守りとして徳ある人となって頂くのが、法音寺の願いであります。(村上先生ご法語集より)